Topics02 戦略的創造研究推進事業CREST「先進的統合センシング技術」/研究課題「災害時救命救急支援を目指した人間情報センシングシステム」 日本型の救命救急支援システムに求められる技術とは何か 高度化するトリアージ

トリアージとは、大事故などで多数の傷病者が発生した際に、その救命の優先順位を決める手段だ。
現在、情報工学との組み合わせによってより高度化、効率化を目指した電子トリアージ・システムの開発が進められている。
紙製のトリアージタグ
緑・黄・赤・黒の4色のマーカーがついている。緊急度によって端から色が切り離され、傷病者の手首などにつけられる。緑(歩ける状態)から黒(死亡もしくは救命困難)までで傷病状況を表わす。
 
情報工学の技術でトリアージを 高度化します。
東野輝夫(ひがしの・てるお)
1984年大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻博士後期課程修了。大阪大学助手、講師、助教授を経て、現在は大阪大学大学院情報科学研究科教授。工学博士。専門は情報工学など。
 

トリアージの現場では、多数の傷病者の病状判断を、限られた医療スタッフが行う。
 
電子トリアージタグ(2008)
電子トリアージタグの試作品。市販の機器をそのまま組み合わせて出来ており、「弁当箱のように」大きくて重かった。

従来の紙タグに代わる
電子トリアージ・システムの開発。

 電子トリアージ・システムの開発を進めているのは、東野輝夫 大阪大学大学院情報科学研究科教授が研究代表者を務める研究チーム。大阪大学、慶応義塾大学、静岡大学、順天堂大学、奈良先端科学技術大学院大学の、それぞれの研究室と共同研究を行っている。
 電子トリアージ・システムの前に、まずはトリアージを解説すると、トリアージとは災害現場などで救命の優先順位を決定することで、その判断基準としてSTART(Simple triage and rapid treatment)法が用いられている。START法では、傷病者の容体を30秒以内で4段階に判定し、4色のマーカーがついた紙製のトリアージタグに記載、これを傷病者につけてその判定結果を表示するという手法だ。基本的には、歩ければ「緑」、歩けないが呼吸ができる場合は「黄」、呼吸困難・ショックの兆候がある場合は「赤」、死亡ないし救命困難な場合は「黒」の表示となる。災害現場のような限られた医療資源(スタッフや機材)しかない場所で、多くの人命を助けるために、迅速かつ効率的に行うことを最優先にしている。

開発のきっかけは
JR福知山線の脱線転覆事故

 トリアージが日本の災害現場で初めて大規模に導入されたのは、2005年4月25日に発生したJR福知山線の脱線転覆事故だ。この事故は、東野教授が電子トリアージ・システム開発を志すきっかけにもなった。
 東野教授の専門分野は、情報工学やモバイルコンピューティングである。それがトリアージとどう結びついたのだろうか。
 「これまでに、モバイルコンピューティングでのソフトウェアのサービスや、ネットワークの構築といったものを研究していましたが、それ以外に、この技術をもっとも活かせる分野を模索していました。そんなときに、JR福知山線の事故を振り返るために放送されたNHKの特集番組を見ました」
 この番組では、日本で初めて大規模に導入されたトリアージに焦点があてられ、「病状の変化に対応できない」「重傷者の位置がわからなくなる」などの問題点や、トリアージそのものの限界が指摘されていた。
 「ここで指摘されている問題のいくつかは、情報工学の技術を応用すれば解決できると感じました。傷病者の脈拍や呼吸数などのバイタルサイン(生体情報)をセンサデバイスや無線チップを使って収集し、位置推定技術を用いて重傷者の位置をリアルタイムに推定できれば、指摘されている問題点や限界のいくつかを解消して、救命活動に役立てられると考えたんです」

