JST目的基礎研究事業の一環として、大阪大学 大学院工学研究科の浅田 稔 教授らは、人間とロボットの認知発達研究のための普及型ヒト型ロボット・プラットフォームとして、赤ちゃんロボット「M3-neony(エムスリー・ネオニー)」と、集団コミュニケーションロボット「M3-synchy(エムスリー・シンキー)」を開発しました。
複雑な人間社会において人と共存するロボットを実現するためには、ロボット自らが人間とかかわるためのコミュニケーション能力を学習・発達できる機能が重要であり、そのためには人間の認知発達メカニズムの理解は欠かすことができません。近年では、発達心理学、認知科学、脳科学などの人間科学とロボット工学との融合により、ロボットを用いた人間の認知発達メカニズムの理解と、それに基づくロボットの認知発達研究が活発になってきていますが、これらの研究では複雑な運動や多様なコミュニケーションが可能なヒト型ロボットが必要となります。それと同時に、ロボット工学以外のさまざまな分野の研究者が使いやすい、研究プラットフォームとしてのヒト型ロボットの必要性が生じています。
本プロジェクトでは今回、2種類の認知発達研究用のロボット・プラットフォームを開発しました。これらは、認知発達研究を行う上で必須となる形(ヒト型であること)、運動性能と感覚機能を備えたロボットであり、ロボットに関する専門知識が少ない研究者でも容易に扱えることが大きな特徴です。
赤ちゃんロボット「M3-neony」は、高い運動性能と多様な感覚機能を備えており、赤ちゃんの発達過程でみられる身体バブリング注1)による運動学習や、身体接触を伴う介助による学習などを研究することが可能です。一方、集団コミュニケーションロボット「M3-synchy」は、複数のロボットと人間の間の言語的・非言語的コミュニケーションを研究することが可能で、特に視線行動によるコミュニケーション実現に適した機能を備えています。さらに、これらのロボットでは汎用のモーターやその制御マイコンを採用することで、高い保守性と開発容易性を備え、ロボットへの専門知識が少ない研究者でも容易に実験することが可能になっています。
M3-neonyやM3-synchyがさまざまな認知発達研究に使われるようになることで、人間やロボットの認知発達研究が活性化し、人間の認知発達メカニズムのより深い理解や、学習・発達機能の向上によって人間社会において適応的に振る舞うことができるロボットの実現につながることが期待されます。
本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究
研究プロジェクト | : | 「浅田共創知能システムプロジェクト」 |
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研究総括 | : | 浅田 稔(大阪大学 大学院工学研究科 教授) |
研究期間 | : | 平成17年度~平成22年度 |
本研究は、「浅田共創知能システムプロジェクト」の社会的共創知能グループ(グループリーダー:石黒 浩 大阪大学 大学院基礎工学研究科 教授)が行いました。
<研究の背景と経緯>
人間は成長していく過程でさまざまな機能を学習・発達させていきますが、その詳細なメカニズムの全容は未だ明らかになっていません。例えば、乳幼児の発達過程の1つに「身体バブリング」と呼ばれる運動学習があります。これは赤ちゃんが体をランダムに動かすことにより、自身の筋肉の動きやそれに伴う身体部位の構成との関係性を認識し獲得していくものですが、そのメカニズムの全容は未だ明らかになっていません。また、人が社会の中で他者との関係を築いていく際のメカニズム、つまり社会的コミュニケーション能力の発達メカニズムについても、その詳細は分かっていません。
本プロジェクトでは、ロボットを通じて人間の認知発達のメカニズムを理解する「認知発達ロボティクス」という新しい切り口で研究を行っています。これは、ロボット工学の「作ることによって知る」方法と発達心理学、認知科学、脳科学など人間科学の「観察することによって知る」方法とを融合した新しい認知発達研究です。例えば、人がある学習をする時のメカニズムを知りたい時、その学習についての仮説を立て、それに基づく学習プログラムを設計しロボットを動かします。そしてロボットが学習・発達していく様子を調べることで、先の仮説を検証することが可能になるとともに、認知発達のメカニズムをより深く理解することにつながります。そして、その理解が、自ら適応・学習・発達し、複雑な人間社会において人と共存できるロボットの構築に役立つと考えています。
認知発達ロボティクスでは、プラットフォームとしてのロボット(学習プログラムを試すためのロボット)が研究の鍵を握っています。人間の認知発達を研究するためには、人間のような知覚や運動システム、それらを制御するコンピュータシステムを持ったヒト型ロボットであることが必要です。
さらに近年、このようなロボット工学と人間科学の共創的研究の裾野は広がりつつあり、それに伴いロボット工学研究者だけでなくさまざまな分野の研究者が容易に使うことのできるヒト型ロボット・プラットフォームの必要性が高まってきました。
<本研究の成果>
本研究では、ロボットに関する専門知識が少ない研究者でも容易に扱える普及型研究用プラットフォームの実現を目的として、自立型赤ちゃんロボット「M3-neony」と集団コミュニケーションロボット「M3-synchy」を開発しました(図)。名前のM3は[WO]MAN MADE [WO]MAN(人造人間)に由来します。neonyは新生児を表すneonateにちなんだ名称であり、synchyは複数のロボットの同調(synchronize)による円滑なコミュニケーションをイメージしたものです。
