JST News Vol.5/No.11
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科学技術振興機構の最近のニュースから……
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研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の研究成果より
遺伝子の情報を生かして、一人ひとりに合った予防や治療を行う「テーラーメイド医療」が、医療の常識を大きく変えつつある。
そんな現状に、研究領域「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」の2つの研究成果から迫った。
Topics 01
外国語としての英語力と密接に関係する脳部位を特定
Topics02
中国総合研究センターの取り組み
河合 潤 京都大学大学院工学研究科教授
サイエンス チャンネル ベスト・セレクション
グレゴリオの迷宮 〜暦の科学〜

偶然と洞察

アレクサンダー・フレミング [1945年ノーベル医学・生理学賞]

 1928年9月初めのある朝、1カ月余りの夏休みからロンドンにもどった細菌学者フレムは、聖メアリー医学校内の研究室に積み上げられたペトリ皿と格闘していた。休暇前にブドウ球菌を各皿の培地に植えつけておいたのだが、研究に役立ちそうなめぼしいものは少なく、ほとんどの皿は殺菌液を満たした容器に漬けられ、培地は廃棄される運命にあった。
 そこへ若い同僚が訪ねてきた。フレムは同僚に培地を見せるため手近にあるペトリ皿を取った。廃棄予定の培地である。そのとき、ふと彼は奇妙なことに気づいた。培地の中では、増殖したブドウ球菌のコロニー(集団)とは別に、どこからか舞い込んだカビが大きな塊に成長していた。微生物が培地に混入すること自体は珍しいことではない。奇妙なのは、円形に成長したカビの周囲にだけはブドウ球菌がなく、透明になっていたことである。黙り込んでこれを観察していた無口なスコットランド人は、やがて口を開いた。「これはおもしろい」――愛称フレムことアレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming:1881〜1955)が世界で初めて抗生物質を発見した際の、世に有名なエピソードである。
 そこで起きていたのは、カビが産生する“何ものか”がブドウ球菌の発育を阻止するという現象だった。フレミングはその“何ものか”を、混入したカビがペニシリウム属の一つであるところから、「ペニシリン」と命名した。その後、同様の性質を示す物質が続々と発見されるに及び、一般に「微生物が産生し、他の微生物の発育を阻害する化学物質」のことを、抗生物質(antibiotic)と呼ぶようになったのである。
 もっとも、ペニシリン発見は偶然の連続でもあった。混入したカビがペニシリンを産生する種類だったこと、夏休み中の天候や室温がカビの成長に適していたこと、フレミングが手に取ったのがそのペトリ皿であったこと等々、彼の伝記は七つもの偶然を列記し、発見につながる確率は、「すべての出走馬の名前を書いた紙を入れた帽子の中から、七レース連続してレースの順に勝ち馬を引き当てるに等しい」*と書いている。しかし、練達の細菌学者の洞察あっての発見だったことはもちろんで、フレミングの功績は些かも減じない。
 とはいえ、フレミングは薬品としてのペニシリン開発に成功したわけではない。1940年にペニシリンを薬剤化し、工業生産にも成功して世界に巨大な貢献をなしたのは、H.W.フローリー、E.B.チェインらオックスフォード大学のチームである。そこで1945年のノーベル医学・生理学賞は、フレミング、フローリー、チェインに与えられたのだった。
*『奇跡の薬 ペニシリンとフレミング神話』グウィン・マクファーレン(北村二朗訳)平凡社 1990
(文・西田節夫)