研究課題名
ヒト多能性幹細胞の分化誘導・移植の技術開発と技術支援のための総合拠点
研究の目的・概要
ヒト多能性幹細胞の医学利用を促進し、再生医療など幅広い応用を可能とする培養技術・分化技術・移植技術などの基盤技術の開発を行う。さらに、国内の関連研究を支援するため、本業務で開発された技術をもとにした技術移転をスムーズに行うフレームワークを構築する。同時に、国内の幹細胞研究に多くの新規研究者の参加を可能とするため、ヒト多能性幹細胞等の有用細胞の供給体制を整え、順次それらの分配を実施する。
このため、独立行政法人理化学研究所、公益財団法人先端医療振興財団及び独立行政法人国立成育医療研究センターは共同で業務を行う。独立行政法人理化学研究所では、分化・培養技術の開発、移植治療技術の開発、ヒト幹細胞技術の支援を実施する。
実施体制
研究代表者
笹井 芳樹 |
(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 細胞分化・器官発生グループ グループディレクター) |
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(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター ヒト幹細胞研究支援室 室長) |
分担代表研究者
中村 幸夫 |
(独立行政法人理化学研究所 バイオリソースセンター 細胞材料開発室 室長) |
高橋 政代 |
(独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究開発プロジェクト
プロジェクトリーダー) |
山本 勝彦 |
(公益財団法人先端医療振興財団 経営企画部研究事業管理課 プロジェクトリーダー) |
阿久津 英憲 |
(独立行政法人国立成育医療研究センター研究所 生殖・細胞医療研究部補助生殖技術研究室 室長) |
最新の研究成果・進捗状況
(1)ES細胞から人工網膜組織の3次元形成に世界で初めて成功
哺乳類の眼、特に網膜はいったん障害を受けると、自然に再生しません。このため、網膜色素変性症などの網膜変性症には治療法がなく、失明に至ることから、幹細胞を利用した再生医療が期待されています。網膜の基本構造は、主要な光感知部である神経網膜とそれを助ける色素上皮で構成されます。色素上皮は薄い1層の細胞シートで、ES細胞・iPS細胞からの産生が容易なため、加齢黄斑変性などへの細胞移植の臨床研究が進みつつあります。一方、視細胞などを含む神経網膜は多種類の細胞を含む多層構造を持ち、ES細胞などからこうした複雑な組織を形成することは不可能でした。
研究グループは、独自に開発してきた細胞集団からの「3次元の自己組織化技術」を応用し、胚の発生を再現する方法でマウスES細胞から試験管内で立体的な網膜組織を形成することに成功しました。3,000個程度のES細胞から細胞凝集塊を作り、特殊な培養液の中で浮遊立体培養を続けると、培養開始9~10日後に初期胚の眼組織である眼杯と酷似した杯状の網膜組織が、3次元的に形成しました。また、研究グループは、ES細胞からのこの複雑な眼杯の形の「自己組織化プログラム」についても、細胞計測とコンピュータシミュレーションを駆使して解明し、3つの単純な力学機序の組み合わせによることも明らかにしました。
この眼杯様の網膜組織をさらに2週間程度、3次元培養を続けることで、生後マウスの網膜に近い神経網膜組織の立体形成にも成功しました。この組織は、神経網膜の主要細胞をすべて含むだけでなく、3次元的に秩序だった多層構造を有し、神経細胞間のシナプスを形成していることも確認しました。
この研究成果は、多能性幹細胞から生体の眼組織に酷似した人工網膜組織を産生することができるという画期的なものです。「次世代再生医療」の研究では、主に、ES細胞・iPS細胞から分化させた1、2種類の細胞を用いて、それらを単に細胞(あるいは細胞塊)として移植することを目指してきました。今回の成果は、そのさらに先に進むもので、「生体に近い複雑な組織」の産生と移植による高度な機能再生を目指す「次々世代の再生医療」を切り拓くものと考えられます。(Nature 472, 51-56. 2011)
(2)ヒトES細胞から立体網膜の形成に世界で初めて成功
