JST News Vol.5/No.8
Contents
科学技術振興機構の最近のニュースから……
Close Up
「地球規模課題対応国際科学技術協力事業」がスタート
日本が世界に誇る科学技術を、日本ばかりでなく、地球全体の問題を解決するために活用する―
そんな壮大で意義のある事業が、行政や外交の壁を超えて、今年、キックオフした。
Topics 01
失われた視覚機能を補う脳の回復メカニズムを解明
Topics02
絶縁体を電界効果で超伝導にすることに世界で初めて成功
宇高 恵子 高知大学医学部免疫学教室 教授
サイエンス チャンネル ベスト・セレクション

巨人も筆の誤り

ライナス・ポーリング [1954年ノーベル化学賞、1962年ノーベル平和賞]

 生物の遺伝情報を担うDNA(デオキシリボ核酸)の分子構造が「二重らせん」をなしているということは、今や常識に属するだろう。また、その構造を解明したのが、J.ワトソン(1928〜)とF.クリック(1916〜2004)であることもよく知られている(その業績により、彼らはM.ウィルキンスとともに1962年ノーベル医学・生理学賞を受賞した)。
 しかしじつは、二重らせん説発表(1953年)の直前の時期、ワトソンとクリックは、背後に迫る“巨人”の足音におののいていた。専門の化学はもとより物理学・生物学・医学と、行くところ可ならざるはなき巨人が、何とDNA研究にも踏み込んできたからである。実際、巨人が彼らより早く論文を書き上げたと知ったとき、ワトソンなどは、「これで何もかも水の泡か、という予感で、胃の腑がキュッとしまる気がした」*ほどだった。彼らの心胆を寒からしめた巨人とはだれか? ライナス・ポーリング(Linus Pauling:1901〜94)その人である。
 このときポーリングが提出したDNAの構造は“三重”らせん。わずかに一重の違いだが、これはまったくの誤りだった。短期間の研究で結論を急ぎすぎたのである。もっとも、ポーリング自身は間違ったとはいえ、ワトソン−クリックの勝利はポーリングの科学の勝利でもあったといえる。ほかでもない、ワトソン−クリックは、1930年代以来ポーリングが築いてきた理論的な枠組みと方法にまったく則っていたからだ。すなわち、量子力学によって化学結合を説明する「化学結合論」、あるいはたんぱく質分子の「らせん構造」の解明、さらに「分子模型」の組み立てによる研究法などである。そのポーリングが、「化学結合の性質の研究及びその複雑な分子の構造解明への応用」の業績によってノーベル化学賞を単独受賞するのが、DNAの失敗の翌年(1954年)だったのは、やや皮肉ではあるが。
 アメリカ西海岸、オレゴン州ポートランドに薬のセールスマンの子として生まれ、ごく普通の目立たない少年時代と大学生活を送ったポーリングは、30歳代にして物理化学・生化学の大家となった。だが彼は、研究一筋の人生を送るには人類に対する科学者としての責任感と正義感があまりにも強く、50歳以降は平和運動家として核実験反対の先頭にも立った。それが1962年のノーベル平和賞の受賞につながったのである。しかし真に驚くべきは、講演や論争や会議に明け暮れる生活を送りながらも科学論文を書き続け、その数は生涯でじつに600編に及ぶという事実である。まさに科学の巨人というほかはない。
*『二重らせん』ジェームス・D・ワトソン(江上不二夫・中村桂子訳)講談社文庫 1986
(文・西田節夫)