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科学技術振興機構報 261号

平成18年3月2日

東京都千代田区四番町5−3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp

核磁気共鳴(NMR)法による高分子量タンパク質の
独創的な立体構造決定手法を開発

 JST(理事長:沖村憲樹)の研究チームは、これまでの核磁気共鳴(NMR)法による分子量限界を大きく上回る高分子量タンパク質の立体構造を、迅速且つ高精度に決定する立体構造決定手法(セイル法)を開発しました。
 様々な生物のゲノム情報の蓄積は急速に進みつつあります。しかしながら、ゲノム情報を活かすためには、実際に機能を果たす物質であるタンパク質の立体構造情報が不可欠です。特に、水溶液中での立体構造決定を可能とするNMR法は、タンパク質が機能を果たす生体内に近い環境における解析手法として期待されています。しかし、これまでのNMR技術では、分子量が大きくなるにつれ得られる情報が膨大で解析が難しくなるため、構造決定が可能なタンパク質の分子量は2万5千程度が限界でした。
 本研究チームは、膨大な情報の全てが立体構造決定に必要とされないことに着目し、高分子量のタンパク質の立体構造解析に必要十分な構造情報のみを持つ標識アミノ酸(セイルアミノ酸)を作成しました。これを原料として、目的とするタンパク質にセイルアミノ酸を組み込むことで、これまでのNMR法の限界を超える分子量のタンパク質構造解析ができるようになりました。
 今回開発したセイル法により、分子量4万程度の高分子量タンパク質の構造解析が迅速、且つ正確に行えることが示されました。医薬開発ターゲットとなるタンパク質は分子量4〜5万程度のものが多いため、今後、その応用範囲は一挙に拡大する可能性があります。
 本成果はJST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」研究領域(研究総括:大島泰郎 共和化工株式会社環境微生物学研究所 所長)の研究テーマ「ゲノム蛋白質の高効率・高精度NMR解析法の開発」の研究代表者・甲斐荘正恒(首都大学東京 客員教授/SAILテクノロジーズ株式会社 取締役技術顧問)らによって得られたもので、英国科学雑誌「Nature」に2006年3月2日(英国時間)に掲載されます。

【研究の背景と経緯】

 様々な生物のゲノム情報の集積が未曾有の速度で進むなかで、重要な生命現象に深く関わると推定される遺伝子が次々と発見されつつあります。これらの遺伝子の持つ生物機能は、実際には各遺伝子の情報を基に、細胞内のリボゾームと言う器官により各種アミノ酸を結合して得られる多種多様なタンパク質により担われています。従って、今後の生命科学の流れは、様々なタンパク質を実際に精製し、それらの相互の関わりを分子レベルで網羅的に解明する方向へと向かうと考えられており、実際に文部科学省のタンパク3000プロジェクト等において、タンパク質の基本構造及びその機能を解析しているところです。
 これまで、タンパク質の立体構造決定は主としてタンパク質単結晶を利用するX線解析法とタンパク質溶液を対象とする核磁気共鳴(NMR)法*1により行われてきました。しかしながら、ゲノム配列の集積速度と比べ、何れの手法を利用しても立体構造決定速度は遙かに遅く、また両手法ともに、以下のような解決すべき問題点を抱えていました。
 まずX線解析法は、タンパク質分子が幾ら巨大になっても、良好な単結晶さえ得られればそれらの立体構造が精密に決定できると言う利点があるため、現在のタンパク質立体構造解析手法の主流となっています。しかし、得られる量が少ない等の理由により単結晶を作成しづらいタンパク質があります。また、X線解析法で得られた立体構造は単結晶化された静的な状態ですので、実際にタンパク質が機能を果たす生体内環境での動的な立体構造と同じとは必ずしも言えません。
 NMR法は、タンパク質が機能を果たす生体内環境に近い状態で観測できるため、水溶液内や脂質膜中で動き回るタンパク質の動的な立体構造情報が得られるという優れた特徴を持つことから、期待は大きいものがあります。しかしながら、NMR法はタンパク質の構造決定技術としては僅か20年余りの歴史を持つに過ぎず、年間4000を越えるタンパク質の立体構造が国際的なデータ集積機関(PDB)*2に登録されているうちで、僅か15%程度の寄与を果たしているに過ぎません(図-1a)。これは、従来のNMR技術ですと、NMRスペクトルの測定感度の低さ、さらにはタンパク質の分子量が大きくなるにつれシグナルの線幅が広がり、数多くの原子から得られるシグナルが複雑に重なり合うためNMRスペクトルの解析が困難で、立体構造解析に時間を必要とするからです。 これらの問題から、NMR法では分子量2万5千程度の低分子量タンパク質の立体構造決定が実質的な分子量限界となっています(図-1b)。一方で、数多くの機能的に興味あるタンパク質は4〜5万付近までに渡って幅広く分布しており、NMR法の適用限界を少なくともこの分子量領域まで拡張することは、医薬開発などタンパク質構造情報の産業利用の観点からも必須です。以上のように、構造決定の迅速化と、構造決定精度の犠牲をともなわずに分子量限界の大幅な拡大を同時に満足するNMR解析技術が求められていました。
 このような背景から、本研究チームは旧科学技術振興事業団・戦略的基礎研究推進事業(CREST)「生命活動のプログラム」領域に平成8年に採択されてから、平成13年に「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」領域に再度採択され、都合2期10年に渡る研究を実施し、従来の欧米を中心とするNMR技術の盲点となっていた構造解析に最適化した試料調製技術の開発に取り組んできました。

