Close up 大型超高精細スキャナーの開発と、その後の展開 芸術のための科学技術。(JSTニュース12月号)
「唐船・南蛮船図屏風」
(とうせん・なんばんせんずびょうぶ)
時代:桃山時代・17世紀
品質:紙本金地着色、屏風装
法量:縦155.8×横360.4cm
九州国立博物館蔵

「家族の写真を撮ったら、保存するだけでなく見て楽しみたい。文化財も同じだと思いませんか?」−井出教授

デジタル化した文化財を生かすための井手プロジェクトの新たな展開。

ジョサイア・コンドル設計図面の撮影
ニコライ堂などを設計した建築家コンドルの設計図面(重要文化財)の撮影。京大総長の支援で、工学研究科建築専攻と井手研究室の共同プロジェクトとして実施され、教育用コンテンツとして研究されている。

デジタル化した文化財を手軽に見られる表示システムを。

 開発されたスキャナーは重さ約100キロ。3つに分解でき、持ち運びも便利で実用的なものだ。地元企業によって「北斎」の名で製品化され、早速、全国各地に運ばれて、さまざまな文化財のデジタル化が始まった。文化財の研究で最も重要なのは、保存に関る現場の研究者・学芸員との密接な協力体制づくりだが、その点、九州国立博物館から資料提供などの多大な協力を得たことがはかりしれない力となった。
 うわさを聞きつけて、井手教授の元には、全国各地の寺社や博物館からデジタル化の要望が寄せられている。文化財の保存は手間も費用もかかり、寺社や博物館にとって難題だ。開発されたスキャナーによるデジタル化は、その両方を解決する道になる。また、傷みがひどくなった場合も、従来の姿を画像として残しながら、修復にとりかかれるという利点もある。
 文化財からより高い科学情報を抽出し、文化財の理解を深める道として、当初から、課題名にもある「画像材料推定システム」の開発が考えられていた。得られた詳細なデータをもとに、文化財に含まれている顔料などの素材を推測するもので、顔料推定ソフトウェア「ピグマリオン」を開発するなど、もともと材料分析は井手教授の専門分野であり、着々と成果を上げつつある。
 しかし、井手教授の関心は、さらに広がっていく。数百年前の芸術が、最新の科学技術の力によって新たな命が吹き込まれていく――そんな姿を見ているうちに、井手教授の心の中で、このプロジェクトをもっと広く生かしていきたいという気持ちが膨らんでいったのだ。
 「家族の写真を撮ったら、保存するだけでなく見て楽しみたい。文化財も同じことだと思いませんか?」
 特に必要だと感じたのが、デジタル化した文化財の重いデータもパソコン上で快適に楽しめる表示システムの開発だ。
 早速、別の企業の協力を得て開発を進めた結果、パソコン上の簡単な操作で膨大な画像を素早く、自由自在に移動したり拡大したりして閲覧することのできるソフト「アマテラス」を開発。
 「このソフトがあれば、将来的には、全世界のどこからでもインターネットで高精細高品質の文化財データに触れ、研究を進めることができるでしょう」
 実際、デジタル化した絵画をこのソフトを使って閲覧することで、肉眼では確認できない部分までも認識でき、新たな発見が生まれたケースもあるという。また、このソフトは、タッチパネルシステムを使って画面に触れるだけで操作するようにもできる。このシステムはさっそく実用化され、今年10月には京都・二条城の「お城まつり」での企画展「映像で見る二条城」で大規模な障壁画の閲覧が行われ、好評を博した。

もの作りの最終目的は文化作りです。

屏風の中の人物がアニメになって動き回る。

 デジタルカメラが普及したことで、撮った写真をアルバムに貼るだけでなく、写真を使った自作の年賀状をつくるようになった人は少なくないだろう。それと同じように、デジタル化した文化財を1つのコンテンツとみなして、さまざまな形で生かす試みも進められようとしている。
 その1つが、デジタル化した文化財を使った教育用のDVDの制作だ。教育用といっても、堅苦しいものではない。試作品では、屏風絵の中に出てくる人物を主人公にしたオリジナルのアニメーション「動け!南蛮人」を制作。南蛮人が手足を自由に動かしたり、超アップになったり、タバコをふかしたり、調理されている鳥が逃げ出して空を飛んだり、シュールなセリフを言ったりと、絵から人物が飛び出してきたような感覚を味わわせてくれる。井手教授が「インテレクチュアル・アミューズメント(intellectualamusement)」という、新しい文化財への親しみ方の提案だ。制作を担当した山口冴子さんはこう語る。
 「井手先生からは、自由に、何でもやってよいといわれたので、絵を見てイメージを膨らませました。文化財にはそれほど興味はなかったのですが、南蛮人が調理している鳥とか、細かいところまで見られて興味がもてました。今度は、ラブストーリーをつくってみようと思っています」
 こうしたDVDの開発・制作は、井手教授の専門ではない。そこで、京都市立芸術大学の大学院生に呼びかけ、新たに参加してもらっている。山口さんもその1人だ。同様に参加している徳山拓一さんは、デジタル化した文化財がアジア近隣諸国をはじめ世界各国を巡る「トラベリング・ミュージアム」の実現という夢をもっている。
 「だれかが来てくれるのを待っているという従来の美術館や博物館のあり方は、19世紀のヨーロッパで生まれたものです。それが、今を生きる人たちにとって最適だとは思えません。デジタル化することで文化財の移動や再生が簡単になるので、どこへでも移動して、たくさんの人が気軽に楽しめる、新しいスタイルの美術館や博物館をつくりたいですね」
 そんな目標を実現するため、「Sabia」というベンチャー企業が立ち上げられ、徳山さんも山口さんもそこに所属して企画・制作にあたっている。すでに触れた大型超高精細スキャナー「北斎」、画像材料推定システム「ピグマリオン」、表示システム「アマテラス」の開発は、いずれも企業との共同研究という形で進められ、企業によって製品化されている。このように、研究室に閉じこもらず、さまざまな広がりを見せているのも、井手教授のプロジェクトの大きな特徴だ。
 「同じような人だけでは新しいことは生まれません。いろいろな人が交わることに意味があると思います」

もっと自由に、だれもが文化財を楽しめる環境に。

 井手教授はプロジェクトの今後に大きな可能性を感じると同時に、大きな懸念を抱いてもいる。それは、デジタルアーカイブの扱いを巡る環境の問題だ。たとえば博物館の資料をデジタル化した場合、その権利はだれがもっているのか、公開するにはどんな手続きを踏めばよいのかなど、明確な基準がない。2003年のユネスコ総会で「デジタル遺産保存憲章」が採択され、国によっては取り組みが進んでいるが、日本はまだまだこれからという段階だ。
 「文化財を保護するというと、博物館の奥深くに大切にしまっておけばいいと思う人もいるかもしれません。私は、文化財を保存するだけでなく、知恵やお金を使い、社会の中で活用するシステムをつくり、社会的な認知度を高めるべきだと思います。それが、文化財の保存のためにも大きく役立つのではないでしょうか」
 そんな夢の実現のために、井手教授は専門の枠を軽々と跳び超え、さらに大きなフィールドへと足を踏み出そうとしている。

TEXT:十枝慶二/PHOTO:松崎泰也(ミューモ)


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JST News 発行日/平成19年12月
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