ヒト網膜は再生力が低い組織であり、障害を受けると自然な治癒は見込めません。網膜色素変性症などの網膜変性症は失明に至る可能性のある重篤な疾患で、現在も治療法がなく、幹細胞などを利用した画期的な再生医療の開発が期待されています。網膜の主要な部分は、光を感知する神経網膜とそれを助ける色素上皮です。神経網膜は視細胞、神経節細胞など多種類の細胞を含む複雑な多層構造を持ち、ES細胞やiPS細胞などからこうした複雑な組織を形成することは、これまで不可能でした。
2011年に研究グループは、胚組織の発生を試験管内で再現する「3次元の自己組織化技術」を応用して、マウスES細胞から立体的な網膜組織を試験管内で形成することに成功しました(前述(1)の成果)。
今回、研究グループは、さらに自己組織化による立体培養技術を発展させ、ヒトES細胞からも眼のもととなる「眼杯」と呼ばれる立体網膜組織を試験管内で産生することに成功しました。さらに、このヒト細胞由来の立体網膜組織を数週間~十数週間培養し続けることで、生体の網膜に見られる複雑な多層構造を有する網膜組織の立体形成にも成功しました。この組織は、5mm大のサイズで、神経網膜の主要細胞である視細胞、神経節細胞、介在神経細胞などを含む多層化した組織構造を有していました。さらに、ヒト細胞由来の立体網膜組織を液体窒素中に凍結保存する方法も確立し、高い品質管理のもとに長期保存を可能としました。
これらの研究成果は、多能性幹細胞からヒトの網膜組織を人工的に大量産生し、保存・供給する技術体系の確立に貢献します。「生体に近い複雑な組織」の人工産生とその移植・使用により、高度な機能再生を目指す「次々世代の再生医療」の実現を大きく前進させるとともに、化学物質の安全性評価や創薬への応用も可能にするものとして期待できます。
(Cell Stem Cell 10, 771-785. 2012 )
(3)ES細胞から下垂体組織の立体形成に成功
下垂体は、間脳の下部に接して存在する小さな内分泌器官ですが、多様なホルモンの制御中枢として大きな役割を果たします。例えば、生命維持に必須の副腎皮質ホルモンの産生を促す副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)、子どもの成長を促す成長ホルモンなどをはじめとする多様な下垂体ホルモンを産生します。そのため、下垂体の機能不全は全身性の重篤な疾患を引き起こします。しかし、下垂体は胚の中で非常に複雑な発生過程を経て形成されるため、これまでES細胞などの幹細胞から下垂体組織を形成することは不可能でした。
これまでに研究グループは、独自の「3次元自己組織化技術」を応用して胚の発生を再現する方法を開発し、大脳皮質や網膜などの立体的な組織をES細胞から試験管内で形成できることを報告してきました。今回、この技術をさらに応用して、下垂体の発生を試験管内で再現することに挑みました。
下垂体は、発生の過程で、胎児の口腔にある口腔外胚葉が間脳組織からの刺激を受けて、袋状のラトケ嚢(下垂体原基)として発生します。ラトケ嚢はさらに成長し、さまざまなホルモンを産生する内分泌細胞を生み出し、下垂体になります。今回、ES細胞を立体的に培養することで口腔外胚葉と間脳(視床下部)組織の相互作用を再現し、3次元自己組織化技術でラトケ嚢を生み出すだけでなく、ホルモン産生細胞ができることも確認し、人工下垂体の形成に成功しました。
ES細胞から形成された人工下垂体で代表的な下垂体ホルモンであるACTHを調べたところ活発に分泌し、しかもその分泌は生体内と同様のフィードバック制御を受けることが分かりました。さらに下垂体機能不全マウスに移植したところ人工下垂体はACTHや副腎皮質ホルモンの分泌を正常化することに加え自発活動や生存についても改善することが観察できました。
この研究成果は、多能性幹細胞から生体の組織に類似した機能を有する人工下垂体組織を作り出すことができるという画期的なものです。これまで糖尿病以外の内分泌疾患は再生医療の対象としてほとんど考慮されてきませんでしたが、「生体に近い内分泌器官の産生と移植」の成功により、高度な機能再生を目指す「次々世代再生医療」がこの分野でも切り開らかれると期待できます。(Nature 480, 57–62. 2011)
今年度の展望・最終目標等
最終年度の平成24年度の終了までには、平成23年度までの成果をもとに以下の内容を柱に、研究開発の推進および全体プロジェクトの支援を行う。
