研究主題「心表象」の構想


 ヒトは進化の過程で、言語の使用、推論、思考という高度な知的能力を獲得した。これらは「高次認知機能」と呼ばれている。高次認知機能が、どのような能力の集合であり、これらが相互にどう組織化されているか、また、脳のどのような構造に支えられているのかを解明することは、以前より、人類が探求してきた課題である。
 高次認知機能を解明するためには、脳と心の両面から解析を行う必要がある。脳の働きからのアプローチは神経科学・脳科学が、また、心の働きをモデル化する試みは認知科学が担ってきた。
 神経科学は、個々の神経細胞(ニューロン)からどのように脳の働きが生み出されるかを研究してきた。単純な反射がどのようなニューロンの回路により起こるのか、また、視覚、触覚などの感覚は末梢受容器からどのような経路で中枢神経系に伝達、処理されるのかなどの成果を上げてきた。脳科学においては、ヒトの脳活動を非侵襲で計測する手法として、脳波計測、ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(PET)、多チャンネル脳磁場計測(MEG)などが用いられてきた。最近開発された機能的磁気共鳴画像法(fMRI)は、時間・空間分解能や非侵襲性に優れ、断層画像の撮影が可能であるなどヒト脳の研究に革命をもたらしつつある。
 本共同研究の日本側代表研究者である宮下保司氏は、電気生理学的方法による認知神経科学のパイオニアであり、無麻酔サルを用いて視覚短期記憶および長期記憶をコードするニューロンの同定に成功した。さらに同氏はfMRIの開発に早期から着手し、超高速測定により実用的計測を実現するエコープレーナー磁気共鳴画像法(EP-fMRI)の開発を進めており、ヒト脳内の活動を画像としてリアルタイムに捕らえることを目指している。
 一方、心のモデル探究をめざす認知科学においては、チョムスキーに始まる現代言語学が、高次認知機能の中核である言語機能の習得過程や遺伝的制約の解析に成果を上げてきた。今後は、ヒトが言語を習得・使用する能力がどのような遺伝的情報に由来するのか、また、子供が言語を習得する場合に言語の知識が脳の中にどのように体系化されるのか、体系化された言語の知識が言葉を話す場合や理解する場合、どのように使われるのかなどの解明を目指して研究が進んでいる。
 本共同研究は、ヒト脳の非侵襲計測画像技術の新しい進展を踏まえ、認知科学と神経科学を従来とは異なったレベルで融合させ、高次認知機能の探究を「心のメカニズムの探究」へと高めることを目指す。認知科学からは、ヒトの言語活動に際し活性化される認知モジュール及び認知的基盤構造の解明を行う。神経科学からは、非侵襲画像技術などを駆使して、脳内での単一ニューロンの活動からこれが集合して形成されたニューロン回路、さらには機能円柱モジュールなどの認知モジュール階層構造と認知機能との関係の解明を行う。具体的には、次の事項について研究する。

(1) 思考などの際にヒトの脳のどのような領域が活性化しているのかを明らかにするため、機能的磁気共鳴画像法を用いたヒト脳の非侵襲的計測法により、活性化領域に関する脳内の大域的なマップを作成する。
(2) 脳内の大域的マップに基づき、脳の表面からの光学的信号計測や電気生理的手法を用いて、機能円柱モジュールの活動を調べ、状況に対応して最適な記憶情報を想起するメカニズムと脳内の認知モジュール階層構造との関係を明らかにすることを目指す。
(3) 遺伝的に言語の発達が遅れる家系の被験者と健常者について、DNAシークエンス、言語学的特徴を比較するとともに、脳活動を画像的に比較する。また、言語の習得期にある子供の脳活動の変化や第二外国語習得に関連する脳活動変化を計測する。これらのデータを総合して、言語の習得に関する遺伝的要因と学習的要因の解析を行う。

 これらの研究により、基礎研究面において、ヒトの高次認知機能、特に記憶や言語の機能が脳のどの領域でどのような仕組みにより発現されているかに関する重要な知見が得られる。また、臨床面においては、ヒト脳活動計測法として、非侵襲的なfMRI法が実用化されることにより、老年痴呆や脳血管障害の画像診断法が飛躍的に進歩し、脳ドックなどの予防医学の発展にも役立つものと期待される。



用語の解説

1. 機能的磁気共鳴画像法(fMRI)

 強い静磁場中に置かれた原子核が外部から加えられた特定の周波数の磁場に共鳴する現象を利用し無侵襲で脳をはじめ、体内の活動部位を画像として描き出す方法。
 脳の機能を測定する場合、血液中のヘモグロビンを天然の造影物として利用し、脳内での血流の分布を計測することにより、脳内の活動部位の情報が2次元の断層画像として得られる。

2. 機能円柱モジュール

 似たような機能を持つ数万個の神経細胞(ニューロン)群が大脳皮質の表面で垂直方向に、直径0.5mmくらいの円柱状に集まった構造。大脳皮質における情報処理の基本単位。


This page updated on May 14, 1999

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