体外で培養して、患者に戻すという新しい治療法が開発された。
高齢者が多い島根へ赴任して軟骨の治療法開発に取り組む。
1977年、広島大学医学部卒業。同年、広島大学医学部付属病院勤務。1983年、オーストリア・ウィーン大学、スウェーデン・ルンド大学整形外科留学。1995年、島根医科大学教授、2002年、広島大学整形外科学教授を経て、2007年に広島大学病院病院長に就任。大学病院運営の指揮を執るだけでなく、臨床医、研究者としても第一線で活躍している。
軟骨は滑らかな弾力のある組織で、硬い骨同士が直接ぶつからないようにする重要な役目を担っている。それが怪我で損傷したり、長年の酷使により加齢とともに変形してしまうと、自然に治癒することはないため、これまでは対症療法に頼っていた。損傷した組織とは違う軟骨の一部を採取して移植する治療方法が実施されてはいるものの、定着させることは難しく、十分な治療効果は得られなかった。
高齢化が進む日本では、加齢に伴って発症する関節症患者の増加が見込まれるだけに、新たな治療法の開発が望まれてきたが、このほど、患者の軟骨組織から採取した軟骨細胞を体外で培養し、軟骨組織を作って、これを患者に移植する再生医療技術が開発された。
この技術を最初に開発したのは、広島大学病院長で整形外科医でもある越智光夫教授だ。もともと、整形外科医として広島大学病院に勤務していた越智教授は、激しい運動をするスポーツマンが発症することの多い前十字靱帯損傷の手術を数多く手がけていたが、1995年に島根医科大学(現在は島根大学と合併)に赴任して以来、新しい研究テーマとして膝軟骨の損傷に取り組むことになった。その理由について、越智教授がこう説明する。
「広島大学病院では多い年には年間130例もの前十字靱帯損傷の手術を手がけていましたが、島根は広島と比べて人口は少なく、島根医大で手がける手術例数はぐっと減少しました。ただし、島根は高齢化が進んでいたため、加齢によって発症する軟骨疾患の患者さんがたくさんいらっしゃいました。以前から軟骨には興味があったので、これを治療する新しい技術を開発できないかと考えました」
軟骨損傷の治療法では、越智教授が島根医大に赴任する直前に、患者の軟骨細胞を取り出し、体外で培養してから損傷部位に細胞を戻す方法がスウェーデンの研究者によって発表されていた。ただし、この方法だと損傷部位に軟骨細胞を注入しても、体重が加わると漏れ出してしまうことがあった。漏れずに損傷部位に残った軟骨細胞による組織再生を期待するしかなく、十分な治療効果が得られにくかったのである。
越智教授は、軟骨細胞を培養するだけでなく、立体的な軟骨組織にまで培養し、これを損傷部位の形に合わせて切り出し、患者の軟骨に移植すればいいと考えた。
安全性が確かめられた素材を細胞培養の支持体に活用。
移植の前の写真(上)では軟骨が欠損している部分が確認できるが、越智教授が開発した三次元培養法で作った軟骨組織を移植すると、1年後に撮影した写真(下)では、移植前の欠損部位がわからないほど滑らかな軟骨組織に回復していることが見てとれる。ここまでくれば十分に治癒したといえそうだ。
こうした組織の培養は、「三次元培養」と呼ばれ、ゲルやスポンジなどの支持体の中で細胞を培養し、立体的な組織を作り出す方法であるが、どういった支持体を選択するかが重要だ。越智教授が利用したのがアテロコラーゲンだった。その理由について越智教授がこう説明する。
「人間の患者に施す医療技術とするには、支持体そのものの安全性を十分に確保しておかなければなりません。その点、アテロコラーゲンは美容整形の分野で広く利用されていましたから、これを支持体として利用できれば、支持体の安全性については確保できることになります」
アテロコラーゲンとは、皮膚や靭帯、腱などに含まれるたんぱく質のコラーゲンの一種で、コラーゲン分子の両端にある「テロペプチド」と呼ばれる部分が酵素で切断されている。テロペプチドは生物種によって差が大きいため、免疫反応を誘発する抗原となるが、アテロコラーゲンはテロペプチドが除去されているために免疫拒絶が起こりにくく、美容整形をはじめ臨床での使用実績は多い。
