【西浦博インタビュー】
インフルエンザはなぜ大流行するのか
数理モデルで証明された「集団免疫」の有効性

西浦 博
北海道大学大学院医学研究院 教授

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――以前に、インフルエンザの予防接種について独自の数理モデルで計算した結果、高齢者に接種を勧めるよりも小学校で集団接種を行うほうが感染防止に効果的だとわかったというお話を伺いました(「数理モデルで感染症を食い止める」)が、2018年の冬には大流行しました。

西浦 インフルエンザに関するワクチン接種政策は、昔から真っ二つに割れる傾向があります。ひとつは、インフルエンザに感染すると合併症を併発しやすいハイリスク層の重症化を防ぐという考え方。もうひとつが、感染そのものを防ぐという政策です。伝播しやすい人にワクチンを接種して「集団免疫」をつくってしまおうという考え方です。

 インフルエンザを伝播しやすいのは子どもたちだということは周知の事実なので、集団免疫の対策をしようと思えば子どもたちに接種します。ハイリスク層なら基礎疾患を持つことの多い高齢者とか妊婦に接種することになります。

 政策的にどちらが優れているかは、実はまだ論争中です。ただ、数理モデルで分析すると、集団免疫を強化したほうがより集団レベルの効果が生まれます。それがイギリスのUniversal Child Vaccination Policyという政策で、子供たちを毎年インフルエンザ予防接種に招待します。

西浦 博

高齢者の死亡を減らしたイギリス

――「招待」ということは義務ではないということですか。

西浦 現在は予防接種を義務付けている国はありません。日本でも「勧奨接種」と言って、国が予防接種の費用を負担し、重篤な副作用が発生した場合には補償も行います。イギリスでは、そういった勧奨接種で60%くらいの子どもたちにワクチン接種を行っています。いま6年目のシーズンなのですが、子どもたちはもちろん、高齢者の感染や死亡も減っています。ただ、接種率が60%というのはまだ子どもたちの伝播を止めるには足りないんです。

――接種率60%ではまだ足りない。

西浦 理論的に言うと、接種率が8割を超えると流行がほぼ無視できるくらい小さくなるはずです。それでも、インフルエンザの専門家の中では、子どもの感染者だけでなく、高齢者でもインフルエンザ由来の死亡者が減ったのは画期的だと話題になっています。

――死亡者はどのくらい減っているのですか?

西浦 インフルエンザの場合、ウイルスの活動増と比例して死亡者がどれくらい増えたかを統計学的に推定することで、インフルエンザで何人亡くなっているかという数字を出します。「超過死亡者数」といいますが、日本では感染者が多いシーズンで3万人くらい、少ないシーズンで2万人くらいだとされています。イギリスもだいたい人口あたりでは同規模なのですが、それが25%~50%減ったという推定が出ています。

――日本では2018年から2019年のシーズンに最大で週200万人を超える感染者が出ていますが、これはなぜですか。

西浦 科学的にいちばん真摯な答は「わかりません」です(笑)。でも、数理モデルの専門家として分析していたので、流行が大きくなったある程度の理由は言えます。

 A型インフルエンザでもH1型とH3型という違う株があります。2018年中はH1が流行していたのが、2019年になるとH3に完全に置き換わりました。このH3は、昨シーズンに香港やオーストラリアで大規模な流行を起こした強毒性のウイルスで、今の大きなピークはこれが原因です。

――以前に集団予防接種で「前橋レポート」のお話がありました。このレポートは、前橋市医師会が6年にわたって前橋市とその周辺5市において学童のインフルエンザ予防接種率とインフルエンザ罹患率について調査を行ったものですが、接種しなかった前橋市と、接種した周辺都市で罹患率に差がなかったとされました。これをきっかけに1990年代前半、集団接種から任意接種へと政策が転換されました。

2019年には風疹が再び大流行?

西浦 前橋レポートの残念なところは、きちんとした研究デザインで実証できないままに、政策的な結論を出さなければならなかったことです。もっといろいろな条件付けをして検討すれば、違う結果が出たと思っています。前橋市周辺で比較しても人の往来があります。人が移動も交流しない地域、たとえば離島を対象に集団接種して比較すれば、顕著に集団免疫の効果が見えてくる事例が世界中にあります。

――風疹も2018に流行して話題になりました。2019年もまた大流行しそうだと言われています。

西浦 2018年に流行のピークを迎える前、風疹の免疫を持っていない成人男性にこれくらい接種すれば流行は防げますよという数理モデルの研究をやったのですが、実施には至りませんでした。それまでは中学3年生の女子にほぼ100%接種していたのを、1992年に日本では0歳から6歳の小児を対象に接種するようになりました。9割5分以上の接種率を達成しています。でも、接種しないままにいた男の子のことを忘れていました。だから2010年以降に免疫のない成人男性での流行が顕在化しています。

 集団レベルの免疫や疫学の研究で、集団としてこのグループは流行から守られているかとか、免疫を持っている人がどのくらい足りないかといった分析がないがしろにされてきてしまったことがこの背景にあります。

集団予防接種が復活する日が来る?

