JSTトッププレス一覧科学技術振興機構報 第670号資料2 > 研究領域:「脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出」
資料2

平成21年度 戦略的創造研究推進事業(CREST)
新規採択研究代表者および研究課題概要

戦略目標:「神経細胞ネットワークの形成・動作の制御機構の解明」
研究領域:「脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出」
研究総括:小澤 瀞司(高崎健康福祉大学 健康福祉学部 教授)

氏名 所属機関 役職 研究課題名 研究課題概要
岡本 仁 (独)理化学研究所 脳科学総合研究センター 副センター長/シニアチームリーダー 手綱核による行動・学習の選択機構の解明 手綱核は、間脳の最背側部に両側性に存在し、終脳辺縁系と中脳・後脳のモノアミン神経細胞群との結合を中継します。本研究では、手綱核が魚から哺乳類まで保存されていることを利用し、ゼブラフィッシュ、ラット、マウスを用いて、情動的価値判断を伴う行動の選択のスイッチボードとしての手綱核の役割を明らかにします。本研究は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、価値と無関係に物事を覚えるサヴァン症候群などの発症メカニズムの解明にもつながります。
川口 泰雄 自然科学研究機構 生理学研究所 教授 大脳領域間結合と局所回路網の統合的解析 大脳新皮質は幅0.1mmほどの微小領域から多様な脳部位に投射し、この出力多様性に対応するために多様なニューロンを備えていると考えられます。本研究では、他の脳構造に投射する神経細胞サブタイプ間の結合特異性を明らかにし、選択的に相互結合する出力単位を同定します。その上で、多様な抑制性・興奮性ニューロンサブタイプからなる新皮質局所回路網の大脳領域間結合に依存した結合特性を明らかにします。
後藤 由季子 東京大学 分子細胞生物学研究所 教授 神経幹細胞の分化ポテンシャル制御による神経回路構成素子の形成メカニズム 神経回路の構成素子であるニューロンとそれを支えるグリア細胞は、共通の前駆細胞である神経幹細胞から発生過程に従い、決まった順序で生み出されます。必要な場所に必要な数のニューロンを正しく生み出す仕組みを理解する上で、神経幹細胞の運命転換のメカニズムを知ることが重要です。本研究では、エピジェネティックなクロマチン制御に注目し、この分子メカニズムを明らかにします。また、成体神経幹細胞の起源を明らかにし、これらがニューロンに分化し、さらに神経回路に組み込まれるための条件を探索します。
高橋 智幸 同志社大学 生命医科学部 教授 シナプス前性神経回路制御メカニズムの生後発達 巨大シナプス前末端とグリアをスライスおよび細胞培養によって可視化し、神経活動に伴うCa信号、電気信号、細胞内小器官の動態を実時間記録解析することや、分子操作を行って伝達物質の放出制御機構における分子の役割を同定することで、放出制御機構の生後発達および活動依存的変化を明らかにします。本研究によりシナプス伝達の分子メカニズムに新しい知見を提供し、その成果を臨床研究に波及させて、新たな脳疾患治療法の開発に貢献することを目指します。
古川 貴久 (財)大阪バイオサイエンス研究所 発生生物学部門 研究
部長
網膜神経回路のシナプス形成と生理機能発現の解析 本研究は、中枢神経系のモデルとして網膜に注目し、「シナプスの特異的結合の分子メカニズム」および「網膜神経回路の生理機能と動作メカニズム」を解明することを目的とします。網膜神経回路構築の分子レベルでの理解を進めると同時に、選択的網膜ニューロン破壊マウスを用いて電気生理学的解析や視覚行動解析を行い、網膜神経回路がどのようなメカニズムと機能原理に基づき視覚情報処理を行っているかを明らかにします。
松崎 政紀 東京大学 大学院医学系研究科 准教授 最先鋭技術で探る運動皮質回路の時空間表現と光制御 随意運動が脳皮質内の神経回路にどのように情報表現されているのかを解明することを目指します。そのために、階層横断的方法論を結集・融合させ、運動に関わる皮質細胞の活動・分布を単一細胞レベルで明らかにし、それらの活動を光制御することで情報の流れと情報量を明らかにします。これにより、神経回路動作の一般原理の解明が進むとともに、脳損傷からの回復過程の細胞基盤が与えられることが期待されます。
虫明 元 東北大学 大学院医学系研究科 教授 中枢神経系局所回路の状態遷移としての動的情報変換の解明 脳の情報表現は、さまざまな認知的行動の際に動的に変化します。特に直感的認知行動に関しては、前頭前野と、皮質下の海馬、扁桃体、基底核などの階層的な機能連関が大切です。本研究では、脳回路の活動特性を決める状態維持や遷移には興奮性と抑制性の系のバランスが重要であるとの仮説に基づき、多細胞活動記録と光遺伝学ツールを組み合わせた実験系を開発することで、システム的な立場から脳の動的状態遷移のメカニズムを解明します。
森 憲作 東京大学 大学院医学系研究科 教授 匂いで誘起される意欲・情動行動の神経回路機構 本研究では、哺乳動物の脳の嗅覚中枢における、「食べ物の匂いによって引き起こされる食欲や快情動を担う神経回路」および「捕食動物(キツネやネコ)の匂いによって引き起こされる恐怖・忌避反応や不快情動を担う神経回路」を解明し、感覚情報を意欲・情動行動に結びつける神経回路ロジックを解き明かします。また、睡眠・休息時など感覚入力がほとんどないoff-line時の嗅覚中枢神経回路の機構を解明し、off-line時における脳の機能の一端を明らかにします。
柚﨑 通介 慶應義塾大学 医学部 教授 成熟脳におけるシナプス形成機構の解明と制御 成熟脳においても、神経活動に応じてシナプスが形態的改変を受け続けます。この過程は長期記憶の基盤と考えられています。本研究では、新しく発見されたc1q ファミリー分子によるシナプス形成・維持機構を解明します。さらに、c1qファミリー分子を介したシグナル伝達経路を操作することによって、神経回路の形成と個体行動を制御する方法を探ります。本研究の成果は、加齢によるシナプス減少などの病態を視野に入れた臨床応用につながることが期待されます。

