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科学技術振興機構報 第808号

平成23年6月23日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)
URL http://www.jst.go.jp

素材の摩耗を防ぎ、長寿命化が期待される人工股関節の開発に成功

(医療機器の製造販売承認を取得−JST委託開発の成果)

JST(理事長 北澤 宏一)はこのほど、独創的シーズ展開事業・委託開発の開発課題「MPC注1)処理を用いた長寿命型人工股関節」の開発結果を成功と認定しました。

この開発課題は、国立障害者リハビリテーションセンター 中村 耕三 自立支援局長(元 東京大学 医学部附属病院 整形外科・脊椎外科 教授)と東京大学 大学院工学系研究科 石原 一彦 教授らの研究成果をもとに、平成18年3月から平成23年3月にかけて日本メディカルマテリアル株式会社(代表取締役社長 野元 修 、本社住所 大阪市淀川区宮原3丁目3−31 上村ニッセイビル、資本金25億円)に委託して、企業化開発(開発費 約2億7000万円)を進めていたものです。なお、本人工股関節は、今年4月に厚生労働省から医療機器として製造販売の承認を取得しました。

高齢者人口の増加に伴い、関節の機能に支障をきたし、運動不全となる人口も増加してきています。激しい痛みなどで患者のQOL(生活の質)が著しく低下すると、人工股関節に置き換える処置など手術療法を選択されることが一般的です(国内では年間4万件以上)。

この人工股関節置換術は、患者の運動機能の回復に大きな役割を果たす優れた治療法といえますが、「弛み(ゆるみ)」という、製品の寿命(耐用年数)、ひいては患者のQOLに影響する深刻な合併症のため、人工股関節を入れ替える(再置換)手術の必要性や、若年層への適用が困難であるなどの問題があります。この「弛み」が起こる大きな要因の1つに、人工股関節がこすれる関節面で生じるポリエチレンの摩耗粉(まもうふん)が挙げられており、ポリエチレンに高エネルギー線を照射して架橋・硬質化させるなど、従来から対策がとられてきましたが、根本的な解決までには至っていません。

本開発においては、JSTの委託開発課題「リン脂質極性基を有するポリマーの製造技術」(開発期間:平成6年3月〜平成11年3月)にて実用化された、生体適合性に優れたMPCという物質を用いて、人工股関節の関節面を構成するポリエチレンライナー注2)の表面をナノメートルスケール(ナノは10億分の1)のMPCポリマーの膜で覆いました。この結果、関節面に生体擬似膜が形成され、良好な耐摩耗性を持つ製品の開発に成功しました(図1)。

本技術の活用により、「弛み」の主な原因とされる摩耗粉が少なくなり、再置換手術に至るリスクの低減が期待されます。その結果、患者の長期にわたるQOLの維持・向上に貢献すると考えられます。

独創的シーズ展開事業・委託開発は、大学や公的研究機関などの研究成果で、特に開発リスクの高いものについて企業に開発費を支出して開発を委託し、実用化を図っています。本事業は、現在、「研究成果最適展開支援プログラム(A−STEP)」に発展的に再編しています。
詳細情報 http://www.jst.go.jp/a-step/

本新技術の背景、内容、効果の詳細は次の通りです。

(背景) 今後ますます増加する人工股関節の需要に伴い、「弛み」という、製品の寿命(耐用年数)、ひいては患者のQOLに影響する深刻な合併症が問題になっています。

高齢者人口の増加に伴い、関節の機能に支障をきたし、運動不全となる人口も増加してきています。現在、国内では年間4万件以上の人工股関節置換術が行われ、この件数は年々増え続けています。

疾患の初期段階では、薬剤療法などで関節の痛みや疾患の進行はある程度抑えられますが、激しい痛みなどで患者のQOLが著しく低下すると、人工股関節に置き換える処置など手術療法を選択されることが一般的です。

この人工股関節置換術は、患者の運動機能回復には大きな役割を果たす優れた治療法といえますが、人工股関節の寿命(耐用年数)に影響する「弛み」という深刻な合併症に対する決定的な解決策が得られていません。この「弛み」が起こると人工股関節を入れ替える(再置換)手術が必要となります。また、将来、再置換の繰り返しが必要となるような若年層の患者に対する適用も困難となります。

「弛み」の過程は、人工股関節の関節面から発生する摩耗粉から始まります。免疫細胞(体内の生体防御機構をつかさどる細胞)がこの摩耗粉を異物として認識して排除する際に、破骨細胞(骨の再構築プロセスにおいて骨吸収をつかさどる細胞)を形成・活性化し、埋入された人工股関節の周囲の骨が吸収されるため、「弛み」に至ります。従って、摩耗粉の発生を抑えることがこれまで大きな技術課題でした。

