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科学技術振興機構報 第778号

平成22年12月9日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)
URL http://www.jst.go.jp

インジウムを含む半導体の超高感度NMR測定に成功

(ユニークなスピン状態の量子情報応用へ道を開く)

JST 課題解決型基礎研究の一環として、東北大学 大学院理学系研究科の平山 祥郎 教授とJST 戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「平山核スピンエレクトロニクスプロジェクト」の劉 洪武(リュウ・ホンウ) グループリーダーらは、インジウム(In)を含む半導体量子構造の超高感度核磁気共鳴(NMR)注1)の測定に成功しました。

「超高感度NMR」は、構造分析に利用される一般的なNMRとは異なり、ナノ(10億分の1)スケールの半導体量子構造などに応用可能ですが、約20年前にガリウムヒ素(GaAs)半導体で成功してから、他の半導体での測定は実現されていませんでした。そのようななか、特にInというユニークな原子核を含み、次世代半導体の候補として注目されているIn系半導体での超高感度NMR測定の実現が望まれていました。

本研究グループは今回、GaAsとは異なるインジウムアンチモン(InSb)の特徴を活かし、試料を磁場中で傾斜させることで電子スピンと核スピンの相互作用が強くなる独特な状態を作り、InSb半導体での超高感度NMR測定を実現しました。NMRスペクトルはInとSbの両原子に対して測定され、特にInではスピン状態が10個のピークを持つユニークな振る舞いが明瞭に観測されました。

スピン状態が10に分裂するInの核スピンを精密に制御することで、核スピンを用いた量子情報処理への応用が期待されます。さらに、超高感度NMR評価が可能になったことで、InSb量子構造の次世代半導体デバイスとしての活用やスピントロニクスへの応用が促進されます。

本研究は、米国・オクラホマ大学、中国・吉林(キツリン)大学の協力を得て行われ、本研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review B」のオンライン速報版で、編者が特に推薦する(Editors’ Suggestion)「Rapid Communication」として近日中に公開されます。

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究

研究プロジェクト 「平山核スピンエレクトロニクスプロジェクト」
研究総括 平山 祥郎(東北大学 大学院理学系研究科 教授)
研究期間 平成19〜24年度

JSTはこのプロジェクトで、半導体量子構造やナノマテリアルにおいて核スピンを精密に制御する技術と、核スピンの性質を利用した量子情報処理のための半導体デバイスや超高感度NMRについて研究しています。

<研究の背景と経緯>

NMRは高感度分析手法として化学分析などに広く利用されていますが、通常のNMRは感度が低く、半導体の薄膜やナノ構造などの量子構造には応用できませんでした。1990年代から電子スピンと核スピンの相互作用を使い、量子構造にも応用可能な超高感度NMRが実現され、電子スピン状態の評価や半導体核スピンによる量子コンピューター注2)など量子情報処理分野への応用が期待されてきました。しかし、超高感度NMRはこれまで約20年に渡り、GaAs量子構造の測定に限られていました。また、InSbやインジウムガリウムヒ素(InGaAs)などの狭ギャップ半導体注3)はシリコンの次の半導体材料の候補として、またスピントロニクス注4)応用に向いた半導体として国際半導体技術ロードマップ(ITRS)注5)にも取り上げられてきましたが、それらの量子構造の測定に応用可能なNMR測定技術はありませんでした。さらに、Inは核スピン状態が10の量子状態に分裂する大変ユニークな核スピン(表1)で量子情報処理分野での応用が期待されていましたが、超高感度NMR技術がInを含む半導体に応用できなかったため、Inの核スピンをきちんと制御することは不可能でした。

<研究の内容>

本研究グループは、Inというユニークな性質の核スピンを含み、次世代半導体としても期待されているIn系半導体での超高感度NMRを目指し、InSb量子構造にGaAsと同じ手法を応用することで超高感度NMRの実現を目指しました。しかし、これまでの手法がGaAsの特徴に強く依存する方法であったために、他の半導体に応用することはできませんでした。

そこで今回、GaAsと異なるInSbの特徴を生かすことを考えました。これは、磁場中で異なるスピン状態のエネルギー分離(ゼーマン分離注6))が、極めて大きく(InSbはGaAsの100倍)なる特徴です。

半導体の量子井戸構造注7)にある二次元電子系を磁場中に置くと電子の運動が磁場中で量子化されランダウ準位注8)というエネルギー状態に分裂します。このランダウ準位は垂直方向の磁場の大きさに比例します。ランダウ準位は、さらにゼーマン分離(エネルギー分離)します。ゼーマン分離は垂直磁場の大きさではなく、全磁場の大きさに比例します。GaAsでは、ゼーマン分離がランダウ準位の間隔より小さいのですが、InSbのゼーマン分離の大きさは、ランダウ準位の間隔とほぼ同じになります。