(五十音順に掲載)

<総評> 研究総括:小澤 瀞司(高崎健康福祉大学 健康福祉学部 教授)

脳の機能と病態の理解には、分子―細胞―神経回路―脳システムという複数の階層を包含した研究に基づく統合的理解が必要になります。本領域では、この階層の要の位置にある神経回路の形成と動作原理を解明し、さらにその制御技術の開発を行うことを目標としています。

今年度発足した本領域の研究提案公募に対して93件の応募がありました。提案の内容は、線虫・ショウジョウバエ・ゼブラフィッシュなどのモデル動物を対象とし遺伝子工学的実験手法を駆使して神経回路の構成および作動原理を精緻に解明しようとする研究、最新の電気生理学および光制御技術を開発してサル・ネコ・ラット・マウスなどの哺乳動物の脳の各部位の神経回路の動的特性を解析することによりその動作原理を解明しようとする研究、哺乳動物の成熟脳におけるシナプスの形成・維持・消滅の分子機構を明らかにして老化した脳の機能回復を目指す研究、さらには、ヒトの認知・運動制御・言語などの高次脳機能の神経基盤を非侵襲的脳機能計測法により解明しようとする研究など、基礎・臨床神経科学の全分野にまたがる広範なもので、いずれも極めてレベルの高いものでした。

選考は研究総括が10名の領域アドバイザーの協力のもとに行いました。まず、書類審査では、各提案課題についてその課題内容に近い研究領域を専攻する領域アドバイザー3名ずつが査読を行い、さらに注目すべき提案課題については、第一次査読で抽出された問題点を踏まえて全員が査読し、それらの書面評価に基づき討議を行い、21件の面接審査対象課題を選定しました。次いで、面接審査を行い、最終的に9件の提案を採択しました。

不採択とした提案の中には、独創性・学術性などの点で採択した提案に匹敵するものの、本領域の趣旨とやや合致しないという理由で採択に至らなかった提案が多数ありました。例えば、遺伝子・機能分子の脳における具体的な役割を解明し、その欠落によって生じる病態を明らかにすることを目標とする提案、およびヒトを対象とする非侵襲的脳機能計測法による脳機能の解明を目指す提案では、優れた特色をもつにもかかわらず、神経回路の解析という観点での具体的な研究計画が不十分なために不採択になったものが多くありました。

本領域では、神経回路の形成と動作原理の解明に留まらず、それらを制御する技術を創出することで、神経回路研究にブレークスルーをもたらす実験方法を開発する提案や脳科学の社会貢献を実現するための応用的研究の展開につながる提案を歓迎しています。次年度は、これらの点に配慮されて、本領域の趣旨に合致する多くの優れた研究提案が寄せられることを期待します。