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科学技術振興機構報 第1177号

平成28年4月19日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)

神経回路が免疫機能を抑制するメカニズムを発見

~脳脊髄障害で起こる感染症の新たな治療法に光~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業の一環として、JSTの上野 将紀 さきがけ研究者(兼 シンシナティ小児病院医療センター 発生生物学部門 客員研究員)、シンシナティ小児病院の吉田 富 准教授、オハイオ州立大学のフィリップ・ポポビッチ(Phillip Popovich)教授らの研究グループは、脊髄損傷後に起こる免疫機能の低下が、免疫を制御する神経回路の異常な活動により引き起こされることを発見しました。

脳や脊髄の障害後の死亡要因の第1位は感染症です。免疫機能の低下により感染症にかかると考えられますが、免疫機能が低下するメカニズムは不明でした。

本研究グループは、免疫器官である脾臓と接続する神経回路に着目しました。脊髄損傷により一度神経回路が破綻すると、免疫器官を制御する神経回路が、脊髄内で代償的に新たな回路網を形成することを見いだしました。さらに、新たな回路内での神経細胞の活動を遮断すると、免疫機能の低下が回復することも明らかにしました。

本研究は、脳や脊髄の中枢神経障害後に神経の作用が元で起こる免疫機能低下の新たな病態メカニズムを明らかにしました。神経系を制御して免疫機能を改善する新たな治療法の開発につながると期待されます。

本研究成果は、2016年4月18日(米国東部時間)に英国科学誌「Nature Neuroscience」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「生体における動的恒常性維持・変容機構の解明と制御」
(研究総括:春日 雅人 国立医療研究センター 総長)
研究課題 「中枢神経傷害における神経回路による恒常性機能の破綻と回復メカニズムの解明」
研究者 上野 将紀(科学技術振興機構 さきがけ研究者)
研究実施場所 シンシナティ小児病院医療センター 発生生物学部門
研究期間 平成25年10月~平成28年3月

<研究の背景と経緯>

スポーツや交通事故による外傷や血管障害で脳や脊髄が損傷すると、運動や感覚・認知機能が阻害され、生活の質を大きく低下させます。一方で、生命自体を脅かすものとして、感染症が脳や脊髄の損傷後の死亡要因の第1位となっています。感染症は、免疫機能の低下により発症すると考えられています。なぜ脳や脊髄の障害で免疫機能が低下するのか、その原因はいまだに不明で、根本的な治療法や予防法がないのが現状です。

脊髄には、上位の脳部位と末梢をつなぐ運動・感覚・自律神経注1)に関わる神経回路が走行しています。脊髄損傷によって回路が破綻すると、これらの機能が重篤な障害を受けてしまいます。自律神経系の破綻により起こる症状として知られているのが、自律神経過反射です(図1A、B)。血圧の急上昇と心拍数の低下、頻繁な発汗や頭痛など、多くの自律神経機能に異常を来します。自律神経過反射は放置すると、脳血管障害によって死に至ることもある重篤な疾患です。損傷した部位より下部の内臓や皮膚に感覚刺激が加わり、交感神経系注2)が過剰に活性化してしまうことで、これらの症状が起こると考えられています(図1A、B)。

一方、共同研究者であるオハイオ州立大学のフィリップ・ポポビッチ(Phillip Popovich)教授の研究グループは、マウスの脊髄を損傷させると、自律神経過反射の発症に伴って、免疫機能が低下することを2013年に見いだしました(J Neurosci. 2013 33:12970-81)。免疫機能の低下は、免疫器官である脾臓の重度の萎縮と免疫細胞の減少により引き起こされていました。さらに、交感神経系の最終神経伝達物質であるノルアドレナリン注3)の受容体拮抗薬を投与すると、免疫機能の低下が抑えられました。このことから、脾臓に接続する交感神経系にも自律神経過反射が起こり、免疫細胞の機能低下を引き起こすという新たな病態メカニズムが示唆されました(図1C、D)。すなわち、脊髄障害に伴う免疫力の低下に交感神経が作用している可能性を示しました。しかし、神経回路が免疫器官に作用するメカニズムは不明でした。

