科学技術振興事業団―エール大学 国際共同研究プロジェクト
研究領域「超分子ナノマシン」の研究基本計画


研究構想:
 生体高分子から、細胞小器官、細胞、個体まで、様々なレベルで観察される生体の「動き」は、人間から単細胞生物に至るまで生命活動の基本的機能であり本質的な表現型である。しかもそれらの「動き」を素過程で駆動するのは、筋収縮など個体レベルの動きから細胞膜越しのイオン輸送まで、全て蛋白質や核酸などの生体高分子が集合し複雑な立体構造を持つ超分子、すなわちナノスケールのアクチュエータである。細菌べん毛は、20数種類の蛋白質がそれぞれ数個から数万個自己集合して形成する超分子ナノアクチュエータで、高速回転モータ、摩耗のない軸受け、自在継ぎ手、高精度スイッチ機能を持つらせん型プロペラなど、自然がナノスケールで実現した様々な機械的動作のしくみが凝縮されている。細胞内で合成したべん毛蛋白質をべん毛先端まで輸送して複雑なナノスケール構造体を効率よく自己構築する機構や、直径30ナノメートル程のモータが10の-16乗ワット程度のパワーと100%に近いエネルギー変換効率で高速回転するしくみなど、未来ナノテクノロジーの要素技術がふんだんに使われている。

 21世紀の産業を支えるであろうとの大きな期待がかかるナノテクノロジーでは、個々の原子を機能部品としてナノマシンやナノデバイス構造を組み立てる技術がその究極の姿であるが、物質構造の自己組織化という性質を活用できない限りナノマシンやナノデバイスの大量生産は不可能であり、よって有効な産業応用への道も開けない。その点、蛋白質や核酸などの生体高分子はナノ立体構造の自己組織化能力を持ち、それにより大量生産という、ナノテクノロジーにとっての高いハードルをすでに克服している。20数種類の蛋白質が順序よく集合して複雑な立体構造を自己構築する細菌べん毛は、その典型的な例である。(図参照
 現在の工学技術が遙かに及ばないこれらのナノ構造構築技術や超高効率微小エネルギー変換機構を解明し、その設計原理を学び、将来の人工ナノマシンや超高集積インテリジェントデバイス等の構築に役立てるためには、個々の原子を機能部品としてボトムアップ的に高精度に組み上げられる超分子ナノアクチュエータの立体構造を原子レベルで解明するとともに、そのしなやかな動作、エネルギー変換、信号伝達処理の挙動を計測し、理論的考察を加えて、システムとしての動作機構を明らかにする必要がある。本研究プロジェクトで目指すのは、X線構造解析法、極低温電子顕微鏡法、光学顕微ナノ計測法等の先端計測技術を開発、活用し、遺伝子工学的解析手法と組み合わせることで、超分子ナノアクチュエータの高精度でかつしなやかな、熱ゆらぎまでもうまく取り入れて動作する巧妙なしくみの解明を通して、バイオナノテクノロジーの基盤づくりをすることである。

 難波啓一を代表者とする日本側の研究グループは、難波自身が米国大学での5年間の博士研究員時代に行ったタバコモザイクウイルスの全原子立体配置とそれに基づく自己構築制御機構の解明を初めとして、ERATO宝谷超分子柔構造プロジェクト、松下国際研究所、ERATOプロトニックナノマシンプロジェクトの計15年間にわたる細菌べん毛の構造機能研究を通して、常に一貫して、超分子立体構造解析のための最先端の計測装置や解析ソフトの開発を進めつつ、超分子構造とその動作機構の研究を行ってきた。関わった技術開発は、主としてX線回折や極低温電子顕微鏡像の画像解析による超分子立体構造解析手法である。ここ数年はそれらに加えて、光学顕微ナノ計測による一分子モータ回転計測法の開発も進め、高分解能の立体構造解析とともに高分解能の分子動態計測を並行して進めることで、超分子動作機構の統合的解明を推進する研究体制を確立している。ただし、超分子の動作機構を十分に理解し、その自己構築機構や高効率のエネルギー変換機構を解明し有効に活用して、産業応用に展開するためには、こういった計測技術や解析技術の開発をさらに継続して進め、より高分解能での計測と解析を実現する必要がある。特に極低温電子顕微鏡による超分子立体構造解析技術は、個々の超分子の立体構造をその様々な機能状態の場面で観測できるという高いポテンシャルを持つだけに、将来、生命科学やバイオナノテクノロジーの基盤技術として強力でかつ必須な武器になると考えられ、十分な投資による技術開発を行うことが強く望まれる。細菌べん毛はその構造の規模や複雑さからも、こういった技術開発の対象試料として最適なものである。

