Topics01 失われた視覚機能を補う脳の回復メカニズムを解明 “見える”とは何か?

見えていないはずの視野のものが「見える」盲視。これまでは脳内で何が起こっているのかわからなかったが、ニホンザルを用いた研究から、失われた視覚機能を補う脳の回復メカニズムが明らかになった。
盲視【blindsight】
左脳の視覚野が損傷すると視野の右半分が失われるが(図右)、盲視になると見えていない視野に示された赤い点を「感じられる」ようになる。 左脳の視覚野が損傷すると視野の右半分が失われるが(図右)、盲視になると見えていない視野に示された赤い点を「感じられる」ようになる。
「見えていると意識できないのに見えている」という現象。目の網膜が受け取った視覚情報は、まず脳の後頭葉にある視覚野で処理される。そのため視覚野を損傷すると失明することがあるが、右脳、左脳の片方の視覚野だけの損傷であれば、視野の半分が失われる「同名半盲」になる。ところが、1973年に、見えないはずの視野にあるものを言い当てられる同名半盲患者の存在が明らかになった。本人は見えると意識できないものの、見えない視野のところで示した光点を、当てずっぽうでいいから位置を当てるよう指示すると、正しく指差すことができた。また、棒が縦か横かを当てるテストにも答えることができた。こうした現象が報告され、「盲視」と呼ばれるようになった。

脳の視覚野の片側に障害を負ったサルのリハビリテーション。
光に目を向けるトレーニング
サルが画面中央を見ていると、上下左右のいずれかに光が示される。この光を見るという訓練を行うと、23週間後には見えていない視野に示された光にも反応し、的確に視線を動かせるようになっていた。
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実験結果を記録
光が示され、サルが視線を動かすと、視線の位置や目の反応時間が記録されるシステムになっている。
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脳の中で何が起こっているのか?
盲視のメカニズムの解明に取り組む。

 これまで、報告される症例数は少ないものの、片方の視覚野の損傷によって同名半盲になった患者が、盲視現象になっていることが報告されてきた。もしも、同名半盲の患者をトレーニングによって盲視に導くことができれば、より多くの患者の視覚機能の回復が期待できる。
 しかし、盲視になる過程で脳内では何が起こっているのかは未解明のままだった。そこで、自然科学研究機構生理学研究所の伊佐正教授を研究代表者とする、CREST「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」の研究課題「神経回路網における損傷後の機能代償機能」のチームは、ニホンザルを用いて盲視メカニズムの解明に取り組んでいる。
 伊佐教授らは同名半盲状態のニホンザルに、画面に示された光に目を向けさせるトレーニングを実施。左の図で示すように画面中央を見ているところで(01)、左右上下の任意の領域に光を提示し(02)、これに反応したサルの目の動きを計測した(03)。伊佐教授は「この実験により、見えていない視野に示した光を目で追えるかを調べて、盲視になったかどうかを確かめられます」と説明する。

視覚情報処理の経路で
目の反応が速くなった。

 同名半盲になる前のニホンザルは、上下左右いずれの領域に示した光に対しても的確に目を動かせていた。ところが左脳の視覚野に障害がある場合には、右の視野が失われるため、右側に示された光に対しては、目の動きはばらつくようになった。
 そこで、上記のトレーニングを繰り返したところ、右側視野に示した光にも的確に目を向けられるようになってきた。ニホンザルに盲視現象が起こったのだ。しかも、驚くべきことに、正常視野に光を示した場合、目を動かすのに、0.20~0.23秒かかったのに対して、盲視状態の場合にかかった時間は0.16~0.17秒と、反応は速まっていた。このことについて研究グループの吉田正俊博士はこう説明する。
 「正常な視覚では、目が受け取った視覚の情報が、まず視覚野にもたらされた後、頭頂葉、前頭葉を経て上丘に至る経路で処理されます。しかし、これが盲視になると視覚野が損傷しているために、目から直接上丘に入る経路を使うようになり、目の反応が速くなったのではないかと考えています」
 人間は網膜が受けた視覚情報を、より高次の認知機能を司る大脳皮質で処理しているが、魚類や両生類などは、視覚情報をより原始的な脳幹部の経路で処理している。視覚野が損傷したことで、視覚野から始まる大脳皮質での情報処理が失われた結果、進化の過程で人間が使わなくなった、原始的な経路が蘇ったのではないかと伊佐教授たちは推察しているのだ。

視覚障害前
正常な脳では目が受けた情報は、視覚野、頭頂葉、前頭葉を経て処理されていく。
視覚障害後1週
視覚野を損傷して間もないと、損傷視野に示された光への視線は、ばらついてしまう。
視覚障害後23週
トレーニングを行った結果……
光に目を向けるトレーニングを続けると、損傷視野に示された光に対しても視線を合わせることができるようになった。この時点で脳内では、視覚情報が目から直接上丘に入る経路で処理されていると考えられている。

盲視を研究することにより意識の解明にも期待が高まる。

 このようにニホンザルが盲視になったのであれば、同名半盲の患者を盲視に導くことができるのではないかと期待が膨らむ。伊佐教授がこう続ける。
 「盲視になることで、見えていない視野のものの存在を感じられるようになれば、雑踏の中を歩いていても、見えないはずの視野にいる人や物にぶつからないようになるかもしれません。人間のためのトレーニング法の開発も進めていきたいと思います」
 これまで日本での盲視の報告はごくわずかであったため、盲視に対する社会的認識は低かった。その点、今回の研究が広く知られるようになれば、視覚欠損と諦めていた患者にも、視覚機能の改善に期待がもてるだろう。
 さらに盲視の研究は、意識そのものの研究に役立つとも考えられている。盲視は、“見えてはいないが感じられる現象”を指すため、意識そのものを理解する足掛かりとなるかもしれないのだ。伊佐教授らは盲視の研究を通して、「意識とは何か」の解明に踏み込もうとしている。

吉田正俊(よしだ・まさとし)
東京大学薬学部卒業。2003年より自然科学研究機構生理学研究所助教。今回、発表された盲視の研究では、伊佐教授と論議しつつ、サルを用いた実験系の確立に活躍。吉田博士は伊佐教授にとっては欠かせない研究パートナーだ。
伊佐 正(いさ・ただし)
1960年、京都府出身。東京大学医学部卒業。大学院生の頃から人間の意識に興味を持っていた伊佐教授。本人が意識できないのに、見えているかのようにふるまう盲視に注目し、ニホンザルを用いて盲視の研究に取り組むことになった。
TEXT:斉藤勝司/PHOTO:吉松伸太郎