科学技術振興機構報 第97号
平成16年7月29日
東京都千代田区四番町5-3
独立行政法人科学技術振興機構
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp

ニジマスを産むヤマメの作出に成功

~借り腹養殖や絶滅危惧魚種の保全基礎技術を確立~

 独立行政法人科学技術振興機構(理事長 沖村 憲樹)は、ニジマスから取り出した始原生殖細胞*1をヤマメの孵化稚魚の腹腔内に移植すると、移植された細胞が宿主ヤマメの生殖腺に向かって移動した後、宿主生殖腺に取り込まれ、その中で受精能力を有する配偶子へと分化する事を見出した。さらに、その成熟した宿主ヤマメから得られた精子を通常のニジマス卵に受精させたところ、その子(次世代個体)の中に完全なニジマスを得ることに成功した。生殖細胞の種を超えた移植でドナー由来の次世代個体を得たのは全動物種を通じて初めての報告である。
 この発見は、親魚の育成や管理が困難なマグロのような大型魚種を、小型で飼育が容易な近縁種に産ませる借り腹養殖や、絶滅が危惧される魚種の始原生殖細胞を凍結保存した後に近縁種に移植し、その宿主に卵や精子を生産させることで、当該種を生産するといった希少種の保全技術に応用可能である。
 なお、この研究成果は戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)「認識と形成」研究領域(研究総括:江口 吾朗)における研究テーマ「培養系での魚類始原生殖細胞からの個体創生技術の確立」の研究者 吉崎 悟朗(東京海洋大学 助教授)及び、東京海洋大学の竹内 裕(博士研究員)らの共同によるもので、英国学術雑誌Nature(8月5日号)に掲載される。
【研究成果の概要】
研究の背景
 始原生殖細胞とは孵化前後の性的に未分化な仔稚魚が保持する卵や精子の前駆細胞*2のことである。すなわち、雌個体の卵巣内に取り込まれた始原生殖細胞は将来、卵に分化し、雄個体の精巣に取り込まれた同細胞は将来、精子に分化することとなる。さらに、卵と精子は受精を介して、個体を創り出すことが可能であるため、この始原生殖細胞は成熟・受精というプロセスを介して、個体へと改変可能な細胞であると考えられる。そこで、この始原生殖細胞を操作する手技が確立すれば、基礎生物学的に有意義であるのみならず、食糧生産や生物保全の側面からも有用な技術を創出することが可能であると考えた。
 例えば、マグロのように親魚が数百kgに達し、成熟にも長年を要する魚種においては、親魚の維持・管理に莫大なスペース、労力、およびコストを必要とする。一方、近縁の種であるサバは小型であるうえ、成熟までに要する期間も短い。そこで、マグロの始原生殖細胞を取り出してサバに移植することで、マグロを産むサバが作出できれば、マグロ種苗の生産(受精卵の採取)が飛躍的に簡略化されることが期待される(図2)
 また、魚類では卵や胚*3の凍結保存が不可能であるため、現在魚類の遺伝子資源の保存は、個体を代々飼育することに頼らざるを得ない現状にある。一方、我々は既に始原生殖細胞を液体窒素内で凍結保存する技術を確立しており、この凍結始原生殖細胞を融かした後、近縁の宿主に移植すれば、もしも当該種が絶滅してしまった場合でも、近縁宿主が絶滅種の卵や精子を生産し、受精を介して絶滅種を復活させることも可能になると期待される(図3)。そこで本研究では、これらの借り腹養殖や魚類遺伝子資源保全の基礎となる"異魚種間での始原生殖細胞の移植"を試みた。
研究の経緯および成果の概要
 魚類の始原生殖細胞は、その数が100以下と極めて少ないうえ、生きた始原生殖細胞を形態的あるいは生化学的に他の細胞と判別するための指標がまったく知られていなかった。そこで、まず始原生殖細胞で特異的に発現していることが知られている遺伝子(vasa)の発現制御領域をニジマスから単離し、オワンクラゲ由来の緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子*4と接続した組換えDNAを調整した。この組換えDNAをニジマス受精卵にマイクロインジェクション法*5で導入することで、始原生殖細胞のみが特異的にGFP遺伝子を発現し、緑色蛍光を発する遺伝子組換えニジマス*6を作出した*7
 本研究(図1)では、ニジマスから生きた始原生殖細胞を緑色蛍光を指標に取り出した後、10-20粒の始原生殖細胞を非常に微小なガラスピペットを用いてヤマメ*8宿主の腹腔内に注入した。その後、経時的に観察を行い、移植された始原生殖細胞は宿主腹腔内を仮足を伸長して移動し、最終的には宿主の生殖腺内にたどり着き、そこに取り込まれることを明らかにした。さらに、ヤマメの生殖腺に取り込まれたニジマスの始原生殖細胞はそこで増殖・分化し、雄個体においては成熟精子にまで分化可能であることを見出した(雌個体に関しては観察継続中)。続いて、このヤマメ宿主雄親魚から得られた精子を、通常のニジマス卵と受精することで次世代の作出を試みた結果、次世代の0.4%の個体が完全なニジマスであった(残りの個体はニジマスとヤマメの雑種となった)。なお、DNAを用いた親子鑑定の結果からも、これらの個体が完全なニジマスであることが証明された。
