Close up 植物の花粉管誘導物質を発見-140年来の謎を解明 めしべの誘惑

植物のめしべは、おしべで作られた精細胞を卵細胞へと誘い、受精する。
その仕組みの1つである花粉管誘引物質はどこにあるのか? 多くの生物学者が追い求めた140年来の謎が、今、解明された。
東山哲也(ひがしやま・てつや) トレニア

【トレニア】Torenia fournieri
インドシナ半島原産の、ゴマノハグサ科の一年草。和名はハナウリクサ。夏から秋にスミレのような花をたくさん咲かせることから、ナツスミレ、パンダスミレともいう。暑さに強く、夏の花壇でよく見られる。ふつうは胚珠(種子を作るもとになる部分)に包まれている卵装置がむき出しになっているという特徴を持つ。花言葉は「可憐」。

東山哲也(ひがしやま・てつや)

名古屋大学大学院理学研究科教授。理学博士。1971年生まれ。山形県鶴岡市出身。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。同研究科助手を経て、2007年より現職。日本植物形態学会奨励賞、日本植物学会奨励賞受賞。植物を中心に、生殖を達成させる鍵となる分子情報の解明を目指している。

花粉管の伸びやすさが誘引物質発見の障害に。

植物の受精の模式図
花粉がめしべの先につくと、精細胞を乗せた花粉管が伸びはじめる。花柱を通って胚珠、さらにその中の卵装置に達すると精細胞を放出。卵装置の中の卵細胞と結びつき、受精する。

 中学校の理科の授業で、花粉管が伸びる様子を観察した記憶はあるだろうか? 寒天溶液をスライドガラスにたらして固め、花粉を散布。顕微鏡で観察すると、花粉から管のようなもの = 花粉管がニョキニョキと伸びてくるのが観察できる。
 花粉管は、おしべで作られた精細胞の運び屋となり、めしべの胚珠の中の卵細胞へこれを届けて受精させるために伸びる(右図参照)。ここで、1つの疑問が生まれる。花粉管が胚珠へ、さらに卵細胞へと迷わずに伸びるのはどうしてか? 1869年、フランスのヴァンティーゲムが、この疑問に1つの道筋を示す。花粉管と一緒に胚珠をまいたところ、花粉管が胚珠を目指して伸びはじめたのだ。この観察から、ヴァンティーゲムはこう結論づける。胚珠には、花粉管を誘う何かが含まれているのだと。こうして、世界中の植物学者が、「花粉管誘引物質」の探究に取り組みはじめた。
 しかし、あるはずの誘引物質は見つからなかった。原因の1つは、花粉管の伸びやすさにある。誘引物質があってはじめて花粉管が伸びるのなら、伸びる場合にのみ存在する物質を捜し出せばよい。しかし、困ったことに花粉管は誘引物質がなくても無目的に伸びる。だから、伸びる方向を見極めさせている物質が何なのかを探さなければならないのだ。誘引物質が何かを特定する論文が発表されても、すぐさまそれを批判する論文が出される。混沌とした状況が140年も続いた―その謎が、名古屋大学大学院の東山哲也教授によって解明されたのだ。

流行にあえて背を向け理想の植物を追い求める。

 東山教授は東京大学の大学院生だった1994年から花粉管誘引物質の謎に取り組みはじめた。当時は、シロイヌナズナなどのモデル植物の遺伝子機能解析が進み、注目されはじめていた時代だった。しかし、東山教授はあえてその流れに背を向ける。
 「長い間、誘引物質が見つからなかった理由の1つは、一般的な植物では卵装置が胚珠に包まれ、癒着していることです。これでは卵装置だけを生きた状態で取り出し、観察することができません」
 受精の瞬間を目でとらえ、花粉管の動きを詳しく観察できれば、誘引物質の特定に近づける。しかし、卵装置が胚珠に隠されていては難しい。それはモデル植物でも同様だから、遺伝子機能解析が進んでいるとはいえ、この研究に最適とは考えられない。どこかにもっとふさわしい植物があるはずだ――まだ見ぬ理想の植物との出合いを求め、東山教授は調べはじめた。文献をあさり、これはと思う植物があれば入手し、観察してみるが、うまくいかない。気持ちがなえかけていたとき、文献の中の一文が目に飛び込んできた。「卵の部分が胚珠の外に飛び出している」――ゴマノハグサ科の一年草・トレニアに関する記述だった。
 胸の高鳴りを抑えながら詳しく調べてみたところ、たしかに、卵装置がむき出しになった特異な形態をしている(下図参照)。この植物なら、受精の瞬間をとらえ、誘引物質の謎を解明できるかもしれない。入手方法を調べてみたところ、意外にも近所の園芸店で買える、身近な植物だった。
 「こんなにユニークな構造だから、さぞや珍しい植物なのだろうと思っていたので、驚きました。花鉢を買ってきて研究室に飾っておいたら、あるスタッフがひと目見て、『あ、トレニアね』と言ったくらいです(笑)」

トレニアの体外受精技術の開発

 めしべの花柱の中を通った無数の花粉管が胚珠をめがけて伸び、トレニアの特徴である、胚珠の外に飛び出した卵装置の中に入って受精する。花粉管と胚珠をともに培養できる培地の開発など数々の工夫があってこそ実現した技術だ。

知らんぷりしていた卵装置に向け花粉管が伸びはじめた!

 トレニアと出合った東山教授は、早速、体外受精をさせようと試みる。まず必要なのは、受精の舞台となる培地を、胚珠と花粉、どちらも培養できるように整えることだ。胚珠と花粉の性質は大きく異なるため、何度も壁にぶつかったが、試行錯誤を繰り返し、最適な培地の開発に成功する。
 あとは培地の上に花粉と胚珠を置けば、花粉から伸びた花粉管が胚珠の外側に突き出た卵装置に向かっていき、めでたく受精――となるはずが、花粉管はいっこうに卵装置のほうに向かわない。ガラス管で卵装置を花粉管に近づけてみても知らんぷり。勝手な方向に伸びてしまう。いったい、どうしてうまくいかないのだろうか。悩み続けた末に、ふと思いついてあることを試してみた。
 「花粉のままではなく、めしべの花柱を通った花粉管を、胚珠と一緒に培養してみたんです。すると、花粉管が明らかにこれまでとは違う挙動で、くるくると回るようにして卵装置に向かい、受精をはじめました。あのときのうれしさは忘れられませんね」
 花柱とは、柱頭をてっぺんとした柱のような部分で、これまでの研究から、花粉管を胚珠の一歩手前まで導く一本道のトンネルのような役割を果たしていることがわかっていた。しかし、それだけでなく、誘引物質に応答する能力を花粉管に与えるという、もう1つの重要な役割を果たしていたのだ。
 その後も工夫を重ね、1998年、東山教授は植物の受精の瞬間の動画記録に世界で初めて成功する。人為的に胚珠の位置を動かすと、花粉管が胚珠の卵装置の後を追って伸びる様子も記録された。花粉管誘引物質の存在が確かに証明され、長年の謎を解明する準備が整ったのだ。