この特徴から、InSb量子井戸構造を磁場中で傾斜させることにより、異なるランダウ準位が交差する状態、すなわち上向きの電子スピンと下向きの電子スピンが重なった状態を実現できます(図1)。また、この交差状態において、異なるスピン状態を有する2つのランダウ準位が縞模様を作ることが確認されました(図2)。さらに、この状態で電流を流すことにより、核スピンの強制的な偏極と、核スピン偏極状態の抵抗による読み出しが可能になることも見いだしました。つまり、電子スピンと核スピンの相互作用が強くなる状態を作り出すことを可能としたのです。

また、上記の技術と周囲に巻いたコイルにRF振動電流を流す(試料にRF振動磁場を照射する)ことを組み合わせることにより、Inを含む量子構造の超高感度NMRに世界で初めて成功しました。これは、GaAs量子構造のみ応用可能であった超高感度NMRの壁を20年ぶりに破るもので、InSbを構成するInとSb、両方の原子に対してNMRスペクトルが測定されました。特に、核スピン状態が10の量子状態に分裂するIn原子に対しては、その分裂に対応したピークを観測することに成功しました(図3)。なお、本実験は100mK(ミリケルビン)という極低温と約7T(テスラ)という強磁場中で行われましたが、InSbのランダウ準位が比較的高温まで観測されることに対応して4K(ケルビン)まで超高感度NMRを実現することができます。

<今後の展開>

10の量子状態に分裂するIn原子の超高感度NMRが可能になったことで、Inのようなユニークな核スピンの制御による量子情報処理への応用が促進されます。特に、10の量子状態に分裂するIn核スピンはうまく操作すると量子10準位系として働きます。量子2準位系が自由に制御できることで1量子ビット注9)が実現でき、2=4より量子4準位系では実効的に2量子ビットが実現できます。2=8より明らかなように、量子10準位系は等価的に3量子ビット以上として働く可能性があります。

もう1つ重要な展開は、NMR本来の応用である材料や特性評価への貢献です。InSbなど狭ギャップ半導体はシリコンの次の半導体材料の候補として、またスピントロニクス応用に向いた半導体として期待されており、超高感度NMR測定はそれらの量子構造でどのような電子スピンの振る舞いが生じているか、あるいは局所的にどのような歪みがかかっているかを感度良く検出する新しい手法としても期待されます。

<参考図表>

表1

表1 さまざまな原子核の核スピン量子数(I)

量子数のスピンは2+1のスピン状態に分裂します。Inは=9/2で際立って量子数の大きなスピンです。なお、Sbも=7/2、5/2でInほどではないですが量子数の大きなスピンです。参考として載せた電子スピンは、スピン量子数1/2で2つの状態に分裂します。

図1

図1 InSbの特徴と電子のエネルギースペクトル変化

図2

図2 In系半導体の核磁気共鳴検出の概略

図3

図3 InSb量子井戸構造で測定された115InのNMRスペクトル

=9/2というInのユニークな核スピン特性を反映して9つに分離したスペクトルが観測されています。右図は115Inの10スピン状態の概略図です。黒い横線は磁場中で分離した核スピン準位を表しており、赤い矢印は実際に左図で測定された遷移を示しています。量子構造にわずかに存在する歪みにより、各状態間の遷移エネルギーが少しずつずれ、結果的に等間隔の9つのピークが表れます。