 そうした技術開発なくしては、生体超分子ナノアクチュエータやナノマシンの設計原理や動作機構の解明は不可能であり、自己組織化や高効率エネルギー変換機構などのすばらしいポテンシャルを産業応用に展開することはできない。それは超分子動作の素過程にひそむ基本的な物理原理を解き明かすことによって初めて実現できることであり、そしてそれは、膨大な数の原子から構成される複雑な立体構造の変化を詳細に観察し追跡することによってのみ可能になる、大変困難な研究課題でもある。しかし、その物理原理が明らかになれば、その応用展開が可能な領域はデバイス産業から医療まで、あらゆる分野に拡がる可能性がある。バイオナノテクノロジーは、もちろんナノサイエンス、つまり基礎科学として重要な研究分野であることはいうまでもないが、近未来の産業応用が近い科学技術としても無限の可能性を秘めている。

 今回想定している相手側代表者のMacnab教授は、遺伝学・生化学的な手法を中心にして、細菌べん毛モータやべん毛蛋白質輸送装置に関する研究を世界に先駆けて先進的に進めている。日本側の難波グループには、X線や電子顕微鏡、光学顕微ナノ計測技術を用いて超分子の構造解析や動作計測で多くの実績をあげている優れたスタッフがおり、両グループはずっと以前から協力関係にあり、ここ数年は特に蛋白質輸送装置に関する共同研究を、研究スタッフの行き来も含めて行っている。両者が国際共同研究体制のもとに協力し、その相互補完的な協力関係をさらに本格的に展開することできれば、世界的に見てもまれにみる強力な研究チームとなり、生命科学やナノテクノロジーなど、広い分野に対してインパクトの大きな研究成果が生まれることが期待される。

 研究対象として取り上げた細菌べん毛という超分子ナノアクチュエータは、それを構成する数千万個の原子それぞれが機能部品として高精度にかつしなやかに組み上げられており、その複雑な高次構造から産み出される動作のしくみの解明には、ありとあらゆる計測技術や実験手法を適用することが必須である。目標とする成果の達成は、この国際共同研究チームの相互協力なしにはあり得ない。

 この国際共同研究から期待される成果は、ナノ構造構築技術や超高効率微小エネルギー変換機構の解明などの、基礎科学的な重要課題に関するものだけではない。例えば、べん毛蛋白質輸送装置が菌体あたり数百万分子の蛋白質を直接細胞外へ分泌する能力を応用して、様々な有用蛋白質の大量生産系を構築し、培養液中に分泌させ、その培養液上清から容易に単離精製する技術開発も可能である。また、べん毛蛋白質輸送装置が、赤痢菌、サルモネラ菌、病原性大腸菌など、多くの病原菌の病原性発現因子である蛋白質の分泌系と遺伝子的にも立体構造的にも高い相同性を有することから、この蛋白質輸送機構の解明が医療分野へ大きな影響を与えることは必至である。

目標:
 本国際共同研究では、高分解能の構造解析法および機能動態解析法を用いて細菌べん毛の自己構築、蛋白質輸送、力学的スイッチング、モータートルク生成及び超高効率微小エネルギー変換の分子機構を明らかにし、べん毛の回転モーター機構の解明を目指す。
 具体的な項目として、
1) べん毛構成蛋白質が順序よく正確に集合し、べん毛を自己構築する機構を解明する。
2) べん毛構成蛋白質がべん毛タイプⅢ蛋白質輸送装置によって選択的に輸送される機構を解明する。
3) べん毛を構成している各部品に備わったさまざまな力学的機能が、それぞれ異なった立体構造によって産み出されるしくみを解明する。
4) 回転子と固定子の蛋白質間相互作用によって発生するトルク生成機構を解明する。
5) べん毛モーター回転の原動力となっているプロトンのエネルギー変換機構を解明する。
6) べん毛モーターの反転制御機構を解明する。

 上記の目標を達成する為に、日本側の研究チームは主としてべん毛やその各部の機能動態計測や構造解析を行い、米国側の研究チームは主として遺伝学的、生物化学的、物理化学的な分析に取り組む。


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This page updated on December 20, 2002

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