摩耗粉は関節面を構成するポリエチレンから発生するため、ポリエチレンに高エネルギー線を照射して架橋・硬質化させるなど、従来から対策がとられてきましたが、根本的な解決までには至っていません。

(内容) 人工股関節の摺動面に生体擬似膜を形成し、耐摩耗性の向上を実現します。

本技術は、石原教授の持つ生体親和型バイオマテリアル技術(人工細胞膜の構造を創るマテリアル技術)であるMPCポリマー(図2)で人工股関節の関節面を構成するポリエチレンライナー(図1)の表面を処理するものであり、耐摩耗性の向上を実現しました。

生体の股関節軟骨表面にはリン脂質の組織化層が存在しており、この層により関節面が保護され、潤滑機構が保たれています。そこで本開発では、リン脂質構造を含み、生体親和性に優れているMPCポリマーに着目し、人工股関節のポリエチレンライナーの関節面に、MPCを光化学的にグラフト重合注3)させ、ナノメートルスケールのMPCポリマーの層を形成しました(図2)。

人工股関節の関節面に形成された人工細胞膜様のMPCポリマー層により、関節面には薄い水の層ができるため、生体の関節軟骨と同等の高い潤滑性が発現しました。実際、股関節シミュレーターを用い、1000万サイクルの股関節の運動を模擬した摩耗試験を行ったところ、未処理のポリエチレンライナーに比べて、摩耗量の大幅な低減が確認されました(図3)。また、MPCポリマー層の安定生成条件を明確にし、製造技術ならびに品質管理手法を確立しました。

これらの開発成果により、関節面の摩擦を低減でき、耐摩耗特性のさらなる改善につながることから、人工股関節の寿命の向上が期待されます。

(効果) 人工股関節の長寿命化により、患者のQOLの維持・向上に貢献します。

本開発では、2007年より臨床試験を実施し、安全性を確認しました。臨床試験結果をまとめて薬事承認申請を行い、今年4月に医療機器として製造販売承認を取得しました。

本技術を適用した人工股関節は、完全に日本オリジナルの研究成果であり、人工股関節の再置換手術の必要性を効果的に低減し、患者のQOLの向上に貢献することが期待されます。

<参考図>

図1

図1 人工股関節とポリエチレンライナーの製品外観

図2

図2 グラフト重合したポリエチレン表面とMPCポリマー層の結合状態

ポリエチレンの表面にMPCを光化学的にグラフト重合し、MPCポリマーの層を形成した。

図3

図3 股関節シミュレーターを用いた摩耗試験結果

MPCポリマー処理によりポリエチレン表面から産生される摩耗粉の発生が抑制できたため、ポリエチレンライナーは重量減少が確認されたが、MPCポリマー処理ポリエチレンライナーの重量減少は確認されなかった。

<用語解説>

注1) MPC
2−メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(2−methacryloyloxyethyl phosphorylcholine)の略称。
リン脂質を持つMPCを重合して得られるMPCポリマーは、さまざまな医療機器の表面に応用されており、MPCポリマーの特性である抗血栓性やたんぱく質吸着抑制を利用した人工肺、親水性を利用したソフトコンタクトレンズ、潤滑性を利用したガイドワイヤー、血管ステントなどが世界的に臨床の現場で用いられている。このポリマーはJSTの委託開発課題「リン脂質極性基を有するポリマーの製造技術」(開発期間:平成6年3月〜平成11年3月)にて実用化された。
注2) ポリエチレンライナー
股関節における骨盤の臼蓋(きゅうがい)を模擬したポリエチレン製の部品。大腿骨の骨頭(こっとう)を模擬したボールを覆うように組み込まれ、人工股関節の関節部分を構成する(図1)。
注3) グラフト重合
グラフトとは、“接ぎ木”の意味であり、“幹”となる高分子に、光学的にラジカル(活性点)を形成し、別のモノマーあるいはポリマーを結合させる技術。

開発を終了した課題の評価

<お問い合わせ先>

<開発内容に関すること>

日本メディカルマテリアル株式会社 メディカルマーケティング部
大原 洋一郎(オオハラ ヨウイチロウ)
〒532-0003 大阪府大阪市淀川区宮原3丁目3−31 上村ニッセイビル
Tel:06-6350-1057 Fax:06-6350-8157

<JSTの事業に関すること>

科学技術振興機構 イノベーション推進本部 産学連携展開部
平尾 孝憲(ヒラオ タカノリ)、株本 浩揮(カブモト ヒロキ)
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8995 Fax:03-5214-0017