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科学技術振興機構報 第546号

平成20年8月18日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報課)
URL http://www.jst.go.jp

量子計算に必要な複数量子ビット操作を確認

(スピン量子ビット素子の実現に一歩前進)

 JST基礎研究事業の一環として、東京大学 大学院工学系研究科の樽茶 清悟 教授らは、量子ドット注1) と呼ばれる半導体微粒子と微細加工した微小磁石を組み合わせて量子ビット素子を作ることにより、まったく新しい方法で単一電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)実験に成功・電子スピンによる量子ビット素子の可能性を確認しました。
 本プロジェクトでは、量子ドット中の複数の電子スピンの向きを制御することにより、量子計算機の最小単位である量子ビット素子として機能させるための研究を進めています。今回の研究では、電子を閉じこめた量子ドットに、近接して微小磁石を配置して量子ドットに傾斜磁場を発生させておき、その傾斜磁場下でドット中の電子のスピンを左右に電気振動させて、高周波磁場を発生させます。この高周波電磁場と電子が持つ磁気が共鳴状態を作り、電子スピンが上向きと下向きの間で回転することを確認しました。具体的には、量子ドットを直列2重量子ドット状態に調整して、2個の電子スピンの各々に対して電子共鳴信号を得ることに成功しました。電気振動させる時間を調整することにより、任意の向きにスピンを動かせるスピン量子ビット操作も可能です。
 今回開発した方法を使えば、微小磁石の形と配置を工夫して数十個の量子ビットまで拡張可能で、これにより、量子計算に必要な量子ビットの集積化に道が開けました。
 本研究成果は、2008年8月17日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Physics」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 ICORP型研究
研究プロジェクト 「量子スピン情報プロジェクト」
研究総括 樽茶 清悟(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
研究実施期間 平成17年3月〜平成22年3月
 JSTはこのプロジェクトで、人工原子(量子ドット)系での知見をより自由度の大きい「人工分子」に拡張し、より多彩な「スピン相関の世界」の探求と量子情報処理への研究展開を図っています。また、従来のコンピュータでは多大に時間がかかる問題を一瞬のうちに解く事が可能な量子計算機の足掛かりを得ようとしています。

<研究の背景と経緯>

 従来の古典的計算機ではできない超並列処理を行う量子計算機を実現するために、世界の研究機関ではさまざまな演算素子の研究開発が進められています。量子計算機の最小単位は量子ビット(QUBIT)と呼ばれていますが、その量子ビットを演算素子として機能させるために、量子ドット中の電子のスピンや量子ドット中の電子の電荷、核スピン、ジョゼフソン接合(超伝導)などのさまざまな物理的特性を用いたQUBIT素子が提案され、研究が進められています。
 本プロジェクトでは、量子ドット中の複数の電子スピンの向きを電子スピン共鳴法(ESR:Electron Spin Resonance)で制御するQUBIT素子の研究を進めてきました。量子ドットを形成する材料には、すでにマイクロ波デバイスや光デバイスとして広く実用化されているガリウムひ素(GaAs)化合物半導体を使いました。ガリウムひ素は集積化に適しており、既存の結晶成長技術やナノテクノロジー素子作製技術がさまざまな構造の量子ドット作製に有効活用できるためです。
 ESR法は均一な磁場下でさらに高周波磁場を与えてスピン操作(スピン回転)を行う方法で、量子ドット中の電子スピン操作をするためには大変有用です。高周波磁場の発生には微小コイルに交流電流を流す方法が有効ですが、電流による発熱などの問題があります。これらの問題の解決の糸口として、これまで高周波電場を用いた電場駆動型ESR法が考えられ、スピン軌道相互作用注2)超微細相互作用注3)を用いた実験が行われてきましたが、電場駆動が物質の構造・種類に依存すること、物質によっては多ビット化が困難であることなど、多くの課題が残されていました。

