JST News Vol.4/No.12
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科学技術振興機構の最近のニュースから……
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「ナノテクバーチャルラボ」横断的活動の成果
「もっと小さく」というテーマを突き詰めた結果、これまでの常識を超えた問題に直面しているナノテクノロジーの世界。科学者たちは、今、垣根を越えて手を結ぶことで、その壁を乗り越えようとしている。
Topics 01
脳科学とヒューマノイドロボット開発の関係とは?
Topics02
不良土壌でも生育可能な植物の作成技術
河口洋一郎 東京大学大学院情報学環教授
日本科学未来館の耳より情報

科学的かつ幻想的

【標本瓶】

 その部屋は昼でも薄暗く、しんと静まり返り、鼻をつくような独特の匂いが漂っている。すすけた壁に沿って棚があり、大小のガラス瓶が立ち並んでいる。天井の古びた蛍光灯の光が、瓶の表に鈍く映えている。小さな瓶の中では微小な藻が八手のように茎を広げている。やや大きな瓶には、ぬめるような軟体動物が、さらに大きな瓶には、まん丸の眼を見開いた魚が入っている。瓶中の液体も標本も、すべてはまったく動かない。静止と静寂のなか、標本瓶をずっとのぞきこんでいると、ふと、後ろを振り返りたくなる――。
 この記述は大げさで、今はずっと明るく開放的になったが、かつての博物館の標本展示室にはこんなイメージがあった。標本(specimen)とは、観察のため生物・鉱物などの全体または一部を保存したものをいう。その限りでは間違いなく科学的思考と方法論の産物である。にもかかわらず、科学を超えた何ものかを見る者に感じさせる不思議な働きが、標本というものにはある。とりわけ、保存液に満たされた「標本瓶」の中の標本には。
 標本瓶(specimen bottle)は標本の保存用に使われる、円筒形の蓋付き・裾付きのガラス瓶。90mlほどから1ℓを超える容量のものまで、いくつもの大きさがある。乾燥標本を入れる場合もあるが、圧倒的に多いのは薬液に浸して保存する「液浸標本」用である。標本はまず固定液に浸して固定(生物活性を止めて変化しないようにすること)し、その後、保存液を入れた標本瓶に入れ、蓋をして密閉する。最も代表的な固定液・保存液はフォルマリン(formalin:ホルムアルデヒド水溶液)。あのツンとする匂いの元はこれである。
 ところで、固定とは生物体をある瞬間のままに不変の状態に保つことである。しかもフォルマリンに浸した標本は、時間が経つと10%ほども収縮する。そのため標本は引き締まり、その分、気味が悪いほどに本質が現れているように見えるのである。その意味では標本とは、対象のある一瞬を切り取り、本質を抉り出す、写真や絵画に似ている。例えば江戸中期の“奇想の画家”伊藤若冲(1716〜1800)の、どこまでもリアルであることで、かえって幻想的な鶏の絵(「動植綵絵」)などがすぐに思い浮かぶのである。標本に科学を超えた何ものかを感じるのは、このあたりとかかわっているのではなかろうか。
(文・西田節夫)



JST News 発行日/平成20年3月
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