 生殖細胞の移植によって、異種由来の精子が生産されたという例は、免疫応答能が先天的に欠如した突然変異マウスを宿主として用いた場合に限り報告されているものの、異種由来の精子が通常の免疫応答能を有する個体で生産された例、あるいは異種由来の精子を用いて実際に次世代個体が生産されたという報告は、本研究が全動物種を通じて初めてのものである。
今後期待できる成果
 今後は凍結保存した始原生殖細胞を用いて実際に移植を行うことで、凍結細胞に由来する魚類個体の生産が可能になると期待される。すなわち、始原生殖細胞の凍結技術と、今回の異種間移植実験とを組み合わせることで、魚類の遺伝子資源を半永久的に凍結保存することが可能になるものと期待される。また、前述のマグロのような大型魚や種苗の生産が困難な魚の生産に応用することで、種苗生産技術の簡便化も期待される。
 なお、本研究では遺伝子組換え個体をドナーに用いているため海に放流する魚の生産や、絶滅危惧種の保全に直接利用することはできないが、我々は既に遺伝子組換え技術を用いない方法で始原生殖細胞を可視化する技術を開発済みである*9。さらに、この始原生殖細胞を試験管内で大量に増殖させる技術が確立すれば、本細胞を試験管内から無限に供給することが可能になり、上記の技術が簡略化されるのみならず、マウスの胚性幹細胞(ES細胞)を用いた遺伝子改変個体の作出と同様の方法が魚類でも利用可能となる。すなわち、試験管内で培養している始原生殖細胞に種々の遺伝子操作(遺伝子ノックアウト*10等)を施した後、これらの細胞を個体に改変することで、遺伝子改変魚類を得ることが可能となり、ゼブラフィッシュやメダカといった実験動物を用いた遺伝子レベルの基礎研究にも大きく貢献できるものと考えられる。
*1 始原生殖細胞:発生初期の動物が保持する、卵と精子のおおもとの細胞(前駆細胞)。個体が雌になった場合、始原生殖細胞は卵原細胞、卵母細胞、を経て卵へと分化し、雄になった場合、同様に精原細胞、精母細胞、精細胞を経て精子へと分化する。魚類の場合、孵化前後の未熟な仔稚魚が保持する。
*2 前駆細胞:種々の機能を担う成熟した細胞のもとの細胞。卵や精子の前駆細胞は始原生殖細胞である
*3 胚:多細胞生物の発生初期の個体。
*4 緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子:発光能を持つオワンクラゲが生産する緑色の蛍光を発するタンパク質。近年ではその遺伝子が単離され、多くの動植物に導入されている。これにより本遺伝子が発現した細胞のみが緑色の蛍光を発することになり、細胞の標識が可能となる。
*5 マイクロインジェクション法:微細なガラスピペットを用いてDNA溶液や核を顕微鏡下で細胞や卵に注入する方法。核移植や遺伝子導入マウスの作出に広く用いられている方法であり、遺伝子導入魚の作出にも有効な手法である。
*6 ニジマス:北米原産の冷水魚で太平洋サケ属に属する。現在は日本でも盛んに養殖され、食用および釣り対象魚として利用されている。
*7 既に発表済(Biology of Reproduction 2002 Oct;67(4):1087-1092.)
*8 ヤマメ:日本を中心に、ロシア、台湾に分布する太平洋サケ属の一種。ニジマスとヤマメは少なくとも800万年前に分化したと考えられている。
*9 平成16年度日本水産学会年次大会において発表済
*10 遺伝子ノックアウト:生物が元来保持している遺伝子の特定部分を人為的に改変することで、当該遺伝子の機能を破壊し、それに伴う個体の表現型の変異を解析することで、当該遺伝子が個体内で果たしていた機能を明らかにする方法。現在、マウスにおいてはES細胞を用いて試験管内で特定遺伝子を破壊し、これを個体に改変する技術が確立している。
【論文名】
Nature
「Surrogate broodstock produces salmonids」
(借り腹親魚を用いたサケ科魚類の生産)
doi :10.1038/430629a

【研究領域等】
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)
「認識と形成」研究領域 (研究総括:江口 吾朗)
研究課題名: 培養系での始原生殖細胞からの個体創生技術の確立
研究者: 吉崎悟朗
研究実施場所: 東京海洋大学 海洋科学部 海洋生物資源学科
研究実施期間: 平成14年10月~平成17年度
【問い合わせ先】
吉崎 悟朗(ヨシザキ ゴロウ)
 東京海洋大学 海洋科学部 海洋生物資源学科
 〒108-8477 東京都港区港南4-5-7
 TEL:03-5463-0558  FAX:03-5463-0558 (TEL・FAXでの対応は7/30まで)

瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
 独立行政法人 科学技術振興機構 戦略的創造事業本部
 研究推進部研究第二課
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4丁目1番8号
 TEL:048-226-5641  FAX:048-226-2144
図1:今回の成果
図2:今後期待できる成果 魚の借り腹生産
図3:今後期待できる成果 凍結始原生殖細胞を用いた魚類遺伝子資源の保存

■ 戻る ■


This page updated on November 9, 2015

Copyright©2004 Japan Science and Technology Agency.