電子トリアージ・システムの
高度な機能

 東野教授が開発している電子トリアージ・システムの概要は以下の通りだ。
 まず、傷病者に電子トリアージタグをつける。これは、小型のCPUを搭載したセンサ機器で、傷病者のバイタルサインの測定機能や位置推定機能が備わっている。また、タグの裏面にはSTART法の判定をボタン操作で実行できる機能も付いている。
 タグから得られた情報は、無線ネットワークにより基地局のサーバで収集され、傷病者の現在位置や病状の変化をリアルタイムで見ることができる。また、タグの情報は基地局を介して、救命スタッフが持つ携帯端末(iPodなど)でも確認できるようになっている。さらに、タグをつけた傷病者に急変があった場合には、警告音などで医療チームに知らせ、迅速な処置をうながす。
 これらの機能をうまくはたらかせることによって、番組で指摘されていたトリアージの問題点を、情報工学の技術によって解消できるシステムを目指している。2009年9月には、実際の医療従事者とともに、電子トリアージ・システムの実証実験が順天堂大学医学部付属浦安病院で行われ、このシステムの有効性が確認された。

電子トリアージ・システム開発の
2つの技術的ポイント

 東野教授は、電子トリアージ・システムの開発について、技術的なポイントとして、センサデバイス(電子トリアージタグ)の開発と位置推定技術の2点を挙げる。
 「センサデバイスの開発については、時間やコストの制約などもあり、ゼロからの開発ではなく、既存の機器を利用して最小限の改造で作ることになりました。ところが、最初に完成した電子トリアージタグの試作機は、既存の機器を単純に組み合わせたもので、大型で重量もあり、傷病者への負担が大きなものになってしまった。そこで、現場の医師などの意見を参考に、測定するバイタルサインを「脈拍」と「血中酸素濃度」の必要最低限の2項目に絞りました。多くの試行錯誤の末に、省電力化と小型軽量化に成功しました」
 一方、位置推定技術の開発にも多くの解決すべき問題があった。通常の位置推定方法では、GPSを使ったり、多くのランドマーク(基準点)を設置したりする必要がある。
 「しかし、トリアージを行うような災害現場では、ランドマークを思うように設置できなかったり、地下街などGPSが利用できない場所だったりすることが考えられます。したがって、多数のランドマーク設置や、GPSを前提にした位置推定技術は使用できません」
 そこで、東野教授が用いたのがレンジフリーと呼ばれる方法だ。これは、それぞれの端末(この場合は電子トリアージタグ)から発信される電波を、その他の端末やランドマークが「受信できる/受信できない」の判断によって位置推定をする方法だ。これなら少ないランドマークでも効果が上げられ、また複雑な位置計算の必要がないので、電池消費も抑えられる。ただし、このレンジフリーはGPSなどを用いる方法に比べると精度が高くない。そのため「さまざまな位置推定手法を併用して、さらに推定精度を向上させていきたい」と東野教授は語る。

社会的な救命システムとしての
認知を目指して

 電子トリアージ・システムの実用化に向けて、当面の目標としては病院内での利用を考慮しつつ、東野教授は今後の目標を次のように語る。
 「まずは、電子トリアージタグのさらなる小型化や省電力化です。また位置推定に関しても、もっと精度を向上させる必要があるでしょう。そのためには、救命スタッフが、対象となる災害現場を歩くだけで現場の地図を自動生成できるような技術を開発し、傷病者の病状や位置把握を短時間に高精度で行えるようにします。また、企業との連携も考えて、実用化への道筋をつけていきたいと思っています」
 そのうえで、消防庁やDMAT(Disaster Medical Assistant Team=災害派遣医療チーム)などの、トリアージに関係する機関からも意見を聞いて、電子トリアージ・システムが社会的な救命システムとして認知されることを目指していきたいという。
 世界では、大規模な事故や災害、紛争などで多くの命が失われることが、残念なことに少なくない。日本の救命救急をはじめとして、海外でのこうした現場でも、1人でも多くの命が救われるような、日本独自の電子トリアージ・システムの社会実装を期待したい。

電子トリアージ・システム
傷病者用電子トリアージタグ(2009)
小型化された電子トリアージタグ。脈拍と血中酸素濃度を計測する。定期的にバイタルサインを収集・転送することで、病状の急変などにも対応する。
TEXT:大宮耕一/PHOTO:大沼寛行