ようこそ 私の研究室へ14 「合原複雑数理モデルプロジェクト」研究総括 合原 一幸
複雑な現象の本質を数学の力でつかむ 脳の情報処理をモデル化し、新しいコンピューターを創ります。

PROFILE

合原一幸 (あいはら・かずゆき)

東京大学 生産技術研究所 教授
1954年福岡県生まれ。77年3月、東京大学工学部電気工学科卒業。82年3月、同大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。この間、故・松本元博士の下でヤリイカ巨大神経軸索のカオスダイナミクスを発見。83年4月、東京電機大学工学部助手。88年10月、同助教授。93年4月、東京大学大学院工学系研究科助教授。98年4月、同大学院工学系研究科教授。2003年10月より現職。97年11月〜2002年10月にCREST「脳を創る:脳の動的時空間計算モデルの構築とその実装」代表研究者。

無意識に計算するコンピューター。

「デジタル・コンピューターの性能限界がはっきりしてきました。限界を超える1つの方法は、脳の情報処理をヒントにしたアナログ・コンピューターにあります」
 アルゴリズムに従って論理的に計算する――それが現在の一般的なデジタル・コンピューターだ。合原一幸さんは、これを人間が意識的に行う思考になぞらえる。だが、人間は無意識でも情報処理をしている。思わぬ時にフッとアイデアがひらめくのはそのためだ。そこで、無意識的な情報処理回路を追加したハイブリッドなコンピューターを考案した。というのも、単純なデジタルプロセスでは効率的に解けない種類の問題(NP困難という)が存在するからだ。
 たとえば、工場配置問題。「N棟の工場があり、各工場間の物資の輸送量が決まっている。この時、各工場をN箇所の都市に1棟ずつ建設するもっとも経済的な配置の仕方を求めよ」というものだ。物資の輸送コストを抑えるためには、輸送量の多い工場間はなるべく近いほうがよい。可能な配置の組み合わせをすべて虱潰しに試そうとすると、Nが大きくなるにつれて計算量が爆発的に増え、N=30くらいですでに、現在のコンピューターでは事実上答えが出せなくなるという。
 NP困難な課題は、LSIの設計など、産業上のさまざま場面に見られる。だから、それらを効率的に解く手段を発明すれば、社会に大きく貢献できる。
 「無意識の回路としてアナログ・カオスコンピューターを導入したのですが、この部分は虱潰しではなく、筋の良い答えの候補だけを効率的に探していけるように設計されています。その候補を意識の回路=デジタルの部分が評価していく仕組みです。この方式のコンピューターなら、Nが100になってもうまく動作します」。現在、そのプロトタイプが出来上がっている。

ニューロンはカオス的に応答する。

「人間の脳は、無数のニューロン(神経細胞)がネットワークを形成し、互いに電気パルスや化学物質で信号を入出力し合っているアナログ電気回路と見なせます」
 合原さんの専門は数理工学。世の中のさまざまな現象の本質を数式(数理モデル)で表現し、それを基に工学的な応用を引き出す学問だ。長年、脳の神経回路網が行う情報処理のモデル化に取り組んできた。1000億ものニューロンがつながり合ってネットワークを形成する人間の脳は複雑極まりない。その情報処理の仕組みは多くの研究者が取り組み、未だ解明されない難問だ。
 博士課程の時に、ニューロン1個の電気的な特性を調べることから始めた。1ミリ弱もあるヤリイカの図太いニューロン(人間のものの百倍程度)を使って、電気刺激を与えた時の応答がカオス的になることを発見する。カオスとは、予測できないデタラメさを持ちながら、決定論的数式に従う振舞いのことをいう。法則性と無限の情報量が同居しているところに価値がある。
 「カオスこそ、脳が行う情報処理の鍵ではないか」。そう考えた。そして、ニューロンの特性を真似たアナログ素子の集積回路(ニューロンチップ)を製作し、「ひらめく」コンピューターを作ることに挑戦した。その成果は先に紹介した通り。ただし、人間の無意識の情報処理とカオスの関係性は今のところ明確ではない。

仲間と共に異端の説を唱える。

「カオスの重要性を踏まえて、神経回路網の数理モデルを考えていくと、異端視されるような説に行き着きました。そのときに心強かったのが4人の同志でした」
 「ギャング・オブ・ファイブ」(5人組)。脳科学の世界で、他の4人の研究者と共にそう呼ばれている。彼らは90年代前半には学会の異端児だったからだ。「脳では、特定のニューロンの興奮や、興奮しているニューロンの分布パターンが情報を表現する」という通説に対して、「興奮パターンの時間変化まで含めて情報と対応させるべき」と唱えたのだ。法則に従いながらも移ろっていくカオスの発見が合原さんをこの説に導いた。今日では賛同者が少なくない。
 「当時は、学会で発表するたびにボコボコに批判されました。そこで、同じような考えの5人が結集して、数カ月に1度、2、3日泊まり込みで議論したんです。すると、帰る頃にはトランス状態になって、『すべてわかった!』という気になる。実は全然わかってないんですけどね。それでも、毎回考えを深められたし、とても楽しかった」
 「相対性理論ですら、アインシュタインの発表時、惜しいところまで考えていた人が何人かいたらしい。独創的なことを思いついたら、必ず同じようなことを考えている人はほかにもいる。そういう人を見つけて議論すると、アイデアがとても磨かれます」
 現在、合原さんはより脳の本質に迫る数理モデルの構築とニューロンチップの改良に取り組んでいる。「脳は研究が進めば進むほどにその複雑さが明らかになってきています。でも、そこから原理をつかみ出すのが我々数理工学者の腕の見せどころです」

※ギャング・オブ・ファイブ=合原一幸、津田一郎(北海道大学大学院教授)、藤井宏(京都産業大学教授)、塚田稔(玉川大学教授)、奈良重俊(岡山大学教授)の5人のこと。


研究の概要
次世代ニューロンチップを調整中。調整を変えれば脳内の数種類のニューロンの特性を再現できる。
次世代ニューロンチップを調整中。調整を変えれば脳内の数種類のニューロンの特性を再現できる。

 さまざまな現象の数理モデルを研究している。
 扱う現象は、脳の情報処理、遺伝子・たんぱく質ネットワーク、がん治療法、伝染病の感染拡大防止、生体の概日リズムなど、分野をまたいで多岐にわたり、どれもが“複雑系”と呼ばれる予測の難しいものばかり。
 このうち、脳については、脳が行う情報処理を数学的に解明する研究と、本文で紹介したようなニューロンチップや新しいコンピューターなど、“脳を創る”研究の2方向がある。複雑数理モデルを構築するための一般的な基礎理論の探究と、各モデルを実際に応用するための個別的な研究の双方に取り組んでいるのが特徴だ。
 「数学には普遍性があり、どんな分野にも使えますが、個々の研究を深めるためには、その分野の専門家と一緒にやることが必要です。ERATOプロジェクトでも、それぞれを個別の科学技術として深めるために、外部の10グループと共同研究を進めています」

TEXT:黒田達明/PHOTO:大沼寛行/パース:意匠計画