<研究の内容>

 本プロジェクトでは、微小磁石を用いた新しいQUBIT素子を考案し、それが素子として機能し得ることを示しました。また、この新しい方法では数十個以上の量子ビットに拡張可能であることを確認しました。具体的には、電場誘起型ESRによるQUBIT素子を開発するために、微小磁石による傾斜磁場を利用する方法を考案しました。その原理は次のようなものです。微小磁石のもたらす磁場(図1、傾斜磁場:赤矢印)は位置によって強さや向きが変化します。その中で電子の位置が(量子ドット中で)わずかに変わると、電子は上下に波打つように変化する磁場を感じます。このように、傾斜磁場下で電子を左右に電気的に振動させることにより高周波磁場を与えます。この高周波磁場の周波数を静的な外部磁場が作るゼーマンエネルギー注4)に一致させることで、1個の電子のみをESR制御することができます。そして、電気振動の時間を調整することによりESRを起こす任意の向きにスピンを制御すること、つまり量子ビットの回転操作を行うことができます。
 実際に開発したQUBIT素子は、2つの量子ドットと微小磁石からなります(図2)。量子ドットはGaAs/AlGaAsのエピタキシャル結晶成長で作製したヘテロ構造の半導体基板上に誘起された高移動度の2次元電子ガス層を用いて、半導体プロセス技術により形成します。それぞれの量子ドットの中には、電子を1個ずつ配置します(図2、点線の丸の中)。量子ドットの上方に微小磁石を、量子ドット構造を覆い隠すように張り付けます。そして電子の熱雑音を低減して電子の正確な振る舞いを測定するために、素子を冷凍装置にセットし、温度50mKに保ちました。微小磁石により、量子ドットには0.1μm当たり1000gauss(ガウス)程度の傾斜磁場が発生します。静的な平行磁場中において、近接したゲート電極に高周波電場VACをかけ、電子に電気的な振動を発生させて量子ドット中のスピンを回転することにより、ESR電流を観測します。VL、VRはそれぞれの量子ドットのゲート電極にかける電圧で、電子の動作条件を決めます。
 量子ドットでESR電流が観測されるメカニズムは、次のようになります(図3)。まず、外部磁場をかけてゼーマン分裂を起こさせ、電子スピンの向きを決めます。説明のため、上向きスピンが安定状態とします。上向きスピンが左側の量子ドットにあるとして、上向きスピンが右側の量子ドットに入ります(initialization, 初期化)。するとスピンがそろったパウリスピンブロッケード状態注5)(Spin blockade)となるため、右側の電子は左側に抜けることができません。共鳴周波数でスピンを上向きと下向きの間で回転させると、スピンがそろった状態でなくなるのでスピンブロックが破れます(ESR)。ESRで右側の電子は左側の量子ドットに入り(projection, 転写)さらに左側に抜けて電流が流れます(read-out, 読み出し)。
 この実験により、スピンブロッケード状態では、量子ドット中のスピンは非共鳴状態(off resonance)のため電流が流れません(図4、左)が、高周波電場をかけた状態では共鳴状態(on resonance)となり、スピンブロッケード状態がほどける結果、量子ドット間にESR電流Idotが流れることを確認しました(図4、右)。さらに、スピンブロックの領域に電子状態を固定し、外部磁場を走査すると等間隔に離れた2つのESR電流のピークが外部磁場(B)に比例して観測され、ピークの高さから左のピークは左の量子ドット、右のピークは右の量子ドットにおけるスピン回転を示していることが分かりました(図5)。この結果、微小磁石によって、左右の量子ドットの共鳴磁場が変化し、選択的にスピン回転操作できることを確認できました。いわゆるポンプアンドプローブ法注6)と組み合わせることにより、ESR磁場は最大で100gauss(ガウス)、スピン回転時間は最短で20nsであることが確認できました。これらの数値は、従来のオンチップコイルを用いたESR法やスピン軌道相互作用を用いた実験よりも10〜500倍も小さい電圧でスピンを回転できることを意味し、エネルギー効率が良いことを示しています。また微小磁石として強い磁性体を用いたり、磁性体の厚みを厚くしたりして、より効率をあげることもできます。

<今後の展開>

 今回開発したスピン操作技術を、すでに知られた技術であるスピン読み出しや、交換相互作用の調整方法注7)と組み合わせることにより、量子計算に必要な多くの要素技術を満たすことができます。本プロジェクトの方法は純粋に電気的な方法であり、従来のスピン軌道相互作用や超微細相互作用を用いた方法と比べてQUBIT素子を構成する物質に依存しないため、素子作製材料の拡張性に優れています。例えば、カーボンナノチューブやSiGe、 Siワイヤーを用いると量子状態が安定な時間を1万倍以上まで長くできる可能性があります。また、本技術を拡張して集積化し、多ビット量子レジスターなども作製できると考えられます。量子ドット列と適当な微小磁石の形状・配置を工夫すれば、数十個以上の量子ビットを集積化することが可能です。この場合、ドット列に共通な1つの電極に高周波電圧をかけますが、その周波数を変えることによって、各ドットのスピンを選択して回転させることができます(図6)。今後は、3ビット、4ビットと順次、QUBIT素子の集積化を進める予定です。

<参考図・用語解説>

図1 微小磁石を用いた量子ドット素子模式図
図2 2量子ドット素子表面パターンの電子顕微鏡写真
図3 量子ドット素子のエネルギーバンド構造
図4 チャージングダイアグラム(左:非共鳴状態、右:共鳴状態)
図5 ESR実験結果
図6 集積化の例
<用語解説>

<掲載論文名>

“Electrically driven single-electron spin resonance in a slanting Zeeman field”
(傾斜した磁場を用いた電界駆動の単一電子スピン共鳴)
doi: 10.1038/nphys1053

<お問い合わせ先>

樽茶 清悟(タルチャ セイゴ)
東京大学 大学院工学系研究科 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6835 Fax:03-5841-8733
E-mail:

小林 正(コバヤシ タダシ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究プロジェクト推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
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