①分化・培養技術の開発
理化学研究所・神戸主拠点において、神経系組織、網膜組織、神経内分泌組織の調製技術を開発し、平成23年度にはマウスES細胞からの3次元自己組織化による立体網膜および腺性下垂体組織の形成に成功した。マウスES細胞で成功していた小脳皮質ニューロン(プルキンエ細胞)の分化法をヒトES/iPS細胞に応用すべく、その改良を進めた。
平成24年度には、立体網膜および腺性下垂体組織の自己組織化技術を応用し、これらの組織をヒトES/iPS細胞から立体培養で形成する技術を確立する。
理化学研究所・筑波副拠点での分化・培養技術開発の最終目標は、「輸血可能な赤血球」を人工生産することであり、当該目的のために大規模な拡大増幅が可能な赤血球前駆細胞株(不死化細胞株)を樹立することを目指している。平成24年度は、これまでに樹立した「脱核赤血球を効率よく産生可能なヒト赤血球前駆細胞株」に係る機能解析および脱核効率のさらなる改善を目指した技術開発に取り組む。
②移植治療技術の開発
平成24年度は、笹井らの開発した培養方法を用いてマウス及びヒトES/iPS細胞から作製した3次元網膜の移植実験を行い、マウスでのホスト-移植細胞間のシナプス形成、移植細胞の機能について重点的な研究を行うとともに、ヒトES/iPS細胞を用いて大型の動物(ウサギ及びサル)を含めての確認実験に移行していくことを目標とする。
また、笹井らと共同でこれらの移植のためのヒトES/iPS細胞由来の立体網膜の大量調整とそのストック化を行い、そのための体制化を進める。
さらに、「前臨床研究加速化」を目指した国立成育医療研究センターでの研究では、
笹井らが開発したヒトES/iPS細胞からの視細胞分化誘導系に対して、将来的な臨床応用を視野に入れ開発研究を加速化させるために、ゼノフリーシステム化の構築を目指す。
③ヒト幹細胞技術の支援
バイオリソースの整備と培養技術移転の両者を推進する。
バイオリソースの整備:ヒトES細胞及びヒト・動物iPS細胞の本プロジェクト内外の研究機関への分配のための業務及びその効率化のための基盤技術開発を実施する。
疾患特異的iPS細胞:ホームページでの公開に関して寄託機関からの同意を得られた細胞に関しては、筑波副拠点のホームページで迅速に公開し、需要の喚起を図る。
ヒトES細胞に係る技術講習会:筑波副拠点において、引き続き定期的に開催する。
培養技術の国内の幅広い研究者への移転:引き続き、平成24年も「ヒト幹細胞研究支援」のためのホームページを通して、有益な各種情報の提供を行う。また、プロトコール本(実験手技の動画ファイルのDVD付きの第2版)について、学会、ワークショップなどを通しても配布し、普及を進める。
④iPS細胞に関する標準化
筑波副拠点から提供する細胞の標準化に関しては、ISO 9001認証を受けている品質マネジメントシステムを本プロジェクトにおける細胞バンク事業にも継続して適用し、人為的なバラツキ(ロット間での特性の差異等)が少ない標準細胞の提供に努める。
神戸主拠点では、ヒトES細胞・iPS細胞の各種遺伝子操作法の簡便化と標準化を進めて来たが、平成24年度にもさらにこれを進め、中級者向けの実践プロトコールも整備し、順次ホームページなどを介して公開する。
⑤iPS細胞の技術講習会・培養トレーニングプログラムの実施
神戸主拠点では、技術講習会の実施による幹細胞利用研究者の裾野の拡大を目的とし、平成24年度も京都大学拠点等と協力しヒト多能性幹細胞培養の導入実習コースを行う。
また、技術プラットフォーム形成のための技術講習会として、「標準化レクチャーシリーズ」を1回開催するとともに、ヒト幹細胞の医学利用に関しての生命倫理的な意識の向上に資するため、生命倫理講習会を神戸主拠点にて公開で行なう予定である。
筑波副拠点では、初心者向けの導入技術講習会として、ヒトiPS細胞の凍結保存技術(簡易ガラス化法)及び融解技術に係る講習会を定期的に実施する。また、ヒトES細胞の新規使用機関に対する技術講習会についてもヒトES細胞指針に基づいて定期的に実施する。
⑥疾患特異的iPS細胞の樹立・提供
平成24年度はこれまで行ってきた各種薬剤のスクリーニングに適合した網膜色素変性の患者iPS細胞を作製予定である。また網膜色素変性の別患者からの新規のiPS細胞樹立を行う。
⑦ 知的財産戦略および管理・活用体制強化を行う