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老化のメカニズム 京大・藤井紀子教授が解明 −白内障で目が濁るのはアミノ酸の変化が原因−
2009年12月

京都大学原子炉実験所教授 藤井紀子

話:
京都大学原子炉実験所教授 藤井紀子(専門:生化学)
研究プロジェクト『さきがけ研究21「場と反応」領域』 第一期生(1994〜1997年)
【略歴】1951年東京生まれ。1980年東京医科歯科大学大学院医学研究科博士課程同単位取得満期退学。筑波大学化学系、武田薬品工業株式会社開拓第1研究所、科学技術振興事業団「さきがけ研究21−場と反応」領域・専任研究者、京都大学原子炉実験所・放射線生命科学研究部門・助教授を経て2002年より現職。1998年第3回「日本女性科学者の会」奨励賞受賞。

取材・文:JST 永井諭子

私たちの体をつくる重要な物質の一つアミノ酸には、立体構造が左右対称な「左手型」(L体)と「右手型」(D体)がある。ところが、体内で新たに合成されるアミノ酸はL体だけとみられ、研究者はD体(D−アミノ酸)にはほとんど関心を示さなかった。生体内のアミノ酸の片手構造の不思議さに惹かれ、筑波大学時代から“辺境の領域”D−アミノ酸にこだわり続けてきたのが藤井紀子さん。いま、次々と新事実を突きとめ、世界中を驚かせている。

「D−アミノ酸でタンパク質の老化が説明できるのではないか」。当時の藤井さんの仮説の斬新さと独創性の高さをいち早く見抜いたのが、1994年から始まった研究プロジェクト(さきがけ研究21「場と反応」領域)を取りまとめていた選考委員の吉森昭夫さん(当時・岡山理科大学教授)らだった。今こそ、この研究を支援すべきたと考えた。そして、研究テーマ「老化とD−アミノ酸 −白内障の根絶へ向けて−」は萌芽的かつ挑戦的なテーマとして採りあげられ、藤井さんの研究に大きなチャンスをもたらした。

今年、藤井さんは初めてのD−アミノ酸に関する国際会議を開催し、初代運営委員長を務めた。新しい研究領域で最前線を走る藤井さんの今を取材した。

D−アミノ酸とはどんな物質なのですか

タンパク質の構成要素であるアミノ酸には、元素の種類や数が全く同じでも立体構造が鏡をはさんで互いに左右対称の関係にあるD体とL体とがあります。これを光学異性体とよびます。

アミノ酸を実験室で合成するとD体とL体は1:1の割合で生成されます。ところが、“地球上の生物はL体しか生成しない”というのがこれまでの常識でした。しかし近年の光学異性体分析技術の発展で、生体内の様々な組織でD体が存在していることがわかりました。

これまでの研究でわかったことは

生体内のタンパク質の中で、アミノ酸がL体からD体に変わりやすい場所があることを突きとめました。

例えば、ヒトの眼の中の水晶体は主にα−クリスタリンというタンパク質でできています。その中のアスパラギン酸というアミノ酸が、非常に多い割合でL体からD体に変わっている場所を特定し、その反応の仕組みを初めて明らかにしました。水晶体はタンパク質が整然とした構造を保つことでレンズとしての機能を果たしますが、タンパク質中でD−アミノ酸が生じると、そのタンパク質の構造が大きく乱れ、本来の役割を果たさなくなります。これが白内障の一因になると考えています。

D体の存在は、老化によって発症するいくつかの病気と密接な関わりがあるのです。

アミノ酸が体内でつくられたときはL体のはず。なぜD体に変わってしまうのですか

タンパク質を構成するアミノ酸は20種類あります。なかでもアスパラギン酸というアミノ酸は、その構造上、L体からD体に変わりやすい性質があります。アスパラギン酸の隣に何がついているかが特に重要です。隣がグリシンやアラニン、セリンなどのようなアミノ酸のときに、アスパラギン酸がL体からD体に変化しやすいことがわかりました。

そうなると水晶体だけでなく、他の組織にも広くこのような配列を持ったタンパク質があるはずです。そこで、ヒトの皮膚を調べたところ、D−アスパラギン酸を多く含むタンパク質を見つけました。紫外線や活性酸素などのストレスがL体からD体へ変わる原因になっていると考えています。

いったんD体に変わったアミノ酸を元に戻せれば、老化を止めることもできるでしょうか

可能性はあります。どのようにしたらタンパク質中のD−アミノ酸の生成を止められるか。このアミノ酸を修復する機構はないのか。これらの問題を解決して、様々な疾患の予防や治療薬の開発につなげることが私たちの夢です。

今後、どのような研究に取り組む予定ですか

加齢にともなって、私たちの体の様々なところでタンパク質中のアミノ酸がL体からD体へ変化しています。変化したアミノ酸の周辺は、どのような立体構造をもっているところなのかを明らかにし、その共通点を拾い出すことが、白内障やアルツハイマー病などの原因解明に繋がると考えています。

大学の医学部などと協力して、D−アミノ酸に反応する抗体を使った研究をしており、失明の可能性もある加齢性黄斑変性などの深刻な病気の原因解明にも取り組んでいます。

国際会議で初代会長を務めたご苦労をお聞かせください

今年7月に兵庫県の淡路島で世界初のD−アミノ酸に関する研究の国際会議を開催しました。1980年代までは、生体内のD−アミノ酸をテーマにする研究者はほとんどいませんでしたが、現在は世界中で研究競争が繰り広げられ、私たちの研究も国際的に高い評価を受けています。私は5年前から、この分野の最初の国際会議を是非とも日本で開きたいと考えていまして、国内の研究仲間の後押しもいただき、ようやく実現しました。

淡路島で開催することにも特別な思いがありました。「国生み神話」によると、イザナギノミコトとイザナミノミコトが天の沼矛(ぬぼこ)で、ドロドロとした海原をかき回し、その矛先からしたたり落ちたしずくが固まってできた最初の島が淡路島とされています。いわば日本発祥の地であるとされています。D−アミノ酸の研究は、今まさに混沌とした状態から新しい研究領域に成熟してきたところだけに、今回の会議にふさわしい場所だと考えました。

会議には世界中から多くの若い研究者も参加しました。次回は3年後にドイツでの開催が決まっており、順調なスタートを切ったと考えています。今後も関連する研究を行っている研究者に働きかけ、この国際会議の充実を図っていきたいと考えています。


国際会議の参加者たちと、淡路島の会場にて


次回の運営委員長(ドイツ人研究者)らとともに。中央が藤井紀子さん

藤井さんは、「難しい研究テーマに出会えることは研究者のよろこび」と語る。私たちにとって、年齢とともに避けられない宿命が老化現象である。この老化研究にもようやく曙光が差しはじめ、将来に希望がもてるようになった。

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