研究主題「細胞力覚」の構想


 あらゆる細胞は機械刺激を感じて応答する。内耳有毛細胞、皮膚触覚器、内蔵伸展受容器などの機械受容器はもとより、ごく普通の非感覚細胞も機械刺激に応答する。植物の根や骨芽細胞は重力を感知して根の成長方向や骨形成を調節する。心筋への伸展刺激は時として不整脈や心肥大などの深刻な病理を招く。血管内皮細胞は血流や血圧を感知して血管平滑筋の収縮度を制御し、血圧の調節に寄与する。
 こうした外来刺激のみならず、細胞の成長、分裂、形態変化、運動に伴って細胞の各所に多様な力が発生して細胞応答を修飾している。このように細胞の機械刺激受容能は広範な生命現象を支える根本的な機能であり、基礎生物医学だけではなく、臨床医学や宇宙医学の発展に欠かせない極めて重要な研究課題である。これまでは研究手法の難しさから小規模な研究しか行われてこなかったが、以下に紹介する最近の画期的研究により、近い将来爆発的に発展する可能性が確実になってきた。
 上記のように広範な観察事実があるにもかかわらず機械刺激の受容から応答に至る細胞内の分子過程はまったく未解明の状態で推移してきた。その最大の理由は機械刺激の受容体(センサー)が未知であったことにある。この関門を最初に打ち破ったのは、今回の相手側代表研究者候補であるF. Sachsらによる機械受容チャネル(Mechanosensitive (MS)Channel)の発見である(1984年)。このイオンチャネルは機械刺激による細胞膜の伸展で活性化(開口)する。開口したチャネルを通して細胞外からナトリウムやカルシウムが細胞内に流入し、細胞に電気信号やカルシウム信号が発生して細胞内の様々な細胞応答が導かれる。
 その後の研究で、機械受容チャネルはあらゆる細胞に発現しており、細胞容積の調節、細胞分裂周期の調節、細胞運動の調節、そして重力感知への関わりなどが示唆されてきたが、残念ながら証明には至っていない。その原因は、機械受容チャネルの分子実体(遺伝子、蛋白質)が未解明であるために、強力な分子生物学的手法が使えないことにあった。1994年に別の米国のグループが大腸菌から機械受容チャネルの遺伝子を始めて同定したが、特殊な型のチャネルで高等生物に類似遺伝子は見つからないために足踏み状態であった。世界中の研究者がその遺伝子の同定に力を注いできたが、今年(1999年)に入って日本側代表研究者候補である曽我部らが、一般性のある機械受容チャネル遺伝子(mid1)を真核生物から同定することに成功した。この発見によって細胞の機械受容能の研究の飛躍的発展が臨める状態になったのである。

 本共同研究では、上記の成果を土台に、機械受容チャネルの構造と機能の関係、特異的阻害剤の開発、あるいは細胞応答における機械受容チャネルの役割の解明を目指す。さらには疾病や重力感知との関係など、これまで謎であった重要課題に取り組むための戦略の構築を行う。
 具体的には、次の事項について研究を進める。

1) 機械受容チャネル蛋白質の大量発現系の開発と結晶化に基づく3次元立体構造の決定(日本/米国)。
2) 機械受容チャネル遺伝子の突然変異体の作成と、高精度単一チャネル電流の解析に基づく、機械センサードメインの同定とその作動機構の解明(日本/米国)。
3) 分子構造に基づく特異的阻害剤の開発(米国)。
4) ヒト血管内皮細胞の類似遺伝子の同定とノックアウト系の開発に基づき、血圧調節における機械受容チャネルの役割を明らかにする(日本)。
5) 植物細胞の類似遺伝子の同定とノックアウト系の開発に基づき、重力感知における機械受容チャネルの役割を明らかにする(日本)。

 これらの研究において、日本側は主に分子生物学的・細胞生物学的研究を、米国側は、主に生物物理学的研究を行うことにより相補的に共同研究を進める。

 本研究により、細胞の機械感受性に関してこれまで報告されてきた膨大な観察結果に分子的基礎を与えることができ、臨床医学、宇宙医学、バイオメカニクスなどの応用科学をも巻き込んだ“メカノバイオロジー”とでも呼ぶべき新しい領域の誕生が期待できる。

・細胞力覚プロジェクトの概要

  A.MSチャネルの構造と機能の連関
  B.細胞応答におけるMSチャネルの役割解明

This page updated on December 24, 1999

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