JSTトッププレス一覧 > 科学技術振興機構報 第456号
科学技術振興機構報 第456号

平成20年1月1日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel: 03-5214-8404(広報・ポータル部広報課)
URL https://www.jst.go.jp

サルの赤ちゃんは見る以前から「顔」の印象を知っている

(顔と表情の認識が形成されるメカニズムの解明に大きな一石を投じると期待)

 JST(理事長 北澤 宏一)は、生まれた直後から一切「顔」を見せずに育てたサルに、ヒトとサルの「顔写真」や顔以外の物体の写真を見せるなどの実験によって、サルが持つ「顔」知覚を詳しく検討し、「顔」を見る以前から極めて優れた顔認識機構を備えていることを明らかにしました。
 さらに、ひとたび実物の「顔」を見ると、身近な顔の認識が容易になるように特殊化され、見慣れない顔を識別することが困難になっていく経過も明らかにしました。
 こうしてサルの「顔」の印象(鋳型)は、顔を見る以前に形成され、実際に見た顔の特徴を迅速に処理するために特殊化されていくことが示されたことにより、今後「顔認識」に関わる脳活動の変化を詳細に測定することで神経回路網の形成過程および形成に必要な要件が明らかになり、さらに、ヒトの乳幼児の「顔認識」の発達に必要な要件を科学的に明らにすることにもつながると期待されます。
 本研究は、戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」研究領域(研究総括:津本 忠治)の研究課題「幼児脳の発達過程における学習の性質とその重要性の解明」(研究代表者:杉田 陽一 産業技術総合研究所 脳神経情報研究部門 認知行動科学研究グループ グループ長)の一環として行われました。
 本研究成果は、米国科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS, Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America)」の電子版で平成19年12月31日の週(米国東部時間)に公開されます。

<研究の背景>

 「顔」にある眼・鼻・口などの形状および配置のわずかな相違を、ヒトは瞬時に見分けることができますが、「顔」の上下を逆にすると、認識は非常に困難になります(図1)。このような現象は、他の視覚像に対しては見られないことが明らかになっています。また、後頭-側頭領域に損傷を受けた症例の中には、顔は認識できるが物体を認識できないという症状、逆に物体は認識できるが顔を認識できないという症状が報告されています。このことから「顔」の認識は、他の「物体」認識とは異なる神経経路で行われていると考えられます。ところが、このような特殊な神経経路を獲得する(発達する)経緯については、これまで明らかになっていませんでした。

<研究内容と成果>

 生まれた直後のサルを、6~24ヵ月間、実物の「顔」と顔に似た映像を一切見せないようにして育て(図2)、3段階の実験および観察によって、サルの顔識別能力を選好注視法(Preferential looking method)注1)慣化法(Habituation method)注2)を用いて調べました(図3)。

1、実物の「顔」を見せる前に、「顔写真」を見せて行った実験
1)サルあるいはヒトの顔写真と顔以外の物体の写真(図4)を同時に見せると、顔写真を好んで長く注視しました。
2)1つの顔写真を長い間見た後に、同じ顔写真と別の新しい顔写真を同時に見せると、サルの顔、ヒトの顔のどちらに対しても新しい顔写真を好んで長く見続けました。
3)眼と口を他のサルの眼と口の映像に置き換えたり、同じサルの両眼や両眼と口の間の距離を変えたりした写真を見せると、眼・鼻・口などの僅かな違いだけでなく配置の些細な相違も識別しました(図5)。これは、顔を見せなかった期間に関わらず、全く同じ結果が得られました。

 1)2)の結果は、以前に見た顔と新しく見た顔とを識別したことを示しています。以上の結果から、生まれて6~24ヵ月後のサルは、既に極めて高度な顔識別能力を備えていることが明らかになりました。

2、1の実験後、実物の「顔」を1ヵ月間見せ、その後「顔写真」を見せて同じこと行った実験
1)ヒトの顔だけを見せた後には、ヒトの顔写真は好んで見続けるものの、サルの顔に対する興味は無くなりました。また、前に見た顔写真と新しい顔写真の区別について、ヒトの顔写真に対してはできるものの、サルの顔写真に対しては全く識別できなくなりました。
2)サルの顔だけを見せた後には、サルの顔写真は好んで見続けるものの、ヒトの顔写真を識別する能力は失われました。さらに、顔を見せなかった期間に関わらず、同じ結果が得られました。

 以上の結果は、「顔」の印象(鋳型)は、顔を見たことがなくても形成されること、また、実際に顔を見た後には、身近な「顔」の特徴を迅速に処理するために特殊化されていくことを示しています。

3、1および2の実験後、サルを通常の飼育室で育てて回復経過を観察
 飼育室では、他のサルの「顔」もヒトの「顔」も見ることができましたが、現在までの2年半が経過しても、失われた識別能力が改善することはありませんでした。この結果は、顔の識別の発達に明瞭な感受性期が存在していることを示しています。

<今後の展開>

 今後、サルの「顔」の識別が得意なサルと、ヒトの「顔」の識別が得意なサルの脳活動にどのような相違があるのかを検討します。この結果が、神経回路網の形成過程および形成に必要な要件が明らかにすること、さらには、ヒトの乳幼児の「顔認識」の発達に必要な要件を科学的に明らにすることにもつながり、劇的な変化を生み出す脳のメカニズム解明に向けて大きく前進するものと期待されます。
 顔と表情の認識が円滑な社会生活を送る上で必要不可欠であることは言うまでもありません。顔と表情の認識が形成されるメカニズムの解明は、生物学的生存の見地から見た現代社会のあり方に極めて大きな一石を投じるものと思われます。

図1 サッチャー錯視
図2 「顔」を一切見せずに育てたサルとその里親
図3 実際にサルに対して、実験で用いた課題写真
図4 顔写真と対にして見せた物体の写真
図5 「顔」を形成する要素のわずかな相違を識別する実験
用語解説

<論文名>

"Face perception in monkeys reared with no exposure to faces"
(赤ちゃんは見る前から「顔」の形を知っている)
doi: 10.1073/pnas.0706079105

<研究領域等>

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
(研究総括:津本 忠治 理化学研究所 脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
研究課題名「幼児脳の発達過程における学習の性質とその重要性の解明」
研究代表者杉田 陽一
(産業技術総合研究所 脳神経情報研究部門 認知行動科学研究グループ グループ長)
研究期間平成15年10月~平成21年3月(予定)

<お問い合わせ先>

産業技術総合研究所
脳神経情報研究部門 認知行動科学研究グループ 研究グループ長
〒300-4201 茨城県つくば市寺具1497-1
杉田 陽一(スギタ ヨウイチ)
Tel:029-869-1921 Fax:029-869-1904
E-mail:

科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究第一課
〒102-0075 東京都千代田区三番町5番地 三番町ビル
瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066
E-mail: