JST News Vol.5/No.3
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科学技術振興機構の最近のニュースから……
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国際シンポジウム「iPS細胞研究が切り拓く未来」を開催
5月11日、12日に国際シンポジウム「iPS細胞研究が切り拓く未来」が開催された。
世界の最先端をリードする研究者が集い、語り合うなかで、どんな未来が見えてきたのか。
Topics 01
“ヒト自家培養軟骨”の開発に成功
Topics02
“理科教育支援検討タスクフォース小学校分科会”報告書より
小早川令子 科学技術振興機構 さきがけ研究者
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彼女はどこまで完璧か

マリー・キュリー [1903年ノーベル物理学賞、1911年ノーベル化学賞]

 マリー・キュリー(Marie Curie:1867〜1934)とはもちろん、「キュリー夫人」のこと。だれもが子どものころ、「伝記絵本」や「偉人伝」で彼女のことを知ったはずである。長い努力の末に新元素ラジウムを発見した偉大な科学者として。そして、ともにノーベル物理学賞を受賞した最愛の夫、ピエール・キュリーを亡くした後も、二人の娘を育てながら営々として研究に励み、再度のノーベル賞(化学賞)を受賞した偉大な女性として―。
 実際、マリーの業績は、新元素の発見にとどまらない大きな意味をもっている。彼女は、ラジウムは外的な状態に左右されることなく、原子そのものから放射線(波の形で伝わるエネルギー)を発していることを見出し、「原子は安定で不変」というニュートン以来の物理学の前提を覆して、量子論や素粒子論を準備した。また物質が放射線を発する能力、すなわち「放射能」の研究は、いうまでもなく原子力への道を拓いたのである。
 しかし、妻として母として研究者として、彼女はあまりに完璧すぎて近寄りがたい、などと思う人もいるかもしれない。そこで、「偉人伝」には書かれていない話を紹介しよう。
 じつは、夫ピエールが馬車に轢かれて亡くなった(1906年)あと、マリーは“恋”をした。相手は亡夫ピエールの弟子の物理学者ポール・ランジュヴァン(1872〜1946)。妻との離婚問題に悩むポールの相談相手になっているうちに恋愛へと発展したのだ。ところが1911年、二人の仲を新聞がすっぱ抜く。マリーが彼に宛てた、「あなたが彼女(注・妻)といるとわかっているときは、私の夜は恐るべきものとなって、眠れません」*といった手紙も公表された。ノーベル賞受賞の寡婦と子持ち男の不倫。マリーは“家庭の破壊者”として轟々たる非難を浴び、恋は成就しなかった。この年、マリーは44歳。以後、亡くなるまでの20年以上、彼女は黙々と研究を続け、おそらくは長年の被ばくが原因の白血病で亡くなった。
 しかし話は終わりではない。マリーの娘イレーヌ(「人工放射性元素の発見」で、夫のフレデリック・ジョリオとともに1935年ノーベル化学賞受賞)の娘エレーヌは長じて結婚し、姓が変わった。新しい姓はランジュヴァン。そう、マリー・キュリーの孫娘はポール・ランジュヴァンの孫息子と結ばれたのだった! ロマン的というほかはない人の縁である。
(文・西田節夫)
*『科学者キュリー』セアラ・ドライ(増田珠子訳)青土社 2005より引用