それだけにアテロコラーゲンの安全性は十分に確保されているといえるわけだが、細胞の培養に適しているかは未知数であった。そのため、越智教授はアテロコラーゲンの中で細胞を増やせるかどうかを確かめるなどの基礎研究を積み重ねた。動物実験でも有効なことが確かめられたことで、島根医大の倫理委員会の承認を受けて、患者を対象に臨床研究を実施した。
越智教授が考えた手法は下の図に示すように、患者から軟骨の一部を採取し、そこに含まれる軟骨細胞をアテロコラーゲンの中で培養する。軟骨細胞は「細胞外基質」と呼ばれるたんぱく質を分泌し、軟骨組織を形成する。これを患者の軟骨が欠損した部位に移植すると確実に定着し、高い治療効果を示したという。島根医大では10人の患者に実施し、1年後に関節鏡により軟骨の状態を観察したところ、右の写真に示すように、いずれも移植した軟骨組織は定着していたことが確認された。
医療機関において患者から採取した軟骨組織は、ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングに送られ、厳重な衛生管理の下、培養軟骨が作られる。培養に必要な期間は約4週間。出来上がった培養軟骨は、専用の輸送容器に入れられて、医療機関に送られ、損傷部位の形にあわせて切り出されて移植される。 |
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確実に軟骨組織を作る培養条件の最適化が課題。
1987年、協和発酵工業入社。1997年、基礎生物研究所(岡崎)に入所。2001年、株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングに入社し、再生医療の実用化に取り組んでいる。
ならば多くの患者に培養軟骨の移植を行えるように、早期の実用化を期待したくなるが、そう簡単に話は進まないようだ。というのも、国民皆保険制度の日本で本格的に実用化するとなれば、臨床試験を実施し、培養軟骨移植が安全かつ有効に機能すること証明して、厚生労働省の承認を受けなければならない。
そのためには大学に籍をおく越智教授から、実用化の担い手となる民間企業が培養軟骨の研究を受け継ぐ必要があった。そこでJSTの「独創的シーズ展開事業・委託開発」による支援を受け、再生医療ベンチャーの株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングが実用化の研究に乗り出すことになった。実用化に当たっての課題について同社研究開発部の菅原桂プロダクトマネージャーがこう説明する。
「実用化となれば、多くの患者さんから軟骨細胞をお預かりして、培養軟骨を作製しなければなりません。しかし、盛んに増殖する若い患者さんの細胞もあれば、比較的増殖力が弱いご高齢の患者さんの細胞もありますから、いずれの患者さんの細胞でも移植に適した培養軟骨を作れるよう培養条件を最適化する必要がありました」
上図②にアテロコラーゲン中で軟骨細胞を培養していることを示しているが、培地には細胞の増殖を促す栄養成分が含まれている。この栄養成分の濃度などを最適化することが重要な課題となった。また、軟骨細胞の採取から、培養を経て、患者に移植する間に病原性の細菌やウイルスに汚染されてはならないため、同社は品質管理法を確立し、培養軟骨の輸送容器も開発。軟骨の再生医療の安全性の向上にも取り組んできた。
こうした実用化のための研究を経て、すでに臨床試験が実施された。これから行われる厚生労働省への承認申請の準備のため詳細は公開されていないが、十分に実用化できるほど、培養軟骨による再生医療は高い治療効果を示しているという。承認までにはもう少し時間がかかりそうだが、これまで根治療法がなかっただけに、実用化されれば軟骨損傷による関節症に苦しむ患者に大きな福音をもたらすだろう。
TEXT:斎藤勝司/PHOTO:大沼寛行