M3-neonyは、赤ちゃんの運動学習や認知発達を研究するためのプラットフォームです。身長約50cm(人間の新生児と同程度の大きさ)・重量約3.5kgで、全身に22個のモーター、頭部に2個のカメラ(CMOS 30万画素)と2個のマイクロフォン、胴体に1個の姿勢センサー(2軸ジャイロと3軸加速度)、全身に90個の触覚センサーを有し、それらを制御可能なコンピュータを内蔵した自立型のヒト型ロボットです。これまでの小型ヒューマノイドロボットと比較して、強力なモーターと自立型でありながら視覚・聴覚・全身触覚といった豊富なセンサーを有していることが特徴です。2007年と2008年のロボカップ世界大会のヒューマノイドリーグで優勝した高い運動性能を有する機体をもとに開発しており、最大トルク41kgf・cm、回転速度0.14s/60°の高性能モーターにより乳幼児の複雑で強力な動きを模倣させることが可能です。また、乳幼児の知覚をなぞらえた各種センサーを搭載し、顔や物体、音声、接触などを認識させることが可能です。M3-neonyでは、これらの運動機能と各種センサーにより、寝返りや四つ這いなどの乳幼児のような振る舞いが実現され、身体バブリングによる運動学習や、身体接触を伴う養育者の介助に基づく学習など、さまざまな認知発達研究が可能です。
M3-synchyは、複数のロボットと人間の間の集団コミュニケーションを机上などの身近な環境で実現するためのプラットフォームです。身長約30cm・重量約2.3kgの車輪移動型ロボットで、全身17個のモーター、センサーとして頭部に1個の広角レンズ付きCCDカメラ(33万画素、水平画角約120度)と2個のマイクロフォン、出力装置として全身に15個のLEDと胴体にスピーカーを備えています。M3-synchyは身振りや表情(視線と口の動き)、LEDによる頬の紅潮、スピーカーによる発話のほか、カメラとマイクロフォンによる顔や物体認識、音声認識などが可能です。これまでの卓上用の小型ロボットと比較して、非言語コミュニケーションに重要な自由度を豊富に有している(眼球に3自由度、首に3自由度、腰に2自由度)ことが特徴です。これらの機構を持つM3-synchyでは、さまざまな言語的・非言語的な様式によるコミュニケーション、特にアイコンタクトなどの視線行動による集団コミュニケーションを実現することができ、社会的コミュニケーション能力の学習・発達などの研究を行うことが可能です。
M3-neonyとM3-synchyは、制御装置として教材用のモーター制御マイコンを採用しているため、開発容易性を備えた研究用プラットフォームとなっています。また、汎用のロボット用サーボモーターを用いることで、高いメンテナンス性も兼ね備えています。ロボットの動作は別のPC(Windows)上のモーションエディタによって簡単に作成することができ、モーションデータをモーター制御マイコンに読み込ませることで動作を実行させることができます。また、内蔵コンピュータ(M3-neonyのみ)あるいは、外部のコンピュータからモーター制御マイコンにアクセスすることにより、個々のモーターを自由に制御することも可能です。ロボット専用のOSはなく、デバイスのアクセスに特殊なドライバなどは必要としないため、ユーザーが自由な環境でモーターの制御およびセンサー情報処理プログラムを開発することができるため、研究者それぞれの研究目的に合わせた学習プログラムの設計が可能です。
<今後の展開>
本プロジェクトではこれまでにCB2注2)をはじめとする各種のロボット・プラットフォームを開発し、人とのかかわりを実現するための対人反応機能や、人とのかかわりを通した運動学習機能に関する研究を進めてきました。今回開発したM3-neonyとM3-synchyを使った研究により、社会的コミュニケーションを通した人間の学習・発達に関するより深い理解とともに、それに基づくコミュニケーション能力が発達するロボットの実現を目指します。
また、M3-neonyとM3-synchyは研究機関向けに普及することを予定しています。これらのロボットは、ロボットへの専門知識が少ない研究者でも容易に扱うことができるように開発されたプラットフォームで、高い保守性と開発の自由度を兼ね備えていることから、今後、さまざまな認知発達研究において使用されることが期待されます。そして、これらのロボットによる認知能力、運動能力、コミュニケーション能力などの学習・発達原理の研究が進展することにより、人間の認知発達メカニズムのより深い理解へとつながることが期待されます。
<参考図>

図 開発した赤ちゃんロボット「M3-neony」と集団コミュニケーションロボット「M3-synchy」
上段左:自立するM3-neonyの正面像。
上段中:四つ這いするM3-neony。
上段右:M3-neony同士のコミュニケーション場面。
下段左:M3-synchyの正面像。
下段右:複数のM3-synchy(奥2体はプロトタイプ)によるコミュニケーション場面。
<用語解説>
- 注1) 身体バブリング
- バブリング(音声バブリング)とは、赤ちゃんの言語発達過程の1つであり、赤ちゃんが「だぁだぁ」「ばぶばぶ」などの言語的には意味のない発声をすることで、構音器官の動きとそれに伴う発声音の関係性を認識し獲得していくこと。
- 身体バブリングとは、赤ちゃんの発達過程でみられる運動学習の1つであり、体をランダムに動かすことで、自身の筋肉の動きやそれに伴う身体部位の構成との関係性を認識し獲得していくこと。音声バブリングにちなんで、このように呼ばれる。
- 注2) CB2(Child-robot with Biomimetic Body)
- 2007年に本プロジェクトで開発した認知発達研究のためのヒューマノイドロボット。子供の体の大きさで、従来のロボットにはなかった柔軟な関節と柔らかい皮膚を持つことにより、人との密接なかかわり(抱き起こす、動作を介助する)によるロボットの発達を研究することが可能になった。
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
浅田 稔(アサダ ミノル)
大阪大学 大学院工学研究科 教授
(科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「浅田共創知能システムプロジェクト」 研究総括)
〒565-0871 大阪府吹田市山田丘2-1 大阪大学 大学院工学研究科 フロンティア研究棟1号館4階
Tel:06-6876-8884 Fax:06-6876-8994
E-mail:
<JSTの事業に関すること>
小林 正(コバヤシ タダシ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究プロジェクト推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
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