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科学技術振興機構報 第729号

平成22年4月20日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)
URL https://www.jst.go.jp

神経回路の再編の分子メカニズムを解明
細胞の足場を分解する酵素が重要な役割

(精神疾患の発症の解明や、診断・予防に期待)

JST 課題解決型基礎研究の一環として、大阪バイオサイエンス研究所の榎本 和生 研究部長(元 JST さきがけ研究者)らは、神経回路注1)の再編を制御する新しい分子メカニズムの解明にショウジョウバエで成功しました。

人間の脳内の神経細胞は、胎児の後期から生後にかけて、神経突起を介した神経回路網を作り上げます。その後、幼児期に音や光などの外部情報を感受し始めると、神経回路の配線の組み替えが頻繁に起こり、言語や音感の学習成立や外環境への適応が行われると考えられています。従って、決まった期間に脳内の適当な場所で神経回路の再編が起こらなければ、さまざまな精神疾患につながると予想されますが、このような神経回路の再編がどのようにして制御されているのかについては、これまで、ほとんど明らかにされていませんでした。

榎本研究部長らは、神経回路の構造が人間と類似しているショウジョウバエを研究モデルとし、神経回路の再編を簡便に解析することができるシステムを確立してきました。そして、そのシステムを用いて、神経回路の再編について詳細な解析を行いました。その結果、たんぱく質分解酵素の一種、マトリックス・メタロプロテアーゼ(Mmp)が神経回路の再編に必須であり、神経回路の足場となっている物質を部分的に分解していることを明らかにしました。さらに、分解されずに残存した足場に依存して神経回路が「再配置」されるという現象が起こることを突き止め、この「再配置」の繰り返しにより神経回路の再編が引き起こされることを明らかにしました。

Mmp遺伝子は人間の脳にも存在し、脳神経系で発現していることが知られています。今後、Mmpの機能に着目した研究を行うことにより、人間の脳内における神経回路の再編メカニズムや、精神遅滞疾患などの精神疾患の発症機序の解明、その診断・予防に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2010年4月20日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Developmental Cell」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「代謝と機能制御」(研究総括:西島 正弘 国立医薬品食品衛生研究所 所長)
研究課題名 「脳神経ネットワーク形成における脂質機能の網羅的解析」
研究者 榎本 和生(財団法人 大阪バイオサイエンス研究所 研究部長)
研究実施場所 財団法人 大阪バイオサイエンス研究所
研究期間 平成18年10月~平成22年3月

JSTはこの領域で、細胞内の代謝産物を解析し、効率的な細胞機能の制御を可能とする基盤的な技術に関して、個人の独創的な発想に基づく革新的な技術の芽の創出を目指しています。

上記の研究課題では、ショウジョウバエを個体モデルとして、脳神経系の多様な脂質代謝物を生み出す分子基盤を網羅的に同定するとともに、その神経突起形成における機能の解明および精神遅滞疾患や統合失調症の診断・予防方法の確立を目指しています。

<研究の背景と経緯>

人間の神経回路の再編は、小児期の一定期間(臨界期注2))に、脳内の決められた部位で起こります。もしも、この時期に適当な場所で神経回路の再編が起きなければ、言語学習や、外環境に適応した神経活動に異常が生じ、その結果、精神遅滞疾患や統合失調症などさまざまな精神疾患につながると考えられます。しかし、これまで、このような神経回路の再編がどのようにして制御されているのかについては、ほとんど明らかにされていませんでした。その要因の1つとして神経回路の再編の様子を簡便に解析する実験システムが確立されていないことが上げられます。研究グループはそのシステム開発に取り組んできました。

<研究の内容>

榎本 和生 研究部長らは、神経回路の構造が比較的単純なショウジョウバエを研究モデルとして、神経回路の再編の簡便な解析システムを確立し、今回、以下のように、新たな神経回路の再編メカニズムを明らかにしました。

  1. (1) ショウジョウバエが幼虫から成虫へと変態する時期に、感覚神経細胞の神経突起が放射状から格子状(あみだくじ状)へと、劇的に再編されることを発見しました(図1)。
  2. (2) この神経突起の再編過程では、既存の神経突起の切断はほとんど起きておらず、元々あった放射状の神経突起が、そのまま格子状へと再配置されていることが分かりました。従来、神経突起の再編は主としてシナプス注3)や神経突起の切断によって行われると考えられていました。従って、本研究は定説を覆して「再配置」という新たな神経突起の再編メカニズムを明らかにしたことになります。
  3. (3) 神経突起の再編が全く起きないショウジョウバエ変異体を単離し、その遺伝子情報を解析したところ、Mmpという酵素が正常に働いていませんでした。この酵素は細胞外マトリックス注4)を分解するもので、神経突起の再編に必須であることが分かりました。
  4. (4) Mmpは、神経細胞の周辺から、一時的かつ局所的に発現し、神経細胞の「足場」である細胞外マトリックスを分解することが分かりました(図2)。

