JST News Vol.5/No.6
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科学技術振興機構の最近のニュースから……
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社会技術研究開発センター「犯罪からの子どもの安全」研究開発領域の取り組み
社会問題を科学で解決することを目指して設立された社会技術研究開発センター(RISTEX)。
RISTEXでは今、新しい方針のもと、犯罪から子どもたちを守る取り組みが行われている。
Topics 01
鳥インフルエンザ防御用素材の開発で大学発ベンチャー企業を設立
Topics02
JST文献データベース「JDreamII」の解析可視化サービス
[アンビシアーズ]
岩田 想 京都大学大学院医学研究科教授
サイエンス チャンネル ベスト・セレクション

結核菌と褐色の液体

ローベルト・コッホ [1905年ノーベル医学・生理学賞]

 ピアノの詩人・ショパン、幕末長州の風雲児・高杉晋作、「たけくらべ」の樋口一葉、哀愁の画家・モディリアーニ。一見、何の関係もなさそうなこの四人の共通点は? そう、結核による早世である。何しろ最も長生きしたショパンが39歳で、樋口一葉などは24歳で亡くなっているのである。むろん、こうした天才ばかりではない。19世紀には全世界の人間の7人に1人は結核で死んだともいわれる。結核は近代第一の“死病”だった。
 原因が分からず、したがって治療法もないまま、全世界に蔓延し、恐れられていた結核の正体をつきとめたのが、ローベルト・コッホ(Robert Koch:1843〜1910)である。その正体とは「結核菌」であり、「結核とは結核菌という病原菌による伝染病」なのであった。今では当たり前のことのようだが、結核菌発見の1882年当時は、結核遺伝説などがまかり通っていた時代であることを忘れてはならない。その際コッホは、「結核菌は結核の病変部位でのみ発見される」「病変の培養で純粋な菌が得られる」「それを動物に接種すると病変が形成される」という手順を踏んで結核菌病原説を証明した。これは感染症の病因証明の原則として、「コッホの三原則」と呼ばれるようになる。
 もっとも、病原菌の発見と病気の治療とはおのずから別物である。じつはコッホは1890年に、結核治癒の可能性のある薬として、「褐色にして透明なる液体」を発表したことがある。“結核菌発見者にして近代細菌学の祖”コッホが作り出した奇蹟の治療薬の評判はすさまじく、学生たちは喜びの松明行列を行い、ヨーロッパ全土から何千人という結核患者がコッホのいるベルリン大学に押し寄せては“霊液”の分与を懇請するという騒ぎになった。しかし、この液体は要するにツベルクリン(結核菌培養液を煮沸濃縮し濾過したもの)で、結核の診断には有効だが、治療には無効であるばかりでなく、逆に悪化させることさえあることがすぐにわかった。コッホにして、やはり功を焦ったのだろうか。
 結核の真の治療薬の開発はその50年後、1943年のストレプトマイシン発見に始まる。戦後思想の巨人・丸山眞男、作家の吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、作曲家の武満徹、さらに“寅さん”こと渥美清らは若い頃に結核を患ったが、幸いにもストレプトマイシン以後の世代だったために生き延びて、その後大きな仕事をなしとげたのだった。
(文・西田節夫)