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科学技術振興機構報 第348号

平成18年10月4日

東京都千代田区四番町5−3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp

脳が安定して情報処理できる謎を解明

(近くの細胞が協調して一緒に活動)

 JST(理事長:沖村憲樹)は、サルの脳で情報が処理される際には、近接した脳細胞同士のほとんどが、千分の一秒単位の精度で同時に反応して情報を処理していることを証明しました。
 脳内で情報を伝達し処理している細胞(ニューロン)一つ一つの活動はきわめて不安定であり、時には細胞そのものが死滅したり壊れることもわかっています。そのようなもろく不安定な活動で、なぜ脳が優れた情報処理を行えるのか、長年の謎でした。そこで本研究チームは、特殊な記録電極(注1)を用いることで、視覚刺激を正しく覚え答えているサルの前頭連合野(注2)から、近接した多数の細胞の活動を同時に記録し、独自に開発した方法でそれらを個々の細胞活動に分離し解析しました。そして、0.1mmの範囲内にある近接した細胞同士の約80%が、0.001〜0.005秒の精度で同時反応していることを見つけました。またそのように同時反応する細胞同士の45%は、サルが覚える視覚情報の種類が変わると同時反応を示さなくなることもわかりました。狭い範囲にある近接した細胞同士の同時反応を、情報処理を行っている脳から検出することは、これまでの技術では不可能でしたので、本研究の結果は世界で初めての報告となります。
 本成果から、一つ一つの細胞の活動が不安定であり、細胞自体が死滅することがあるにも関わらず、脳が正しく情報を処理できるのは、近くの細胞同士が高い精度で一緒に活動し、お互いを補い合っているからだと考えられます。このことは、脳の情報処理方式を模したり活用したりする機械を作るうえで大きなヒントを与えてくれます。また、脳は小さな損傷(細胞の死滅)では働きが損なわれず、大きな損傷でもリハビリで機能が回復しますが、そのような機能代償などの「脳のたくましさ」を生むメカニズムにも迫ることが期待されます。
 本成果は、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」領域の研究代表者・櫻井芳雄(京都大学大学院文学研究科教授)と高橋晋(JST博士研究員)によって得られたもので、米国学術誌「Journal of Neuroscience(ジャーナル・オブ・ニューロサイエンス)」のオンライン速報版で、平成18年10月4日(米国東部時間)に公開されます。

<研究の背景>

 脳のどこが何をしているかという機能局在の知見は次々と出ていますが、脳がどのように情報を処理しているかという、いわゆる情報処理の方法については、現在のところほとんどわかっていません。神経回路網を作り信号を伝達している細胞(ニューロン)が情報処理を担っていることは間違いなさそうですが、細胞一つ一つの活動はきわめて不安定であり、時には細胞そのものが死滅したり外傷で壊れたりすることもあります。そのようなもろく不安定な活動でありながら、なぜ脳が優れた情報処理を行えるのか、長年の謎でした。この謎を解くためには、実際に情報処理をしている脳、すなわち覚醒し課題を行っている動物から、多数の脳細胞の活動を同時に記録し、近くにある細胞同士がどのように作用し合いながら活動しているかについて、詳細に解析する必要があります。しかし、そのような解析には技術的な困難があり、研究はあまり進んでいませんでした。

<研究成果の内容>

 覚醒し課題を行っている動物から脳細胞の活動を記録すること自体は、これまでも可能でした。しかし、ほぼ隣り合うような近接した多数の細胞の活動を同時記録し、しかもそれらを個々の細胞の活動に正確に分離することは技術的に不可能でした。それは、近接した細胞の反応(発火)は近くにある同じ電極で検出するのですが、反応の波形だけから個々の細胞を正確に見分けることは難しく、さらには、近接した複数の細胞が同時に反応した場合、電極上で波形が重なり合ってしまうため(図1)、細胞を区別することが全く不可能になる(注3)からです。
 そこで本研究チームは、工学的な信号処理技術である独立成分分析を応用した独自の分離法(注4)を開発しました。この方法は波形の変動に影響されず、完全に重なった波形からも個々の細胞活動を正確に分離することができます。今回その方法を用いることで、近接した細胞同士が高い精度で同時反応をくり返し、それが脳の情報処理に応じて変化することを、世界で初めて見つけました。
 本研究チームは、まず同じサルに二種類の記憶課題(注5)を訓練しました。記憶課題Aは、眼の前に提示された視覚刺激の提示時間を覚えて答える課題であり、記憶課題Bは、同じように提示される視覚刺激の色を覚えて答える課題です。訓練後、細い金属線4本を束ねた特殊電極をサルの前頭連合野内の数ヶ所に入れ、二つの記憶課題を順に行っている時の多数の細胞活動を同時記録しました(図2)。そして、独自に開発した方法でそれらを個々の細胞活動に分離して解析したところ、0.1mmの範囲内にある細胞同士の約80%が、0.001〜0.005秒の精度で正確に同時反応していることがわかりました。またそのように同時反応する細胞同士の45%は、記憶課題が異なると、すなわちサルが覚える視覚情報の種類(提示時間または色)が変わると、同時反応を示さなくなることもわかり(図3)、同時反応が情報処理の違いに応じて変化することも明らかになりました。

<今後の展開>

 本成果から、個々の脳細胞の活動が不安定であり、時には細胞自体が死滅することがあるにも関わらず、脳が正しく情報を処理できるのは、近くの細胞同士が高い精度で一緒に活動し、お互いを補い合っているからであることがわかりました。このことは脳の情報処理方式を理解するうえで大きな飛躍であり、脳型コンピュータやブレイン−マシン・インタフェース(注6)など、脳の情報処理方式を模したり活用したりする機械システムを作るうえで大いに役立つと考えられます。また、脳は単なる精密機械とは異なり、小さな損傷(細胞の死滅)では機能があまり損なわれず、大きな損傷でもリハビリで機能が回復することがありますが、そのような機能代償などの「脳のたくましさ」を生むメカニズムについても、この成果を契機に理解が進むものと期待されます。

<用語解説>
図1 同時反応(発火)の検出
図2 脳細胞の活動の記録法
図3 データ例

<論文名>

「Dynamic Synchrony of Firing in the Monkey Prefrontal Cortex during Working-Memory Tasks」
(和訳:作業記憶課題中のサル前頭連合野におけるダイナミックな同時発火)
 著者:櫻井 芳雄、高橋 晋
doi :10.1523/JNEUROSCI.2423-06.2006


<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりです。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 :「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
 (研究総括:津本 忠治 独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
研究課題名:「高齢脳の学習能力と可塑性のBMI法による解明」
研究代表者:櫻井 芳雄 京都大学大学院文学研究科 教授
研究期間 :平成15年〜平成20年

<お問い合わせ先>

櫻井 芳雄(さくらい よしお)
 京都大学 大学院文学研究科 心理学教室
 〒606-8501 京都市左京区吉田本町
 TEL: 075-753-2848 FAX: 075-753-2848
 E-mail:

佐藤 雅裕(さとう まさひろ)
 独立行政法人科学技術振興機構
 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
 TEL: 048-226-5635 FAX: 048-226-1164
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