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【用語解説】

*1 核磁気共鳴法(NMR; Nuclear Magnetic Resonance):原子の持つ核スピン状態は、タンパク質のような複雑な構造を持つ分子においては、それらの置かれた局所的環境において微細な影響を受けます。このような化学的環境の差異はNMRスペクトルのシグナル位置(化学シフト)に反映されます。原理的にはタンパク質のような非対称分子においては全ての核スピンは異なった化学シフトを持ち、各シグナルを利用して立体構造解析が可能となります。この手法はスイス工科大学のKurt Wuthrich博士等を中心に開発され、同博士は2002年のノーベル化学賞を授与されました。
*2 PDB (Protein Data Bank): タンパク質や核酸等の立体構造情報は、これらの生体高分子の機能に密接に関係しており、人類共通の知的資産として国際的なデータ集積機関に登録され無償でアクセスができます。PDB (Protein Data Bank)はそのようなデータ集積機関として最大のもので、論文として報告された立体構造は全てPDBに登録されます。日本においては大阪大学蛋白質研究所にミラーサイト(PDBj)が運営されており、我が国のタンパク質科学の重要な活動を担っています。
*3 安定同位体を利用したNMR技術:タンパク質を構成する元素は水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、及び硫黄(S)の5種類です。タンパク質はこの5種類の元素を様々に組み合わせた20種類(図2参照)のアミノ酸が一本、或いは数本のペプチド鎖と呼ばれる鎖でつながった物質です。遺伝子DNAはこのアミノ酸のつながりの順序と長さを指令する情報を持っており、人間では数万種類の異なったタンパク質を用いて生命活動を営んでいます。このようなタンパク質を構成する5種類の原子は質量数の異なる幾つかの安定同位体(放射性のない同位体)を持っています。水素は軽水素(1H)、炭素は12C、窒素は14Nが殆どですが、これらの内12Cは核スピンを持たず、また14Nは核スピンを持つもののタンパク質のNMRシグナルとしては、酸素、硫黄と共に利用できません。タンパク質のNMRスペクトルとしては天然にほぼ100%存在する1Hはシグナル数が過剰なために同位体である重水素に置換し適当に情報を間引きすることができます。 一方、炭素の同位体13C、窒素の同位体15Nは何れもNMR測定に重要な元素ですが、天然にはそれぞれ1%、0.4%と僅かしか存在しないために、これらを98-99%迄高める標識体の利用が不可欠となります。安定同位体NMR法はこのように、核スピンを持つ同位体を自在に使いこなすことによりNMR情報を選択的、且つ高感度に得る重要な手法です。
*4 無細胞タンパク質合成:前項で述べたように、各種のタンパク質はアミノ酸の配列と長さが異なっており、それらの情報は遺伝子DNAの核酸配列により暗号化(コード)されています。細胞内ではDNAの持つ遺伝暗号は一度RNA (mRNA、メッセンジャーRNA)に転写された後、タンパク質合成工場であるリボゾーム上で20種類のアミノ酸を部品としてタンパク質を合成(翻訳)します。この工場のエネルギー源は細胞内のエネルギー供給源として良く知られる高エネルギー分子ATP(アデノシン三リン酸)です。
 このように、DNAからタンパク質合成までには、生物自身が生存している必要は無く、必要な因子(図3参照)が機能を保ってさえいればタンパク質を生産することが可能です。無細胞タンパク質合成系は様々な生物細胞を破砕し、タンパク質合成に不可欠な因子をできるだけ活性を落とさずに抽出し、目的とするタンパク質の設計図(DNA)を加えます。DNAは添加したRNAモノマーからmRNAへと転写されたあと、リボゾーム上で添加されたアミノ酸を利用してタンパク質を合成します。この際、同位体標識アミノ酸(例えばセイルアミノ酸)を添加すれば、それらを用いて標識されたタンパク質を合成します。このようにして合成されたタンパク質は、一本のポリペプチド鎖ですが、そのアミノ酸配列に含まれる内在的な情報により、(他の因子の介在が必要な場合もありますが)ある特定の立体構造を自発的にとります。
*5 カルモジュリン:カルモジュリンは真核細胞に広範に分布する17kDa (1.7万)のタンパク質であり、生物種に寄らずほぼ一定のアミノ酸配列を持っています。148個のアミノ酸から構成される一本のポリペプチド鎖に4ヶ所のカルシウムイオンの結合部位を有し、実に多様な生物機能に関与する重要なタンパク質です。これまで、カルシウム結合型のカルモジュリンのNMR情報のみによる立体構造は報告されていませんでした。
*6 マルトース結合タンパク質(MBP):MBPはグラム陰性菌が持つ、様々な物質(例えば糖類、アミノ酸類、陰イオン類など)を特異的に結合し、それらの能動輸送に関連する一群のタンパク質の一つです。これらの分子構造はN末端側とC末端側の二つの球状ドメインから構成され、そのドメインの境界に結合サイトがあります。MBPの溶液内構造はトロント大学のLewis Kay等のグループにより解かれているものの、彼らはスペクトルを簡略化するためにロイシン、バリン、イソロイシンの側鎖メチル基、及び主鎖アミド基を15N標識した試料を用い、限られた立体構造情報のみを用いたために、精度の低い解析結果となっています。このような、精度を犠牲にして高分子量タンパク質の立体構造を決定する試みは数多く報告されているものの、今後のタンパク質の立体構造の医薬開発への応用等を視野にいれれば、セイル法により得られるような高精度の立体構造決定が不可欠であることは言うまでもありません。