科学技術振興事業団報 第257号
平成14年9月19日
埼玉県川口市本町4-1-8
科学技術振興事業団
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人工原子中の電子の振る舞いから量子コンピュータのメモリ応用の可能性を確認

― 電子スピン量子コンピュータ実現へ一歩近づく ―

 日本電信電話株式会社(以下NTT、本社:東京都千代田区、代表取締役社長:和田紀夫)と科学技術振興事業団(以下JST、埼玉県川口市、理事長:沖村憲樹)は、東京大学およびNational Research Council of Canadaの協力を得て、人工原子(*1 図2参照)を量子コンピュータ(*2 図1参照)のメモリ(量子ビット *3)に応用できる可能性を示し、量子コンピュータの実現に向けて一歩近づくことができました。実験は、電圧によって自由に電子の数を制御することのできる半導体人工原子と、電子の出入りを時間的に制御することのできる新しい電気的ポンププローブ測定(図3参照)を用いることにより、人工原子の中で電子スピン(*4)に関わる選択則(*5)が、自然界にある原子の場合と同様であることを世界に先駆けて実証したものです。これにより人工原子中の電子スピンが、量子コンピュータの演算の基礎となる0か1を表すメモリとして、充分な時間その記録を保持できる可能性を示したと考えられます。

<背景>

 電子は自転していて、電子スピンと呼ばれる微小な磁石として振る舞います。この電子スピンは従来のデバイスでは用いられませんでしたが、近年、電子スピンを用いた磁気センサーや電子デバイス(スピンエレクトロニクス)のほか、とりわけ量子力学によって超高速並列計算を目指す量子コンピュータへの応用が期待されています。量子コンピュータは、従来のコンピュータでは数万年かかるような計算を瞬時に解くことができるため期待が高まっていますが、多くの技術的課題を克服して実用化するためにはまだ数10年かかるといわれています。量子コンピュータの動作原理は従来のコンピュータと大きく異なり、(1) 量子情報を記録するメモリ(量子ビット *3)、(2) 論理演算を行う量子ロジックゲート(*6)、(3) 量子ビットの読み出し技術、(4) これらの集積化技術―などを確立する必要があります。また、量子コンピュータでは、メモリの保持時間以内に、全ての量子演算を実行する必要があるため、量子演算に要する時間よりもはるかに長いメモリの保持時間を有する事が要求されます。量子コンピュータ実現のため多くの方式が検討・実験されています。半導体人工原子中の電子スピンを用いた電子スピン量子コンピュータは、電子スピンの状態の保持時間(メモリの保持時間)が量子演算時間に比べ十分長い可能性があるため、有力候補の1つとみられています。今回の成果は、電子スピンのメモリとしての性質を調べたものであり、その保持時間、すなわちエネルギー緩和時間(*7)が十分に長いことを実証したものです。

<実験および成果の内容>

 本研究は、人工原子の電子スピンが自然界の原子の電子スピンと同様の性質があることを証明し、そのことから量子コンピュータへの応用の可能性を導いたところにあります。実験では、電圧によって自由に電子の数を制御することのできる人工原子と、電子の出入りを時間的に制御することのできる電気的ポンププローブ測定を新たに考案し用いることにより、メモリとして応用する場合の性能指標の1つであるエネルギー緩和時間を調べました。
 今回用いた人工原子は半導体積層構造を電子ビーム露光技術などで作成したもので、制御電圧によって人工原子中の電子の数を0個から正確に制御できるという特徴があります。通常の原子になぞらえて、電子1個の場合を人工水素原子、2個の場合を人工ヘリウム原子と呼びます。
 今回、電気的ポンププローブ測定を考案したことにより、従来の光学測定において正確な測定を阻んでいた電子と正孔がペアで生成されるという問題を解決し、人工原子への電子1個の出入りを時間的に正確に制御可能としました。これにより、エネルギー緩和時間の正確な測定が可能になりました。
 今回の実験では、人工原子をエネルギーの高い状態に励起してから、エネルギーの最も低い基底状態へ変化するエネルギー緩和時間を測定し以下の結果を得ました。
(1) 人工水素原子のエネルギー緩和時間は、3~10ナノ秒(ナノは10億分の1)
(2) 人工ヘリウム原子では0.2ミリ秒(ミリは1000分の1)
(3) 両者のエネルギー緩和時間には、2~6万倍の差がみられた(図4参照)。
この違いは、スピンの変化を伴うエネルギー緩和が起こりにくいため、スピンの変化を伴わない人工水素原子に比べて、スピンの変化を伴う人工ヘリウム原子では、エネルギー緩和時間が著しく長くなるためです。これは、通常の原子(水素原子、ヘリウム原子)でみられる光の選択則と同様の現象であり、スピンが変化しない場合にエネルギー緩和が起こりやすいという選択則によって説明することができます。そして、この大きなエネルギー緩和時間の違いが観測されたことは、人工原子の品質の高さを表しています。
 以上の実験結果をもとに、電子スピンをメモリとして用いた場合のエネルギー緩和時間は1ミリ秒を越えると推定されます。この時間の長さは、量子演算に必要な時間(他の研究機関によると数ピコ秒)よりもはるかに(10億倍程度)長く、人工原子の電子スピンを量子コンピュータのメモリに充分利用できることを示唆しています。

<今後の展開>

 今後は更に、論理演算を行う量子ロジックゲートの実現、メモリである電子スピンの状態の読み出し技術などについて研究を進め、電子スピン量子コンピュータの実現を目指します。


<用語解説>
・図1従来のコンピュータと電子スピン量子コンピュータの比較
・図2人工原子
・図3電気的ポンププローブ測定
・図4人工原子のエネルギー緩和時間測定の結果

<本件に関する問い合わせ先>
NTT先端技術総合研究所 企画部 相原 公久、甕 礼史
TEL: 046-240-5152 FAX:046-270-2365
科学技術振興事業団 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第二課長 蔵並 真一
TEL:048-226-5641 FAX:048-226-2144


This page updated on September 19, 2002

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