本研究チームは、ニホンザルが眼の前に示される刺激に手を伸ばす運動を行う時の腕の動きと、筋肉が働くときに発生する電気信号(筋電信号(注1))、及び大脳の運動の指令を筋肉へ送る部位(大脳の運動野(注2))にある脳細胞の活動を計測し、それらをコンピュータに取り込み線形回帰(注3)やニューラルネットワーク(注4)などの計算式で処理しました。
具体的には、まず脳細胞の活動から腕の筋電信号を正確に再現しました。次に、再現された筋電信号から肩や腕の関節角度を予測することを試みました。その結果、18個の脳細胞の活動だけから、サルの腕の動きを、運動の開始位置と力加減も含め高精度に予測することに成功しました。このような高度な技術は世界的にも例がなく、脊椎損傷などで身体に麻痺を抱える人が脳の活動だけでロボットを操るシステム、すなわちブレイン-マシン・インタフェース(注5)を開発する上で、きわめて重要な基礎技術となると考えられます。
本成果は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」研究領域(研究総括:津本忠治(独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センター)の研究者、小池康晴(東京工業大学精密工学研究所 助教授)、広瀬秀顕(東北大学生命科学研究科 JST技術員)、櫻井芳雄(京都大学文学研究科 教授)、飯島敏夫(東北大学生命科学研究科 教授)によって得られたもので、日本神経科学学会の国際学会誌(Neuroscience Research)ニューロサイエンス・リサーチのオンライン版に2006年3月27日(オランダ時間)に公開されます。
【研究の背景】
現在、脳の活動から直接腕の運動を再現したりロボットを制御したりする研究が、米国を中心に活発に行われています。しかしそれらは、手先の軌道、すなわち手の行き先だけを直接推定している研究がほとんどで、腕の動きを正確に再現しているわけではありません。また、脳のどの部分の神経細胞の活動をどれだけ計測すれば運動を予測できるか、あるいは、神経細胞の活動をどう処理すれば正確に運動を予測できるかについては、様々な方法が提案され、試行錯誤が続いている状況です。
そこで、本研究チームでは、大脳の運動野にある神経細胞の活動から筋肉の活動を推定し、その推定した筋肉の活動から腕の運動を推定する技術の確立を目指しました。また、この技術を用いることで衰えた筋力を増大させると脳の活動がどのように変わるのかといった解析も可能となります。
【成果の内容】
本研究は、ニホンザルが注視点の左右にあるボタンに向かって左腕を動かしているとき、脳の一次運動野の神経細胞の活動、腕の筋肉活動を示す筋電信号、及び腕の動きの軌道を同時に計測し、コンピュータにそれらの間の関係を学習させることで、神経細胞の活動→筋肉の活動、筋肉の活動→腕の動き、それぞれを計算するモデルを作り上げました。
具体的には、図1Aに示すように、サルが右か左のどちらか光がついた方を押す課題を実行中に、図1Bに示す運動野42カ所から神経細胞の活動を記録し、その中で肩や肘の運動に関係している18個の神経細胞の活動記録を用いました。それぞれの神経細胞は、例えば図1Cに見られるような活動を示します。一方、運動中、図1Dに示すように腕の6カ所の筋肉から筋電信号を計測しました。さらに、手首、肘、肩の位置を3次元位置計測装置を用いて記録し、肩と肘の関節角度を計算により求めました。これらのデータを用いて18個の神経活動から同じパラメータを用いて左と右の運動中の筋電信号を推定した結果を図2に示します。推定値(実線)と計測値(点線)がよく一致していることがわかります。さらに、人工神経回路モデルを用いて筋電信号から関節角度を推定した結果を図3に示します。太線が計測した関節角度で、細線が神経回路モデルからの出力です。このように、筋肉の活動も、関節角度も精度良く推定できていることがわかります。
これまでの研究のように、神経細胞の活動から直接運動を推定することをせず、いったん筋肉の活動を推定するという2段階の手法を採用した理由は、筋肉は、姿勢などの動きを制御するとともに、力を入れたり抜いたりするという力制御も行っているからです。具体的には、これまではものをつかむときの力を再現するためには、運動の情報とは別に力を推定する必要がありましたが、今回の方法では、神経細胞の活動から筋肉の活動への変換は、運動中、力制御中も同じ方法で学習が可能です。また、一旦筋肉の活動が求まれば、筋肉の張力から関節トルクが計算できるため、運動も力も推定が可能です。このように全ての運動の基礎となる筋肉の活動を推定しているため、本研究の方法は、力と動きを統一的に扱える枠組みを持っています。また脳と身体を解剖学的にみても、脳の運動野は脊髄を介して筋肉とつながっているため、筋肉の活動を運動野の神経細胞の活動から推定することは、信号の流れをそのまま表現していることになります。すなわち脳と筋肉の活動から運動を推定することは、脳から身体への信号の流れと力の伝達をそのまま表現していることになります。
