ようこそ 私の研究室へ21 「個人のHLA型に合わせたテーラーメードのT細胞ワクチン開発」代表研究者 宇高恵子

自己・非自己を見分けるT細胞の不思議に魅せられて さまざまながんに効果的なペプチド免疫療法を開発します。

PROFILE

宇高恵子 (うだか・けいこ)

高知大学医学部免疫学教室教授
1957年愛媛県生まれ。86年、愛媛大学大学院医学研究科博士課程修了。在学中に留学し、85年より米ペンシルバニア大学医学部博士研究員。88年、米マサチューセッツ工科大学がん研究所博士研究員。91年、独マックスプランク生物学研究所研究員。帰国後、94年1月に順天堂大学医学部無給助手、同年7月に京都大学理学部助手。94年よりさきがけ研究者(〜97年)。99年、同大学理学部助教授。2003年4月より現職。07年4月よりJSTイノベーションサテライト高知育成研究プロジェクト代表研究者。

患者の免疫機構にがん細胞を攻撃させる。

「もともと体に備わっている免疫機構にがん細胞を攻撃させる治療法を開発中です。副作用もなく、ワクチン注射だけで、さまざまながんを殺すのが目標です」
 死を待つばかりと思われたがん患者を、宇高恵子さんらの開発したワクチンが救った。「前立腺がんを発症した50歳代の患者さんなのですが、脚の骨に転移して歩行不能になっていました。私たちが臨床試験中のワクチンを週に1回打つと、ぐんぐん効いて、歩けるようになりました」。ワクチンが免疫機構である細胞傷害性T細胞(CTL)を活性化させ、がん細胞を殺すのだ。
 CTLには本人の正常細胞(自己)とそうでない細胞(非自己=がん細胞、ウイルス感染細胞、他人の細胞など)を見分けて、後者を攻撃する能力がある。その仕組みはこうだ。体内の各細胞にはHLAという分子の手が外壁に生えていて、その手は細胞内で分解されたたんぱく質のかけら(ペプチド)を掲げている。このペプチドが細胞を見分ける目印だ。がん細胞なら、がん特有のペプチドが掲げられている。
 一方、CTLの種類は多様で、それぞれ決まった非自己のHLA-ペプチド複合体に結合する。あるCTLが、たまたま結合できる相手に出会うと、その種類のCTLが増える。さらに、CTLが殺傷力を蓄えると、結合した相手の細胞を殺すのだ。
 「がん細胞はひっそりと生きていて、対応するCTLは自然には増えません。そこで、がん細胞が掲げるのと同じタイプのペプチドとCTLに殺傷力を与える免疫賦活剤を混ぜてワクチンとします。従来の抗がん剤治療のように、一旦抑えられたがんが耐性を得て再び進行することは少ないです」

T細胞の不思議を追いかけて世界を渡り歩く。

「がん治療法に取り組むようになったきっかけは、T細胞が自己・非自己を見分ける仕組みを探究するために、ペプチドの解析技術を開発したことにあります」
 おそらく研究者の多くは、たまたま縁のあった研究室の中で自分に合ったテーマをそのつど探しながらキャリアを積んでいく。けれども、宇高さんはとにかく自分の疑問を解きたかった。入学した愛媛大学医学部で、免疫学に魅せられる。「T細胞が分子レベルの機構で相手の細胞を認識する状況は、星と星が接近して、それぞれの住人が会話しているようなスケール感なんです。それでどうやって見分けられるのか、不思議でした」。この不思議に迫れる環境を探して、内外の研究室を渡り歩いた。
 当時、日本での研究は難しかった。そこで指導教官の恩師を頼って、渡米。2年間の期限付きで大学の研究員になった。T細胞の研究に着手できたのは、次に3年の任期を得たマサチューセッツ工科大学から。「ポスドクの身分だから手伝ってくれる人もおらず、必要な物をそろえるところから論文執筆まで、全部一人でやりました。大変でしたが、時間だけはありました」。ここでは、他人の細胞を移植するとT細胞が起こす拒絶反応のメカニズムを解明した。
 次は、認識の鍵となるペプチドの研究をするためにドイツを目指す。見つけた奨学金の応募用紙には業績を書く欄があったが、まだ書くほどの実績はなかった。
 「代わりに、T細胞についての当時の理解のここが疑問で、自分はそれをこう解いてみたい、という提案書を書いて送りました。そうしたら、なぜか採択されたんです」

「どうしても研究したい!」その想いが道を拓く。

「山を越えると次の山が待っています。研究に守りはなく、攻めしかありません。シンドイですが、生かされた人生を精一杯がんばりたいと思っています」
 ドイツへの出発の日が迫り、準備に追われるなか、クルマに轢かれた。運び込まれた病院で「このまま肝臓から出血が止まらなかったら死ぬ」と医師に宣告された。
 「幸い、回復しましたが、背骨が折れていて、しばらくは歩くことができませんでした」。それでも杖をついて実験室に通い、研究をまとめ上げ、奨学金を出してくれるはずだった財団に手紙を書く――「こんな事情で行けなくなったけれど、次のチャンスがあるなら、どうしても行きたい」
 祈りは通じた。例外として半年遅れでの留学が許された。渡航先でT細胞研究のために開発した技術が、ペプチド免疫療法という応用に結びつく。HLAには遺伝で決まる個人差があり、ペプチドをワクチンとして利用するには、①患者のHLA型に適合し、②標的としたい細胞の提示するペプチドと同種であること、の2条件を満たす必要がある。さまざまながんやウイルスに有効と期待される療法だが、この条件に合うペプチドを探すのが難点とされた。これに解決策を与えるのが宇高さんの技術だ。
 「研究員として渡り歩くと、移るたびにそれまでの蓄積を置いてゼロから出発しなくてはなりません。そのことがいちばん辛かった。けれど、出会った多くの人々に助けられて、ここまで来ることができました」
 近々、試験中のペプチド免疫療法をさらに強力なものにする秘策を発表予定だ。


研究の概要
細胞傷害性T細胞は出会った細胞表面のHLA−ペプチド複合体を探り、がん細胞を見分ける。(TCR=T細胞レセプター)
細胞傷害性T細胞は出会った細胞表面のHLA−ペプチド複合体を探り、がん細胞を見分ける。
(TCR=T細胞レセプター)

 白血病や多くの固形がん細胞で発現しているWT1というたんぱく質に着目し、これを分解して得られるペプチドを使った免疫療法の開発に大阪大学と共同で取り組んでいる。ワクチンは患者のHLA型に合わせて作る必要がある。まずWT1を分解して得られるペプチドのなかから、患者のHLA型に結合するものを探し出す。これには、宇高さんがかつてさきがけ研究でNECと共同開発した計算プログラムを活用。プログラムの予測したペプチドに熱処理した百日咳菌を免疫賦活剤として混ぜたものが、ワクチンとなる。これを患者に皮下注射すると、皮膚にある樹状細胞が百日咳菌により活性化し、ペプチドを表面に付着させた状態で、細胞傷害性T細胞(CTL)を産生するリンパ節へと移動。するとそこで、がん細胞を攻撃するCTLの増殖が起こるという仕掛けだ。現在、臨床試験中で、これまでに18人の患者に治療を施し、8人のがんの進行を止めることに成功。現在は、さらに効果を高めるための改良に取り組んでいる。

TEXT:黒田達明/PHOTO:大沼寛行/パース:意匠計画