<用語解説>

注1) 超高感度核磁気共鳴(NMR)
核磁気共鳴(NMR)は、核スピンがちょうどスピン状態間のエネルギーに相当する交流磁場により操作できることを利用して、特定の核種の存在やその周囲の化学結合を解析する手段で、昔から構造分析に広く用いられてきました。通常のNMRは、交流磁場に反応した核スピンがコヒーレントに回転する様子をピックアップコイルで拾い測定するので、感度が低く、一般的にはmm(ミリメートル)以上のサイズの試料が必要になります。従って、一層の量子井戸や1つのナノスケール量子構造に通常のNMRを応用することは不可能です。
しかし超高感度NMR(本稿では、通常のNMRの感度を高感度化した「高感度NMR」と区別するために「超高感度NMR」と記します)は、通常のNMRの感度の低さを克服したNMRで、一層の量子井戸や1つのナノスケール量子構造にも応用可能です。半導体量子構造でこのようなNMRを実現するには効率的に核スピンが偏極されることと、核スピン偏極が抵抗測定など量子構造に容易に応用できる測定手法で検出できる必要があります。これは電子系に異なるスピン状態の縞模様をうまく作り出すことで実現されるとGaAs量子構造で確かめられてきました。このNMRは抵抗で読み出すNMRで、これまでの通常のNMRとは全く異なる動作原理に基づきます。
注2) 量子コンピューター
量子力学の原理を積極的に情報処理に利用しようとする量子情報処理を代表するもので、量子ビットを複数個配列した構造(量子レジスター)にさまざまな演算をさせることにより情報処理を行うコンピューターのことです。量子コンピューターでは演算途中で状態の「重ね合わせ」が可能なため、この性質を利用した並列計算が可能になります。量子ビットn個を自在に制御できるようになれば、現在のコンピューターで2ステップかかる論理演算をnステップで実行することも可能です。このように指数関数的な高速化が可能なため、これまで不可能であった計算を可能にする夢のコンピューターと言われています。
注3) 狭ギャップ半導体
半導体には、電子が自由に流れる「伝導帯」、正孔(電子の孔)が自由に流れる「価電子帯」、その間に電気が流れないエネルギー領域(バンドギャップ)があります。このバンドギャップが狭い半導体を「狭ギャップ半導体」と呼びます。ちなみにシリコンのバンドギャップは1.2eV(電子ボルト)、GaAsのバンドギャップは1.4eVであり、InSbのバンドギャップは0.17eVです。狭ギャップ半導体の反対は広ギャップ半導体で、例えば窒化ガリウム(GaN、バンドギャップ3.4eV)などがあります。スピンと電子の運動が強く結合する狭ギャップ半導体はスピンの振舞いの電気的制御に適しており、スピントロニクスデバイスに向いた半導体材料として期待されています。
注4) スピントロニクス
スピンとエレクトロニクスから生まれた造語です。これまで主に電荷の自由度が利用されてきたエレクトロニクス分野において、電子の持つもう1つの自由度、スピンを積極的に使うことで新しいデバイスを目指す分野を総称しています。
注5) 国際半導体技術ロードマップ(ITRS:International Technology Roadmap for Semiconductors)
半導体の将来技術を予想するロードマップのことです。
注6) ゼーマン分離
半導体を磁場中においた時、伝導電子のスピンは安定状態で磁場に並行か反並行になります。この2つのスピン状態のエネルギー差は磁場に比例して大きくなりますが、この差をゼーマン(エネルギー)分離と言います。同じ磁場の大きさでのゼーマン分離は半導体材料により大きく異なり、InSbではGaAsの100倍にもなります。
注7) 量子井戸構造
量子構造の一番基本になるもので、電子の波長程度に薄い薄膜に電子を閉じ込める井戸構造のことです。ここに閉じ込められた電子は垂直方向への運動の自由度を失い、平面方向にのみ運動するため二次元電子と呼ばれています。今回の実験に用いた量子井戸構造はバリアとして働くInAlSb(インジウム・アルミニウム・アンチモン)に挟まれた30nm幅のInSb量子井戸であり、井戸内には二次元電子が蓄積しています。
注8) ランダウ準位
二次元電子系を磁場中に置くと、磁場により電子はサイクロトロン運動します。サイクロトロン運動する電子系への量子効果により、強磁場中では電子の取り得るエネルギー値は離散的になります。この離散的な電子が取り得るエネルギー準位のことをロシアの科学者ランダウにちなんでランダウ準位と呼びます。ゼーマン分離が全磁場の大きさに依存するのに対し、ランダウ準位の間隔は二次元面に垂直な磁場強度にのみ影響されるため、磁場中で試料を傾けることでゼーマン分離とランダウ準位間隔の大きさを独立に制御することができます。
注9) 量子ビット
量子2状態系の別名で、量子コンピューターの基本構成要素です。現在のコンピューターで使われている0、1の2つの状態しか取り得ない古典ビットに対して、量子ビットと呼ばれています。量子ビットは、演算途中では、|0>状態と|1>状態のほかに、それらの任意の重ね合わせ状態を取ることが可能です。

<論文名>

“Dynamic nuclear polarization and nuclear magnetic resonance in the simplest pseudospin quantum Hall ferromagnet”
(一番単純な擬スピン量子ホール強磁性における核スピンの動的偏極と核磁気共鳴)
doi: 10.1103/PhysRevB.82.241304

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

平山 祥郎(ヒラヤマ ヨシロウ)
東北大学 大学院理学研究科 教授
〒980-8578 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉6−3
Tel:022-217-7605 Fax:022-795-3881
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

小林 正(コバヤシ タダシ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究プロジェクト推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
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