研究主題「量子計算機構」の研究構想

今井 浩(東京大学大学院理学系研究科助教授)

1. 研究の概要

 20世紀中頃に発明されたコンピュータは、科学技術から社会活動まで世界を一新させた。しかし、21世紀を望み見たとき、電子デバイス性能向上による既存計算方式の高速化の限界が見え、21世紀を支える全く新しい計算原理が待ち望まれている。既存の古典力学計算を離れ、量子力学原理のコヒーレンスのよい状態を量子遷移させて計算する量子コンピュータがまさしくその壁を破る新方式として注目されている。これは情報・物理にまたがる新学際研究分野であり、新量子デバイス技術開発と量子計算の新機構を両輪として初めて量子コンピュータが実現できる。量子計算機構の重要性を示すブレークスルーとして、量子コンピュータの実現が現在のインターネットセキュリティを支える公開鍵暗号の安全性の崩壊をもたらすという強力な理論が、1990年代半ばに出された。一方、インターネットのような古典的通信機構に取って代わり、次世代方式として量子暗号通信機構が提唱され始めており、量子テレポテーションなど研究室レベルの実験が開始されている。
 これまでの量子計算は、量子の重ね合せ状態をコヒーレンスを保ちながら量子回路記述に従って超並列的に量子状態遷移させていくものであった。しかし、物理的にコヒーレンスを追及するのみでは真の量子計算システムは実現できない。計算とは一連の人為的操作であり、その中でデコヒーレンスなど各種誤りの下で正しく計算できる制御機構が不可欠である。これまでの量子計算のブレークスルーでは、量子力学のもつ超並列性を活用する方法として、一般的な周波数スペクトル解析手法のみしか知られていない。
 本研究では、混合状態など既存量子計算で用いられていない幅広い量子力学全般の操作を計算機構の単位操作として用い、計算出力を得る量子観測についても量子ビットの統計的処理の操作に着目し、デバイスによる実現可能性を高める新量子計算機構を構築する。
 コンピュータとして量子計算が機能して工学まで展開するには、また設計のためにもシミュレートしていく技術が必要である。量子計算論に基づくソフトウェアを開発し、多岐に渡るシミュレーションを可能にする。誤り訂正機能を含む量子回路のデコヒーレンスのシミュレーションを通して、新量子計算機構のデバイスに関する柔軟性をも検証する。
 さらに、従来の光通信の21世紀発展形として量子通信にも踏み込む。本研究では、計算と通信を表裏一体のものとして量子計算通信機構を探究する。通信の量を定めるフォン・ノイマン型エントロピーを、量子回路のサイズと関連づけて量子回路最適化を行う。光量子通信での量子観測による状態収縮による盗聴検出に基づいて、古典通信で実現できなかった完全に安全な量子暗号システムを探索する。
 本プロジェクトにより量子コンピュータという物理から情報へと多岐にわたる先端分野を舞台として、計算制御という量子力学にとっても全く新しいレベルの量子計算機構によって生み出される多様な新世界を提示することが期待される。また、量子通信機構との一体化を通して、新量子技術の未踏領域を開拓していく。

2. 研究の進め方

 本研究では、(1) 量子コンピューティング、(2) 量子回路プログラミング、(3) 量子コミュニケーションの3グループを設置し、相互に連携を保ちつつ研究を展開する。それぞれのグループでは、量子計算のパワーに関する研究、そのシミュレーションシステムの開発と回路構成という最適設計の理論を推進し、量子コミュニケーションを有機的に加えて全体として従来の古典計算・通信を超えるための量子計算機構研究を推進する。

3. 研究事項
(1) 量子コンピューティング
 コヒーレントな量子重ね合せ状態を計算での表現方式とし、重ね合せ状態のもつ超並列計算性に立脚する量子計算の本質を明らかにする。量子ビットのなす状態空間の幾何構造上での量子情報・アルゴリズム理論を展開して、情報計算幾何構造を用いた研究を進める。これにより量子計算によってのみ可能になる計算パワーを解き明かす。
 規則的構造を活用した既存量子計算方式の限界を打破することを目指して、不規則構造も扱える計算機構として混合状態など未開拓な量子力学の種々の操作を計算単位として確立し、量子観測についても量子ビットの統計的処理の操作に着目して、量子力学操作の多面さを生かした全く新しい量子計算機構を構築する。
(2) 量子回路プログラミング
 量子計算が理論研究の段階から工学的に実現可能な段階に昇華するためには、量子コンピュータができる以前から量子計算が検討できることが必須で、クラスタ計算を用いたシミュレーションシステムを構築する。また、デコヒーレンスによる誤りを計算機構として克服する新しい誤り訂正方式の研究を推進し、デコヒーレンスも含めた量子回路シミュレーションを通して最適量子回路設計を目指す。これは、量子コンピュータにおけるプログラミング研究というべき未到達の分野であり、量子計算機構の工学に取り組む。
(3) 量子コミュニケーション
 計算量仮定に基づく古典的に安全なコミュニケーションにとってかわる、量子力学原理に基づいた完全に安全な量子コミュニケーション方式の確立を目指すため、量子暗号プロトコルを設計して新通信機構を構築し、量子テレポーテーションを量子中継として、長距離で安全な量子暗号の実験検証も行う。量子情報理論を量子情報計算幾何の側面からも深化させ、通信としての量子誤り訂正も含めそれらを量子コンピューティングへフィードバックさせてコンピューティングとコミュニケーションの有機的結合を実現する。
4. 研究期間

 平成12年10月から5年間


This page updated on April 27, 2000

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