この結果から、Mmpが神経細胞の周辺の上皮組織などから一時的かつ局所的に発現し、神経細胞の「足場」である細胞外マトリックスを分解することにより、神経突起の再配置を誘導することが分かりました。本研究で見いだされたMmpは、線虫やショウジョウバエから人間にまで進化上高度に保存された酵素であり、人間でも脳神経系に発現していることが知られています。今後、Mmpの機能に着目した研究を行うことにより、人間の脳内での神経回路の再編メカニズムや、種々の精神疾患の発症機序が明らかにされることが期待されます。

<今後の展開>

てんかん発作や脳虚血を起こした患者の脳内神経細胞では、神経突起の異常な再編が起こり、これが脳機能障害の一因となると考えられています。一方で、てんかん発作や脳虚血が起きると、脳内でMmpの異常な活性上昇が起きることも知られています。今回の研究成果は、この2つの現象の因果関係、脳局所でのMmpの活性上昇が神経突起の異常な再編を誘導することを示唆するものです。

Mmpは、がん細胞の転移との関連について盛んに研究が行われており、特定のMmpの機能を阻害する薬剤の開発も進んでいます。今回の研究成果から、適切なMmp阻害剤を応用することにより、てんかんや脳虚血に伴う神経突起の異常な再編を抑制できる可能性が高いと考えられます。

<参考図>

図1

図1 ショウジョウバエ感覚神経系で発見された神経突起の再配置

羽化直後の神経細胞(左)は放射状の神経突起を伸ばしていますが、24時間後に同じ神経細胞(右)を観察すると、あみだくじ状(格子状)へと変化しています。

図2

図2 Mmpによる神経突起の再編制御

感覚神経は、細胞外マトリックスを「足場」として、放射状に神経突起を伸長させます(左図)。その後、Mmpが感覚神経の周辺(上皮組織)から一時的に発現し、一部の細胞外マトリックス成分を分解します(右図)。その結果、「足場」を失った神経突起は、細胞外マトリックスが残存する場所へと移動し、その結果、あみだくじ状の形態へと変化します。

<用語解説>

注1) 神経回路
人間の脳内には約1000億個の神経細胞があり、それぞれの細胞が神経突起を伸ばして他の神経細胞と結びつくことにより、ネットワーク(回路)を作ります。この神経回路の中を電気シグナルが流れることによって、脳が「考える」「感じる」「動かす」などの働きを生みだします。
注2) 臨界期
脳の中で覚えたり感じたりする神経回路が、外からの刺激により集中的に作られたり、回路の組み替えが盛んに行われる時期のことです。また、学習を成立させる最も感性豊かな限られた大事な時期でもあります。それぞれの動物種(人間、マウス、ショウジョウバエなど)のそれぞれの機能(視覚、聴覚など)には、一生に一度しかない「視覚の臨界期」「聴覚の臨界期」などが存在します。例えば、絶対音感に対する人間の臨界期は3歳から9歳ぐらいまでと考えられています。
注3) シナプス
複数の神経細胞がネットワークを作り上げる際の、神経突起間の結合部分です。
注4) 細胞外マトリックス
特定のたんぱく質や糖鎖などからできる線維状物質です。通常は、組織と組織の間隙を埋めるようにして存在します。神経細胞は、細胞外マトリックスを「足場」として利用して、脳内に神経突起を伸ばします。Mmpは、細胞外マトリックスを分解する酵素として同定され、線虫やショウジョウバエから人間まで構造・機能的に進化上保存されています。人間では血管の形成や再編、がん細胞の転移などに関わることが分かっていますが、脳神経系における機能はあまり知られていませんでした。

<論文名>

“Dendrite reshaping of adult Drosophila sensory neurons requires matrix metalloproteinase-mediated modification of the basement membranes”
(ショウジョウバエ感覚ニューロン樹状突起の再配置は、マトリックス・メタロプロテアーゼ依存的な基底膜分解により制御される)
doi: 10.1016/j.devcel.2010.02.010

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

榎本 和生(エモト カズオ)
財団法人 大阪バイオサイエンス研究所 第一研究部門 研究部長
〒565-0874 大阪府吹田市古江台6-2-4
Tel/Fax:06-6872-4814
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

原口 亮治(ハラグチ リョウジ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究推進部(さきがけ担当)
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