<研究の内容>

本研究グループは、脾臓と接続する交感神経回路に着目し、脊髄損傷後に、これらの回路網がどのように変化するのかを観察しました。脳や脊髄から脾臓への神経回路は、複数の神経細胞の接続により成り立つことが分かっています。これらの神経細胞のみを標識するために、経シナプス逆行性トレーサー注4)として、蛍光たんぱく質を発現するシュードラビエス・ウイルス(Pseudorabies virus)を用いました。その結果、このウイルスを脾臓に注入することで、脾臓に接続する全ての神経細胞を標識することに成功しました。さらに、脊髄損傷により一度神経回路が破綻すると、脾臓と接続する神経回路が変化し、脊髄内で代償的に新たな回路網を形成することを明らかにしました(図2A)。

新たな回路網を構成する神経細胞の種類を調べたところ、グルタミン酸作動性の興奮性神経細胞注5)であることが分かりました。そこで、新たな回路網が交感神経系を過剰に活性化し、免疫機能を低下させると仮説を立て、新たな回路内に存在する興奮性神経細胞の活動を遮断する方法の確立を目指しました。その1つとして、ある分子を別の特定の分子と結合するように人工的にデザインするケモジェネティクス(化学遺伝学的手法)注6)を駆使しました。まず、アデノ随伴ウイルス注7)を用いて、化学物質CNO(Clozapine-N-oxide)に結合するように人工的にデザインされたhM4Diと呼ばれる受容体を、興奮性神経細胞のみに発現させました。hM4Di受容体はCNOと結合すると神経活動を低下させます。次に、脊髄損傷後に、CNOを長期間投与し、hM4Diを発現する興奮性神経細胞の活動のみを抑制しました。すると、脊髄損傷後に起こる脾臓の萎縮が顕著に抑制され、免疫細胞の減少を抑えることができました(図2B)。これらの結果から、脊髄損傷後、残った脊髄の神経回路が、脾臓に接続する交感神経回路を活性化するように変化し、免疫機能を低下させることが分かりました(図3)。

<今後の展開>

本研究から、脳や脊髄の中枢神経の障害後に、神経回路が変化して免疫機能を低下させる新たな病態メカニズムが明らかになりました。神経系と免疫系という別々のシステムの相互作用が明らかになったことから、他の免疫疾患においても神経系との関わりを解き明かす可能性につながります。免疫系に対する神経回路の役割を正しく理解し、その活動を効果的に制御できるようになれば、免疫機能の改善を促すための新たな治療法の開発に結びつくと期待されます。

<参考図>

図1 脊髄損傷後に起こる自律神経過反射と免疫機能低下

  • (A) 健常時、血圧と心拍数は自律神経系(交感神経と副交感神経)により適切に調節されている。
  • (B) 脊髄損傷後に起こる自律神経過反射。損傷した部位より下部の内臓や皮膚に何らかの感覚刺激が加わると、交感神経が活性化し(青)、血圧が上昇する。血圧の上昇は、圧受容器に感知され、副交感神経(緑)により心拍数を低下させる。
  • (C) 免疫器官である脾臓への交感神経回路(青)。脳幹部から脊髄、神経節を経て、脾臓へと伸びる。視床下部-下垂体-副腎系(橙色)も免疫機能を制御する。
  • (D) 脊髄損傷後、交感神経が活性化すると、脾臓の萎縮と免疫細胞の減少をもたらす(青)。視床下部-下垂体-副系によるストレス応答も増加し、同時に免疫抑制に働く(橙色)。なぜ交感神経が活性化するかは不明だった(青のクエスチョンマーク)。