――インフルエンザに関しては、子どもの集団免疫をつくることが有効ならば、小学校の集団予防接種が復活することはないのでしょうか?

西浦 いつか必ずそういう風が吹くと思っています。ただ、政策的なニーズがない中で科学的に正しいと言ってもだめなんですよね。風疹が流行する前、免疫のない成人男性に再接種するにはこれくらいのワクチンが必要だという試算を厚生労働省に持って行ったんですが、「お金が降ってきたらいいんですけどね」と言われて、その日の会議は終わりました。3カ月後、流行が始まって、「ほらね」とか言っても後の祭り(笑)。ある程度ニーズが政策の中で熱くなってないと物事が動きません。僕たちができることは、研究者としてこつこつと質の高いエビデンスを生み出しておくことだと考えています。

――ハイリスクの人たちへの予防接種にこだわっていたアメリカは変わってきたのでしょうか?

西浦 アメリカでは2009年にパンデミックワクチンを急いで準備しなければならなくなって、誰から接種すればいいのかという論争が巻き起こりました。集団免疫を求めるのか、ハイリスク層から接種するのかを決めるとき、ラッキーなことにワクチンの製造がとても早く進んで両方の層に打つだけのワクチンが確保できたのです。それをきっかけに、ハイリスク層の高齢者と小児が両方とも優先接種のガイドラインに入ることになりました。日本も新型インフルエンザの行動計画を改定したときに、アメリカにならって高齢者と小児がやっと入りました。しかし、季節性のインフルエンザに関しては、まだ何か動くという話はありません。

――アメリカで州ごとの差がデータで出てくるようになると、また変わってくる一つのきっかけになるのでしょうね。感染症というともう1つ大きなトピックは豚コレラですね。

イノシシに「集団免疫」をつける

西浦 岐阜県を中心に広がっているのが古典的な豚コレラでCSF (Classical Swine Fever) と言います。もう一つが中国で広がっているASF=アフリカ豚コレラ (African Swine Fever) です。感染力はASFのほうがCSFよりも圧倒的に強いのですが、日本にはまだASFは入ってきていません。感染の伝播を防ぐために、感染豚が出たところでは健康な豚も含めてすべて殺処分するのでかなりの経済的被害が生じます。岐阜の近隣県にじわじわと拡散していますが、それがすべて野生のイノシシの徒歩圏内です。養豚場の餌を食べにやって来たイノシシが感染していて、養豚場の家畜に伝播すると考えられています。野生のイノシシは殺処分しようにもきりがないくらい数が多いので、子どもたちを捕獲してワクチン接種してからリリースしてイノシシの集団免疫を上げようという検討が岐阜大の獣医学部を中心にされています。

――野生のイノシシの集団免疫を上げる?

西浦 はい。今のところ制御がうまくいってますから、まだそのくらいのスピードで大丈夫そうです。中国では西部にある3省を除いて、すべての省で感染が報告されています。

――そもそも野生のイノシシはどうして豚コレラに感染したのですか。

西浦 そこがわからない。感染した動物が放たれたとか、鳥から感染ダニが落ちてイノシシについたとか考えられますが、普通は地面を伝って伝播します。自動車のタイヤとか靴についた土です。観光客の靴がもし汚染されていて、それで観光農場に行ったりすると、そこから感染する可能性があります。そのリスクのほうが確率論としては圧倒的に高いでしょう。

 感染力の強いASFについては、日本に入ってきたときには、ある程度の規模になってから見つかるのですが、その時に殺処分できる範囲だったら何とかなると思います。そこが分かれ目です。

――それは数理モデル的に説明できるのですか?

西浦 口蹄疫に関しては、そういう実証の数理モデルがあります。殺処分を開始して土の中に埋めて消毒液をかけた完了日までの日数が短くなったときに流行がはっきりと下火になり始めます。ここから得られる教訓は、口蹄疫の流行が起こったらどれだけ無理をしても人を出してもらって、穴を掘って埋める必要があるということです。

――お忙しいところ、ありがとうございました。


(聞き手・藤田正美、まとめ・前濱暁子)