Topics01 統合失調症マウスの脳に未成熟な部分を発見 精神疾患の客観的指標を求めて。

原因の解明が十分に進んでいない精神疾患の多くは、診断のための明確な生物学的指標が存在しない。
現在、遺伝子を改変したマウスをさまざまな手法を用いて調べることで、客観的な診断の指標が明らかになろうとしている。

遺伝子を改変して精神疾患の原因遺伝子を探し出す。

宮川 剛(みやかわ・つよし)
1993年、東京大学文学部心理学科卒業。1997年、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。アメリカ国立精神衛生研究所研究員、マサチューセッツ工科大学ピコワー学習・記憶センター主任研究員などを経て、2007年より現職。

 多くの病気にはそれぞれ客観的な診断基準があり、医師による診断が下され、それに基づいて治療が行われる。例えば、がんであれば、腫瘍マーカーの数値や画像診断などが基準となって診断が下される。
 しかし、統合失調症をはじめとする、多くの精神疾患は、患者に現われる幻覚や妄想といった症状を医師が問診によってくみ取って診断を下すしかなく、診断のための客観的な指標を作るのは難しいとされてきた。というのも統合失調症は、その原因が十分に解明されておらず、医師が主観的に診断するしかなかったのである。
 そこで、戦略的創造研究推進事業CREST「精神・神経疾患の分子病態理解に基づく診断・治療へ向けた新技術の創出」研究領域の研究課題「マウスを活用した精神疾患の中間表現型の解明」の研究代表者である宮川剛教授(藤田保健衛生大学総合医科学研究所システム医科学研究部門)は、人為的に遺伝子を改変したマウスを用いて統合失調症等の精神疾患を探索するとともに、医師の主観に頼らない客観的な診断を下すための指標を作ろうとしている。
 通常、遺伝子の機能を調べる場合は、マウスの研究対象となる遺伝子を改変して、その機能を失わせる。そして、そのマウスに現出した異常から遺伝子の機能を推測する。宮川教授の研究ではさまざまな遺伝子を改変したマウスで、右の写真に示すようなテストを積み重ね、人間の精神疾患に似た症状を示すマウスを見つけ出し、そこから精神疾患に客観的な指標を見つけ出そうとしているのだ。

心理学者に広まりつつあった心に迫る科学的な研究に魅せられて。

 もともと、宮川教授は、東京大学では文学部で心理学を専攻しており、医学の研究者ではなかった。その宮川教授が、医学的なアプローチで精神疾患の客観的指標作りに取り組んでいる理由について、こう説明してくれた。
 「確かに大学進学にあたっては文学部を選びましたが、高校生の頃から理系的な思考が強く、何か新しい研究にたずさわりたいと考えていたんです。今から考えるとまったくの誤解なんですが、化学や物理は学校で習っていたので、これらはすでに確立した、解明し尽くされた学問だと感じていました。それで、当時ほとんど明らかになっていなかった“心”について研究したくて、文学部心理学科に進学したんです」
 伝統的な心理学の研究では、質問紙を用いて多くの人から回答を得て、統計的な処理によって人間の心に迫っていた。しかし、宮川教授が大学に進学した1980年代後半は、科学的な手法を取り入れ、心の謎に迫る研究が急速に広まっていった時代であった。実際、宮川教授が大学3年生になって所属した二木宏明教授(当時)の研究室でも、サルの脳を調べて認知機能を明らかにするという研究が進められていた。こうした科学的アプローチによる心の研究に魅せられた若き日の宮川教授は、科学的な手法による心の解明に没頭していくことになる。
 しかも、その頃、科学的な手法による心の研究では、双生児などの研究を通じて、さまざまな精神活動に遺伝子がかかわっていることが明らかになっていた。ならば宮川教授が解明しようとしていた精神疾患も、その背景に遺伝子がかかわっているのではないかと推測できる。そこで宮川教授が取り組んだのが、“網羅的行動テストバッテリー”と呼ばれる研究手法だった。

