補足資料


1. 利根川先生の成果と今回の成果の相違点
 染色体DNAの塩基配列は、ヒトのすべての細胞において同一であると考えられてきた。実際、受精卵と皮膚細胞が全く同じ遺伝情報を共有するがゆえに、クローン羊のように皮膚細胞の遺伝情報から個体を作製することができる。そしてこのドグマを打ち破ったのが、利根川先生の成果である。すなわち、“染色体DNAの塩基配列は、ヒトのすべての細胞において同一である”というルールの例外がリンパ細胞の抗体遺伝子であることを彼等は見い出した。具体的には、Bリンパ細胞が個体のなかで生産、成熟される過程で抗体をコードする遺伝子が複雑なDNA組み換え反応を起こすことを彼等は発見した。したがって、Bリンパ細胞の抗体遺伝子に関しては、“染色体DNAの塩基配列は、ヒトのすべての細胞において同一である”というルールは成立しない。しかも、DNA組み換えのやり方が少しずつ異なる結果、各成熟Bリンパ細胞はそれぞれ異なる塩基配列の抗体遺伝子を持っている。成熟Bリンパ細胞は抗原と出会った後に、さらにその抗体遺伝子の塩基配列を1塩基置換により変化させる。この塩基置換も“染色体DNAの塩基配列は、ヒトのすべての細胞において同一である”というルールの例外であり、これも利根川先生の成果である。

 以上に述べた現象(DNA組み換えとDNAの塩基置換)が利根川先生によって発見されたのに対して、これらの生化学反応の分子機構は現象の発見からかなり遅れて解明された。V(D)J DNA組み換えの分子機構は、D. Baltimore(現在、カリフォルニア工科大学学長)によって1980年代後半に解明された。一方、塩基置換の分子機構はこれまで全くわかっていなかった。それに対して我々の研究は、XRCC2、XRCC3などの分子が機能しなくなることによって塩基置換がドラマチックに抗体遺伝子で増加することを明らかにした。
   
2. なぜ、ニワトリを使うのがよいのか
 各遺伝子産物(タンパク分子)の機能とそれらの機能的相互作用を解析する手段には2種類しかない。1つ目は機能の再構成であり、2つ目は機能の破壊である。”再構成”とは、試験管内に1〜複数種類のタンパク分子を入れその活性を生化学的に検出したり、細胞や個体に特定の外来遺伝子を発現させ新たに出現する機能を解析する実験方法を指す。また、コンピューター上で、各タンパク分子の性質を定義した後に複数種類のタンパク分子が混合された状態で何が起こるかを再現するような研究方法も”再構成”実験系と呼べる。一方、”機能の破壊”の実験系とは、細胞や個体レベルでインヒビターや遺伝子ノックアウト(変異クローンの作成)を使って特定のタンパク分子のみの機能を抑制した時に何が起こるかを解析する方法である。これは大型計算機の多数のROMを1〜?数個はずしては起動させ、そのROMの役割を調べることによって全体を理解する解析方法に似ている。両方の実験方法を比較した時に、転写やDNA組み換えのようにその生化学反応に参加する多種類の分子が全部同定されていないような反応系の解析には、 ”機能の破壊”の方が”再構成”より実験をデザインしやすいことは言うまでもない。また、外来遺伝子を強発現することは様々なアーチファクトのデータを生むことも良く知られている。
 ニワトリBリンパ細胞株、DT40は、高等真核細胞で唯一系統的な”機能の破壊”の実験が行なえる実験系である。すなわちDT40では、ヒトやマウスのあらゆる細胞に比べて遺伝子ノックアウトがはるかに高頻度に起るので、容易に様々な既知の遺伝子の機能を、その遺伝子の欠損細胞をDT40から作製・解析することにより明らかにすることができる。我々は、DNA組み換えやDNA合成に関与することが予想される遺伝子を人工的に欠損させたDT40細胞株を系統的に作製し、他の研究者に分与してきた。多種類の遺伝子の欠損細胞を短期間に作製・解析することにより多種類のタンパク分子が関与する塩基置換も数年以内にその全貌が明らかになるであろう。

This page updated on August 30, 2001

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