図2 脊髄損傷後の交感神経回路と免疫器官の変化

  • (A) 脊髄損傷後、脾臓と接続する神経回路内の神経細胞の数が増加する。経シナプス逆行性トレーサーにより神経細胞を可視化している(緑)。
  • (B) 脊髄損傷後に、脾臓と接続する神経回路内の興奮性神経細胞の活動を抑えると、脾臓の萎縮が抑制される。

図3 脊髄損傷後の交感神経回路の変化による免疫機能の低下

  • (A) 健常時、交感神経回路は、脳幹部から脊髄(胸髄)、神経節を経て器官(この場合、脾臓)へと至る。
  • (B) 脊髄損傷後、脳幹部から脊髄(胸髄)へと接続する回路が破綻する(灰色点線)。その結果、残った脊髄の神経回路が変化し、脾臓に接続する交感神経回路内で、興奮性の脊髄神経細胞との接続が増える。新たに形成された回路が、交感神経を活性化し、免疫細胞の減少と機能低下をもたらす。

<用語解説>

注1) 自律神経
体内の各臓器と接続し、各臓器の機能を不随意に調節する神経回路の総称。循環、呼吸、消化、発汗・体温調節、内分泌機能、生殖機能、代謝などを調節し、体の内部環境を一定の状態に保つ役割(恒常性の維持)を担う。
注2) 交感神経系
自律神経系のうち、血管収縮、心拍の亢進、発汗など、主に諸機能の活動上昇に作用するもの。脳幹部から脊髄(胸髄)、神経節、各臓器へと至る回路で構成される。交感神経の終末からは主にノルアドレナリンが放出される。
注3) ノルアドレナリン
生体内や脳内で神経伝達物質として用いられる物質。交感神経系の終末からも放出され、血管収縮など諸臓器の機能へ作用する。
注4) 経シナプス逆行性トレーサー
特定の神経回路を構成する神経細胞を可視化するために標識する物質をトレーサーと呼ぶ。そのうち、軸索の先端から取り込まれ、神経細胞体へと移動することが可能な物質を、逆行性トレーサーと呼ぶ。さらに、この神経細胞体とつながる別の神経細胞へシナプスを超えて移動できるものを経シナプストレーサーと呼ぶ。
注5) 興奮性神経細胞
神経細胞のうち、次につながる神経細胞の活動を上昇(興奮)させる役割を持つもの。多くがグルタミン酸を神経伝達物質とする。
注6) ケモジェネティクス(化学遺伝学的手法)
ある分子を、別の特定の分子と結合するように人工的にデザインする手法。神経科学領域では、神経細胞の活動を人為的に操作し、その働きを理解するのに近年用いられるようになった。今回は、特定の化学物質CNOに結合するように人工的にデザインされたhM4Di受容体を用いた。hM4Di受容体は、CNOと結合すると、神経活動を低下させることができる。
注7) アデノ随伴ウイルス
パルボウイルス科のウイルス。動物個体にほとんど免疫反応を起こさず毒性が低く、また細胞への感染効率も高いことから、任意の遺伝子を脳内で発現させるためのベクターとして、神経科学領域で近年、頻繁に用いられるようになった。

<論文タイトル>

Silencing spinal interneurons inhibits immune suppressive autonomic reflexes caused by spinal cord injury
(脊髄損傷後に起こる免疫機能の低下は、脊髄介在神経細胞の活動抑制により回復する)
doi :10.1038/nn.4289

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

上野 将紀(ウエノ マサキ)
科学技術振興機構 さきがけ研究者
シンシナティ小児病院医療センター 発生生物学部門 客員研究員
Division of Developmental Biology, Cincinnati Children's Hospital Medical Center
240 Albert Sabin Way, Cincinnati, OH 45229
Tel:1-513-803-0760
E-mail:

<JST事業に関すること>

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2067
E-mail:

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail:

(英文)“Possible treatment for suppressed immune function in spinal cord injury patients