Topics01 JSTイノベーションプラザ・サテライトの仕事 地域発のイノベーション。
テクノロジーは環境を破壊するものと考える人は多い。しかし、東京海洋大学の吉崎悟朗准教授は、自身が開発した生殖細胞の移植技術を利用して、絶滅に瀕する魚を救い、生態系を守ろうとしている。

ヤマメから生まれたニジマスです。僕を産ませる技術を応用すれば、絶滅に瀕する魚たちを救うこともできるかもしれないんだ。

テクノロジーの話 始原生殖細胞から精原細胞へ!

希少な始原生殖細胞の移植だけでは産業応用は難しい。

吉崎悟朗
1966年、神奈川県生まれ。子供の頃から魚釣りに親しみ、趣味が高じて東京水産大学(現東京海洋大学)に進学。現在は准教授として東京のキャンパスで多忙な日々を送るかたわら、多くのサケマスを飼育する研究施設の主任も併任。

 近年、細胞を扱うテクノロジーの進歩によって、農林水産業に有用な品種改良が積極的に進められ、魚類を対象とした研究も活発だ。5ページでも紹介したように、東京海洋大学海洋科学部の吉崎悟朗准教授の研究グループは、生殖細胞の移植によりニジマスしか産まないヤマメを作り出すことに成功した。この技術を活用すれば、高価なマグロをサバに産ませることだって期待できる。
 この研究はもともと、稚魚のうちの一時期にしかない始原生殖細胞と呼ばれる細胞を使って進められていた。始原生殖細胞は精子にも卵子にもなるので、移植細胞として適しているが、1尾に数十個しかない。これを見つけ出すのに発光クラゲの遺伝子を組み込む必要があり、じつに手間がかかるものだった。これではサバにマグロを産ませられるとしても、実用化は難しい。
 もっと簡単に借り腹となる魚に異種の卵と精子を産ませる方法はないか――。吉崎准教授はさまざまな方法に取り組むものの、なかなかうまくいかない。ところが、これが意外なことから解決したという。吉崎准教授がこう語る。
 「研究室では大学院生も稚魚から始原生殖細胞を取り出す作業をやっているんですが、1人、不器用な大学院生がいましてね。失敗ばかりしていたんです」
 下の写真でわかるように、ニジマスの稚魚から始原生殖細胞を採取して、ヤマメの稚魚に移植するには、顕微鏡で観察しながらガラスピペットを操作するという繊細な作業が求められる。ちょっとした操作ミスでも細胞を壊すことがあり、最初からやり直しになってしまう。  しかも、発光クラゲの遺伝子を組み込む作業の手間もかかっており、始原生殖細胞は貴重な研究素材なのだ。当然、その扱いは慎重にならざるをえず、不器用な大学院生に安易に扱わせるわけにはいかなかった。
 「ですから、細胞の移植を練習するため、少し成長したニジマスの若齢魚の精巣から精原細胞を採取して、これをヤマメに移植してもらっていたんです。これが思いもよらない結果を生むことになりました」
 というのも、当の大学院生は単に細胞移植の練習では済まさず、移植したヤマメを育て続けていた。そして、成魚となったヤマメの精巣を調べてみると、そこにニジマスの精子が見つかったのだ。この一報を受けた吉崎准教授は、すぐに「メスも調べてくれないか」と指示を出す。
 従来の常識からすれば、始原生殖細胞が精原細胞にまで成長すると、精子になっても、卵子になることはないはずだ。大学院生もそう考えていたものの、サケマス類は稚魚の時点で性別を判定できないため、メスにも移植していた。当初、卵巣は研究対象外だったが、吉崎准教授の指示で、ヤマメの卵巣を調べたところ、ニジマスの卵子が確認されたのだ。
 「精原細胞が卵子に成長するというのは常識的に考えられないことですが、『もしかしたら……』という直感に賭けてみたんです」
 精原細胞の移植により卵子を作ることができれば、それまでの始原生殖細胞を利用するときの問題点を一気に克服できる。数十個しかない始原生殖細胞と異なり、精原細胞は精巣に大量に存在し、その採取は簡単だ。発光クラゲの遺伝子を組み込んで光らせる必要もなくなり、移植に伴う手間は大きく省かれる。ぐっと産業応用に近づいたと言えるだろう。

繊細さが求められるガラスピペットの操作。不器用な大学院生のための移植練習から意外な成果が生まれた。

ライフワークの話 魚をどうやって守るか?

河川ごとで分化するサケマス 冷凍保存で遺伝子を未来へつなぐ。


液体窒素が充填されたタンクの中で、貴重なサケマスの細胞が保存されている。

 こうして精原細胞の移植により、精子、卵子を得られるようになったわけだが、産業に応用するにはまだまだ課題がある。
 移植した精原細胞のすべてが生殖巣に移行するわけではない。確実に精子と卵子になる精原細胞を選び出し、大量に培養する技術が必要なのだ。すでにその開発にも取り組んでいるが、実用化となればもう少し時間がかかりそうだ。
 そこで、吉崎准教授はもう1つ、ライフワークとも言えるプロジェクトをスタートさせている。
 「サケマス類の中には、絶滅の危機に瀕している種が多くいます。そうした種の保全に私が開発した移植技術を応用できないかと考えています。バイオテクノロジーの力で生態系を守りたいんです」
 絶滅に瀕する魚種の精原細胞をヤマメやニジマスといった養殖技術が確立した魚種に移植して保護していこうというわけだ。さらに精原細胞を冷凍保存することにより、希少な魚の遺伝子を半永久的に保存することも考えている。
 「哺乳類は精子や受精卵の冷凍保存ができるので、動物園などで実施されていますが、魚類の場合、精子は保存できるものの、卵子は大きな卵黄をもっているために冷凍保存は不可能です」
 精子と卵子の両方が保存できなければ種の保存は望めない。その点、精原細胞は冷凍保存できるため、解凍して移植すれば、精子と卵子を作れるので種を保存できる。こうした研究成果を米国の学術雑誌に発表したところ、米国海洋大気局(NOAA)からサケ類の保護活動への協力を要請された。
 アイダホ州にサーモン・リバーと呼ばれる川があり、ここはベニザケが遡上する川として知られている。ただし、そのスケールは日本の常識を超えるもので、河口から1500kmもの距離を遡上するというのだ。かつては多くのベニザケが遡上していたようだが、下流域の堰などに阻まれ、現在では年間数匹しか遡上できなくなっている。
 「ベニザケという種が絶滅に瀕しているわけではありませんが、サケマス類は水系ごとで独自に分化しており、水系それぞれのベニザケを保全すべきです。特にサーモン・リバーのベニザケは長距離を遡上してくるため、スーパー・アスリートの遺伝子をもっているかもしれません」
 すでに吉崎准教授は現地へ赴き、細胞の採取や冷凍保存をサポートしている。バイオテクノロジーの力で生態系を守るという、吉崎准教授のライフワークが、今、実現しようとしているのだ。


山梨県北杜市にある東京海洋大学の研究施設。吉崎准教授をはじめ、多くの大学院生が寝泊りして、サケマスの世話をしながら研究を続けている。

距離1500km、標高2000mを遡上するベニザケを守れ!
1500kmもの長距離を遡上するサーモン・リバーのベニザケは、この水系に適応した特異な遺伝子を持っている可能性があり、手厚い保護の対象となっている。

TEXT:斉藤勝司/PHOTO:大沼寛行


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JST News 発行日/平成19年12月
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