【今回の論文の概要】

 本研究チームは、セイル法 (SAIL; stereo-array isotope labeling; 立体整列同位体標識法) と名付けた、新規に安定同位体を利用したNMR技術*3を開発し、従来のNMR技術の抱える問題点の多くを著しく軽減し、分子量限界を大幅に拡張することができることを明らかにしました。
 セイル法は図-2に示すように、タンパク質を構成する20種類の全アミノ酸に関して最適化した位置・立体特異的同位体標識を施し、重複した構造情報を徹底的に削減することにより、構造情報の取得を容易にし、且つ得られる構造情報の質的向上を図る画期的新技術であります(図-2)。
 まず、我が国が最も得意とする不斉有機合成技術、微生物発酵(酵素利用)技術を駆使して、このようにNMR測定に最適化した同位体標識パターンを持つアミノ酸("セイルアミノ酸")を合成します。そのセイルアミノ酸を、近年やはり我が国を中心として急速に普及してきた無細胞タンパク質合成法*4により、効率良く、また代謝拡散なしに解析対象のタンパク質に組み込むことで、NMR解析に最適化したタンパク質("セイルタンパク質")を合成します(図-3)。
 本研究チームは、実際にこのセイル法を分子量1.7万のカルシウム結合タンパク質カルモジュリン*5及び分子量4.1万のマルトース結合タンパク質(MBP)*6へ適用し、NMR法により立体構造を解析した結果、予期したとおり著しいNMRシグナルの線幅の向上とシグナルの分離が達成できることを確認しました。さらに、セイルタンパク質の与えるシグナルの簡略化は、立体構造情報を失うことなく重複した構造情報の削減することにより達成されるために、これらのタンパク質の立体構造を迅速、且つ高精度に決定することができます(図-4a,b)。
 これらの結果は、セイル法がアミノ酸側鎖を含めた溶液構造として従来法による分子量限界を少なくとも2倍以上に拡張できることを示しており、従ってセイル法の利用によってNMR法での精密な構造決定の対象となるタンパク質は著しく拡がり、より数多くの機能的に興味あるタンパク質が解析できるようになることが期待されます。

【今後期待できる成果】

 従来の欧米を中心としたNMR技術開発の路線が、試料調製が容易なことから選択された均一同位体標識タンパク質を対象にして、いわば力任せに立体構造情報を入手する方向へ集中して来たことがNMR技術の発展を停滞させた主たる理由です。
 本研究チームは、このような観点から大きく視点を変え、タンパク質試料自体をNMR構造情報の取得に最適化するための試料調製技術を中核としてセイル法を開発しました。セイル法では、構造情報を失うことなく重複した構造情報を徹底的に削減した試料"セイルタンパク質"を利用することにより、これまで開発されてきた様々なNMR測定技術はそのまま適用することができ、しかも、従来のタンパク質試料を用いては到底不可能であった高分子量タンパク質の精密な構造解析結果を遙かに迅速に得られることが明らかとなりました(図-5)。
 このように、X線結晶構造解析における結晶化技術と同様に、セイル法はNMR解析に最適化した試料調製技術としてNMRの全ての分野に不可欠な基盤を与える重要な技術です。さらに、セイルタンパク質の利点は、単に従来の立体構造決定技術の延長線上にある技術改良に留まるものではありません。むしろ、今後はセイル法の様々な特徴を更に生かすことにより、新たなNMR測定技術、立体構造決定アルゴリズム、それらを合わせた完全自動構造解析技術への展開、タンパク質の動的状態の解明、医薬開発への応用等NMR技術全般に渡って大きな革新をもたらすことが期待されます。加えて、分子量限界を更に5〜6万に拡大することも視野に入れれば、NMR技術により膜タンパク質、超分子タンパク質複合体の立体構造情報の取得が現実ものとなります。また、セイル法の固体NMRへの応用は大きな可能性を秘めています。
 以上のことから、本技術は、日本発のタンパク質の立体構造解析手法として、次世代の世界標準となり普及することが期待されます。

<用語の説明>
図1:タンパク質立体構造座標のPDB登録状況
図2:タンパク質を構成する20種類のセイルアミノ酸の構造
図3:無細胞タンパク質合成の模式図
図4:セイル法により立体構造解析したタンパク質
図5:従来の[13C,15N]-二重標識タンパク質とセイルタンパク質を試料として用いた時の、典型的な構造解析時間の比較

【論文名】

「Optimal isotope labelling for NMR protein structure determinations」
(タンパク質NMR構造決定に最適化した同位体標識法)
doi :10.1038/nature04525

【研究領域】

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりである。
○「ゲノム蛋白質の高効率・高精度NMR解析法の開発」
(研究代表者:甲斐荘正恒 東京都立大学大学院理学研究科教授・首都大学東京客員教授/SAILテクノロジーズ株式会社 取締役技術顧問)
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)
研究領域:「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」
(研究総括:大島 泰郎 共和化工株式会社環境微生物学研究所 所長)
研究期間:平成13年12月〜平成19年3月(現行課題)
○「安定同位体NMR技術の高度化と構造生物学への応用」
(研究代表者:甲斐荘正恒 東京都立大学大学院理学研究科教授)
戦略基礎研究推進事業(CREST)
研究領域:「生命活動のプログラム」
(研究総括:村松 正實 埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 所長)
研究期間:平成8年10月〜平成13年11月(終了課題)

【お問い合わせ先】

甲斐荘 正恒 (かいのしょう まさつね)
 首都大学東京理工系理学研究科・東京都立大学大学院理学研究科(化学専攻)
  〒192-0397 東京都八王子市南大澤1-1 (首都大学東京)
  TEL: 0426-77-2544, FAX: 0426-77-2544
  E-mail:

佐藤 雅裕 (さとう まさひろ)
 独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
  〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
  TEL 048-226-5635
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