研究主題「細胞外環境」の研究構想

関口 清俊(大阪大学蛋白質研究所 教授)

1. 研究の概要

 我々の身体は、1個の受精卵から派生した数十兆個の細胞と細胞間に張り巡らされた繊維状構造物(細胞外マトリックス)よりできている。細胞外マトリックスには、細胞の機能を制御する様々な情報が書き込まれており、細胞は表面の受容体を使ってこの細胞外マトリックスに書き込まれた情報を読みとり、その情報によって細胞死を回避し、増殖および分化の制御を行っている。細胞外マトリックスは、以前考えられていたような細胞間の単なる詰め物ではなく、多細胞生物(動物)を構成する細胞の生存と増殖・分化の制御に不可欠な細胞外環境因子である。
 細胞の増殖と分化に関する研究は、これまで増殖因子やサイトカインのような体液中に微量含まれる液性因子を中心に進められてきた。しかし、細胞が周囲のマトリックスに接着し、足場を確保できなければ、これらの液性因子がいくらあっても細胞は増殖することも、生存を維持することもできない。この性質は、"細胞増殖の足場依存性"と呼ばれ、多細胞生物を構成する細胞の基本的な属性の一つである。細胞外マトリックスと液性因子 は、細胞の増殖・分化を制御する車の両輪の関係にあり、細胞外マトリックスに書き込まれた情報を解読することなしに、我々の身体を構成する細胞の増殖・分化の機構を理解することは不可能である。
 本研究は、このような細胞外マトリックスの役割に注目し、細胞外マトリックスの組成や機能を積極的に改変した高機能人工マトリックスを設計・構築することにより、生体外や生体内での細胞の増殖、分化を人為的に制御する新しいキーテクノロジーの芽を探索しようとするものである。具体的には、臓器実質細胞の足場となる基底膜に注目し、細胞や組織のタイプに特異的な基底膜の分子組成を明らかにするとともに、基底膜蛋白質に書き込まれている細胞制御情報の実体とその細胞内への伝達機構を明らかにする。また、マトリックス蛋白質の自己組織化の分子機構を解明し、そこで得られた知見に基づき、人工マトリックスの構築に不可欠な自己会合モジュールを設計・開発する。この自己会合モジュールと各マトリックス蛋白質に固有の細胞制御のための情報モジュールを組み合わせることにより、特定の細胞・組織の増殖、あるいは分化誘導・維持に最適化された人工マトリックスの構築を行う。細胞の増殖・分化の制御には、マトリックス因子の他に、増殖因子、サイトカインのような液性因子も不可欠である。本研究では、人工マトリックスに液性因子を積極的に組み込むことにより、天然の 基底膜を越えたインテリジェント細胞外環境の設計・開発を目指す。
 臓器実質細胞の増殖および分化の制御技術は、重要課題であるといわれる「再生医学」と「組織工学」の成否の鍵を握る基盤技術である。細胞外環境設計による細胞の増殖・分化の制御は、転写因子やシグナル伝達因子を標的とした制御と比較すると、生体外や生体内での応用へのギャップが少ないと見られ、ハイブリッド人工臓器のための臓器実質細胞の生体外大量培養や生体内での組織・器官の再生に大きく貢献することが期待される。

2. 研究の進め方

 本研究では、(1)マトリックス情報、(2)マトリックス構築原理、(3)人工マトリックスの3グループを設定し、相互に密接な連携を保ちつつ研究を展開する。それぞれのグループでは、マトリックス分子の情報分子としての生物学的な側面と超分子集合体としての化学的な側面を統合的に関連させながら研究を進め、特定の細胞・組織に最適化された超機能細胞外環境の構築を目指す。

3. 研究項目
(1) マトリックス情報
 マトリックス分子からレセプターを介して細胞内に伝達されるシグナルの実体を究明し、細胞外マトリックスによる細胞増殖・分化の制御の分子機構を明らかにする。
 また、個々の組織・器官に固有な細胞外環境の分子組成をマトリックス分子の精製および構造解析を通じて明らかにするとともに、各マトリックス分子の組織特異的な発現パターンを網羅的に解析し、データーベース化する。
(2) マトリックス構築原理
 マトリックス分子が情報分子として機能するためには、それ自身が重合して固有の超分子構造に組織化される必要がある。マトリックス分子の多くは、複数の"手"(自己会合ドメイン)をもつオリゴマー分子である。(a)各マトリックス蛋白質の構成サブユニット鎖のオリゴマー化と(b)オリゴマー分子の重合による超分子化の機構を解析し、細胞外マトリックスの構築原理の分子的基盤を明らかにする。また、得られた知見に基づき、特異性の異なる自己会合能をもつ人工マトリックスモジュールの設計を行う。
(3) 人工マトリックス
 (1)と(2)の研究と密接な連携を保ちながら、組織特異的に発現するマトリックス分子のレセプター結合ドメイン(情報モジュール)と人工マトリックスモジュールを組み合わせ、個々の細胞・組織に最適化された人工細胞外環境を設計・構築し、その機能評価を行う。また、増殖因子やサイトカインなどの液性因子を組み込んだ超機能人工マトリックスの開発を進める。
4. 研究期間

 平成12年10月から5年間


This page updated on April 27, 2000

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