本研究成果が18個という少ない神経細胞の活動で運動を再現し予測できた理由は、異なる運動であっても同じ筋肉が使われているため、腕にある6個の筋肉の活動を推定できれば完全に運動が再現できたからです。まず、運動野の一つの神経細胞が支配している筋肉の数は数個であることから、6の数倍の神経細胞の活動だけで十分であると考えました。そして、18個の神経細胞の活動だけから、6個の筋肉の活動や、その活動によって引き起こされる腕の運動を精度良く予測することに成功しました。
【今後の展開】
これまで脳の神経細胞の活動については、運動の速度や向き、あるいは、力の方向などとの関係を議論することに多くの時間を費やしていました。しかし、ブレイン-マシン・インタフェースの登場により、それが神経細胞の性質だけではなく、その活動の時間的なダイナミクスも解析できるツールであることが認識され始めています。本研究成果から神経細胞の活動を解析するツールとしての役割を考えましても、病気などにより脳の活動が変化した場合、どの部分の神経がどの筋肉の動きを制御しているか分かるため、どのような影響があるかを定量的に推定することが可能となります。
また、リハビリテーションにおいても、どのような動きを行い筋肉を動かすことにより、脳の問題のある部分の周辺を刺激して、脳の機能回復を促進するか、あるいは、どの程度良くなっているのかなど、様々な指標を提供することになります。加えて、現在、脊髄損傷の患者に運動を取り戻させる方法として、機能的電気刺激と呼ばれる方法、すなわち筋肉へ直接電気刺激を与えることで、筋肉を動かし運動をさせる方法が開発されています。このときに最も問題となるのは、どの筋肉をどのように刺激すれば腕全体の運動を正確に生成できるかということです。今回の研究成果により、脳の神経細胞の活動と筋電信号と腕の動きが精度良くつながりましたので、脊髄の神経が遮断されているために起こる身体の麻痺を、脳活動と筋肉を本研究の方法で繋ぐことにより解決できる可能性が出てきました。
一方、高齢化社会においては、計算機を使うときにキーボードやマウスなどのインタフェースを使用する必要があるため、情報弱者と呼ばれる人たちが増えてくることが心配されています。しかし、我々はすでに筋活動だけから車いすを制御したり、音楽を演奏したりするシステムを提案しています。さらに、本研究の成果が非侵襲なデバイスで実用化されれば、脳の神経細胞の活動と筋活動が結びつくため、脳で思っただけで道具を思いどおりに操作するインタフェースが実現可能となります。
【論文名】
「Prediction of arm trajectory from a small number of neuron activities in the primary motor cortex」
(和訳:一次運動野の少数ニューロンの活動から腕の軌跡を推測する)
著者:小池康晴、広瀬秀顕、櫻井芳雄、飯島敏夫
doi :10.1016/j.neures.2006.02.012
【研究領域】
この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりである。
○「高齢脳の学習能力と可塑性のBMI法による解明」
(研究代表者:櫻井芳雄 京都大学大学院文学研究科 教授)
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)
研究領域:「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
(研究総括:津本忠治 独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
研究期間:平成15年度~平成20年度
【問い合わせ先】
小池 康晴(こいけ やすはる)
東京工業大学 精密工学研究所
〒226-8503 横浜市緑区長津田町4259番地R2-15
TEL:045-924-5054 FAX:045-924-5016
E-mail:
櫻井 芳雄(さくらい よしお)
京都大学 大学院文学研究科
〒606-8501 京都市左京区吉田本町
TEL:075-753-2848 FAX:075-753-2848
E-mail:
佐藤 雅裕(さとう まさひろ)
独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
〒332-0012 川口市本町4-1-8
TEL:048‐226‐5635 Fax:048-226-1164
E-mail: