Topics01計画型研究開発「日本における子供の認知・行動発達に影響を与える要因の解明」の成果 “コホート研究”を知っていますか?(JSTニュース6月号)

子どもの社会性の発達を知るための5年間の研究開発プロジェクトが終了した。
このプロジェクトで用いられたのは、コホート研究という耳慣れない研究手法だ。
いったい、どのような研究で、どのような成果を社会へ発信するものなのか。
Part01 疫学の手法の1つとしてのコホート研究。

疫学の始まりは1850年代のコレラの流行から。

ジョン・スノーの地図

スノーがロンドンの地図にコレラ患者を記入したところ、集中的に患者がいる区域があった。そこは、ある水道会社のポンプによって水が供給される区域であった。

 コホート研究とは、大勢の人を長期にわたって追跡調査するもので、疫学で用いられる研究手法の1つである。  疫学というのも、一般には耳慣れない学問分野かもしれない。今回の研究開発プロジェクトの研究統括である山縣然太朗・山梨大学大学院医学工学総合研究部教授によれば、疫学とは、病気や健康の原因と結果の関係(因果関係)を明らかにする学問なのだという。そして、その研究には観察的な研究手法が用いられる。
 疫学の歴史は古く、1850年代にイギリスの麻酔科医ジョン・スノー(1813〜1858)がコレラの大流行に際して行った調査にまで遡る。スノーは、ロンドンの地図にコレラ患者を記入していき、コレラの感染と飲料水との関係に気づいた(右地図参照)。
 コレラの生理学的発症のメカニズムの解明からではなく、観察的研究によって、環境と病気の因果関係を明らかにし、真実を突き止めたこの事例は、疫学の典型とされている。


因果関係がもっとも明確にわかる手法、コホート研究。

社会に役立つ情報を追跡調査で知ります。

研究統括
山縣然太朗(やまがた・ぜんたろう)
1986年、山梨医科大学(現・山梨大学医学部)卒業。現在、山梨大学大学院医学工学総合研究部社会医学講座教授。2007年より山梨大学保健管理センター長を兼任。専門は公衆衛生学、疫学、人類遺伝学。

 疫学に用いられる観察的研究手法はいくつかあるが、大勢の人を長期間追跡調査するコホート研究は、もっとも時間とお金のかかる研究手法だといえる。単純な理由のようだが、ここにこの手法の最大の難しさがある。それでもコホート研究が必要とされるのは、山縣教授によれば、「因果関係をもっとも明確に理解することができる」手法だからだ。
 「コホート研究」に対して「ケースコントロール研究」という手法がある。これは、調査時点の状態や、調査時点から過去をさかのぼって被験者の記憶を調査対象にする。そのため、被験者の記憶のあいまいさなどにより誤った結論が導かれ、因果関係が逆転してしまう危惧があるが、コホート研究にはそうした危惧がない。それは、コホート研究が、調査開始時点を起点にして、未来へ向けて時間の流れどおりに被験者の生活を観察していく研究手法だからだ。
 「ライフコースリサーチというのですが、人々の生活をずっと追い続けていくことで、やがて社会に本当に役立つ情報がわかってくるんです」と山縣教授は言う。

世界的に成果をあげつつあるコホート研究。

 コホート研究の事例は海外に多い。なかでも、もっとも有名なのが、アメリカのハーバード大学で行われている「フラミンガム研究」だ。現在、生活習慣病の原因として知られるものの多くが、この研究の成果によって明らかにされてきた。また、イギリスもコホート研究の盛んな国で、長いものでは、すでに50年もの間継続して調査している事例もある。
 いっぽう、日本での事例はまだ少ないながらも、山縣教授らが甲州市で20年来取り組んでいる調査をはじめ、1961年から40年以上続けられている福岡県久山町の「久山町研究」などがあり、着実な成果をあげている。また、国立がんセンターが全国10カ所あまりの地域の保健所を中心に行っているコホート研究も、開始からすでに20年が経過し、近年その成果が報告されつつある。



Part02 “すくすくコホート”5年間の取り組み。

子どもの社会性の発達をコホート研究で知る。

協力者の観察風景

調査は、平成16年から平成20年にわたり、参加する幼児(児童)の親へのアンケートと、親子の行動観察によって行われた。

 「すくすくコホート」と名づけられた研究開発プロジェクトは、2004年から2008年までの5年間行われた。その目的は、子どもの社会性の発達を科学的に明らかにすることにある。
 ここでいう社会性とは、「相手の気持ちがわかること」「相手の立場に立てること」「良好なコミュニケーションをとり、円滑に社会生活をおくることができること」の3つ。そして、こうした子どもの社会性の発達には、一人ひとり多様なパターンがあることが予測され、その多様なパターンがなぜ起きるのかを明らかにするためには、その原因と結果(因果関係)をはっきりさせる必要があると考えられたのだ。そのため、今回のプロジェクトでは、因果関係の解明に適したコホート研究の手法が用いられた。
 また、子どもの社会性の発達を知るために、脳科学、医学、心理学、教育学など多くの領域の研究者が参加した領域架橋型であることもこの研究開発プロジェクトの大きな特徴といえる。

子どもの社会性の発達をどのように見るか。

 「すくすくコホート」は、大阪府、三重県、鳥取県の3地域で行われた。大阪府と三重県では、450人を超える乳児と養育者が参加して、0歳からの成長が数カ月おきに追跡調査が行われた。鳥取県では100人の児童が参加して、5歳からの成長が数カ月おきに追跡調査が行われた。
 また、並行して、社会性を客観的に測定するための研究方法の開発も行われた。今回採用された実験手法の1つに、対戦型の積み木ゲーム(ジェンガ)をやるときの、子どもの頭の動きの大きさで、社会性の発達を測定するという方法がある。社会性の発達が低い子どもは自分のことしか考えず、対戦相手の行動に興味がないので頭の動きが少ない。したがって、ゲーム中の頭の動きが大きいほど、「相手のことを考える」社会性が発達しているというわけである。
 このほかにも、既存の脳科学の知見を応用した方法などにより、「親にほめられる子ほど社会性の発達が高い」ことや、「皮肉を理解する脳の領域が、科学的に明らかにされた」ことなどが、この研究開発プロジェクトの成果として、次々と発表されてきた。

将来の大規模コホート研究に向けて。

 じつは、今回のプロジェクトは、コホート研究としては規模が小さく、基礎研究という位置づけになる。当初、3年間の基礎研究後に大規模コホート研究が計画されていたが、5年の研究期間で、研究手法や実施方法を着実に検討する、という選択がなされた。日本では歴史の浅いコホート研究には、解決すべき問題が多くあったのだ。
 その意味で、個別の成果以上に、今回のプロジェクトの大きな成果として山縣教授があげるのが、この5年間で大規模コホート研究を行うための基盤づくりができたことである。また、コホート研究を担う人材の育成にも着実な効果を上げてきた。
 「現段階でコホート研究を成功させるための手法・経験を、日本でいちばん持っているのが、われわれです。今回の研究開発プロジェクトのノウハウを使えば大規模な研究所を持っているイギリスにも匹敵できる研究ができると考えています」と山縣教授は語る。
 社会に本当に役立つものは、生活している人間の観察から生まれてくると山縣教授は言う。今後、今回培われた経験を生かした大規模コホート研究が、必要とされる分野・領域で行われ、よりよい社会を作るための礎となることを期待したい。

TEXT:大宮耕一/PHOTO:今井 卓