網羅的行動テストバッテリー
遺伝子を改変したマウスを用いて、感覚、運動、情動、睡眠・リズム、注意、学習・記憶、社会的行動など、多様な行動領域を解析するために17種類の行動テストを組み合わせたもの。例えば、ホームケージと呼ばれる飼育箱を使ったテスト(写真右)では、複数のマウスを入れて、どのように互いに接するのかを数日間にわたって観察し、マウスの社会的行動を調べる。
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【“作業記憶”を測定!】8方向放射状迷路テスト僕の脳の一部は未成熟なんだ。
8本のアームの先端に置かれた餌を、どのように取ってまわるのかを観察するテスト。効率的に餌を取るために、すでに訪れたアームを記憶しておく必要があることから、作業記憶を調べるのに利用される。

複数の行動テストの結果から精神疾患のモデルマウスを見出す。

CaMKIIαヘテロ欠損マウスの海馬・歯状回における成熟神経細胞の減少
成熟した神経細胞に対応する分子マーカー=カルビンジンが、CaMKIIαヘテロ欠損マウスで減少していることがわかる。

 この網羅的行動テストバッテリーは、アメリカの国立精神衛生研究所(NIMH)の研究グループが開発したもので、17種類のテストを組み合わせて、感覚、情動、睡眠・リズム、学習・記憶、社会的行動といった、マウスの精神行動の背景にある要因を詳細に調べることができるものだ(上写真参照)。
 宮川教授は、脳で働いている遺伝子を改変したマウスの行動を、網羅的行動テストバッテリーで調べて、改変された遺伝子と精神疾患との関連性を明らかにしようとした。もし何らかの精神疾患と似た症状を示すマウスが見つかれば、その遺伝子は精神疾患にかかわると推定できるし、客観的な指標の有力な候補となりえるというわけだ。
 「アメリカのマサチューセッツ工科大学の利根川進教授の研究室に所属していた際、統合失調症だと疑われる症状を示すマウスが見出されたのですが、そのマウスで改変されていたのはカルシニューリンという遺伝子でした。そのため、帰国してからもカルシニューリンに関連した遺伝子を改変したマウスで実験を続けました」
 宮川教授は、国立精神・神経センターや日本医科大学などとの共同研究により、カルシウムカルモジュリン依存性たんぱく質リン酸化酵素IIα(CaMKIIα)のヘテロ欠損マウスに、統合失調症に似た症状が現れていることを明らかにした。ヘテロ欠損マウスとは、2本の染色体のうちの片方の染色体の遺伝子だけが改変されたもので、当然、その遺伝子の働きは弱まると考えられる。
 さらに、このヘテロ欠損マウスを解剖してみると、脳において記憶にかかわるとされる海馬の、歯状回で新しく生まれてくる神経細胞がいつまでたっても未成熟なままであることも明らかになった。神経細胞の成熟度を調べる分子マーカーのカルビンジンについても調べたところ、遺伝子が改変されていないマウスと比べて、その発現量が少なかった。
 統合失調症様の行動異常を示すCaMKIIαのヘテロ欠損マウスを、統合失調症のモデルマウスとしてその脳を解析したところ、そのマウスの歯状回が未熟であることが明らかになった。このことから、このマウスに見られる「未成熟な歯状回」という現象が統合失調症の中間表現型(客観的な指標)になるのではないかと宮川教授は考えた。

人の死後脳の遺伝子発現の解析から客観的指標を探し出す。

 次に正常なマウスと比較して、CaMKIIαのヘテロ欠損マウスで特徴的に発現量が異なる遺伝子10種をバイオマーカーとして、人間の死後脳での遺伝子発現をまとめたデータベースを用いて、遺伝子の発現パターンを統計学的に解析した。
 すると遺伝子の発現パターンの違いから、大きく2つのグループに分類できた。このうちの一方のグループでは、成熟神経細胞のマーカーであるカルビンジンの遺伝子発現が半分以下になっており、さらにこのグループには、データベース中の統合失調症患者20人のうち18人が含まれていた。このことから、このグループ分けが、統合失調症になりやすさ、なりにくさを分けているものと考えられ、「未成熟な歯状回」が人の統合失調症においても中間表現型である可能性が高いと考えられる。
 宮川教授らの研究で明らかになった、CaMKIIαのヘテロ欠損マウスで確認された「未成熟な歯状回」という中間表現型は、統合失調を診断するための客観的指標の有力な候補となりえるだろう。また、今後、未成熟な歯状回を正常に発達させるというアプローチで、統合失調症の新しい治療法を開発できるかもしれない。

TEXT:斉藤勝司/PHOTO:今井卓