別紙2

平尾誘起構造プロジェクト事後評価報告書

評価委員:
小泉 健 (財)日本板硝子材料工学助成会 専務理事
作花済夫 京都大学 名誉教授
牧島亮男 東京大学大学院 教授
1. 研究の内容
 ガラスは透明であるために、科学技術では、光の通路あるいは光装置や光測定系の構成材料として知られている。この場合、ガラスはパッシブな材料である。光情報化のきっかけとなった光ファイバーも光の通路というパッシブな材料として使われている。一方、数十年前からガラスにアクティブな性質を持たせる試みが行われ、核融合用ガラスレーザー、フォトクロミックガラスなどが現われ、最近には非線形光学ガラスの研究も盛んになった。これらの研究の中心課題はガラスの最適組成を明らかにすることであった。本プロジェクトでは、光情報化を進めるために必要な光情報処理用光集積回路(スイッチング素子、メモリー素子などを含む)のアクティブ、パッシブ両方の構成要素として本来透明なガラスが必須の材料であるとの考えに基づいてガラスを研究対象とした。フェムト秒パルスレーザーを用いて超短パルス光照射中のみ誘起される構造、ならびに半永久的に誘起される電子レベル、原子レベル、微粒子レベル、ファイバー状の誘起構造をつくり、各種のアクティブおよびパッシブな作用を持たせる試みを行った。光による情報処理の特徴は超多量の情報を超高速で処理する点にあるこ とを考慮して、すべての誘起構造についてそのような性能を与えることをめざした。本プロジェクトは上記の目標を達成し、所期以上の成果をあげた。以下に本プロジェクトの研究内容の特徴を記す。
1.1.
新しい材料の開発という本プロジェクトの目的を達成するために、超高速・超多量の光情報処理能力を有する材料の創製に主要な開発目標を定めて研究を進め、大きい成果を収めた。光情報処理において超高速・超多量の処理という目標は従来の材料の特性向上だけでは達成できないと考え、ガラスに希望の構造を誘起させるとの独創的な視点から研究を進めた。ガラスには、透明で光が内部まで透過する、非晶質であるので誘起構造をつくりやすい、強度、耐久性、成形性などの優れた一般材料特性を有するなどの特徴があるので、誘起構造をつくる対象としてガラスを選んだことは本プロジェクトを成功に導いた理由の一つである。
  1.2.
ガラスによって吸収されない長波長の光を放出するフェムト秒パルスレーザーを照射して集光部だけに2光子過程を起こさせて誘起構造をつくる方法で超高速・超多量の情報処理に必要な光導波路、スイッチング素子、記憶素子を高密度で配置した光集積回路をつくることが可能であることを示すことに成功した。
1.3.
本プロジェクトでは、電子レベル、原子レベル、微粒子レベル、ファイバー状の構造変化を誘起して、屈折率増大、2次非線形、3次非線形、フォトケミカルホールバーニング、長時間持続発光など多種の光特性を発揮させることを試みた。このことが超高速・超多量の情報処理に結びつき、また新しい材料開発の概念を生みだすのに成功する原因となった。以上の特徴を有する本プロジェクトの成果は、超高速・超高密度の光情報処理の材料の開発にとどまらず、材料開発の根拠となる新しい技術概念を提供するものであり、将来の展開によって光材料を中心とする各種の優れた材料を生み出す技術の基幹となると期待される。
2. 研究成果の状況
 本プロジェクトは、ガラスに超短パルスのフェムト秒パルスレーザーを照射することによって新しい電子構造、原子構造、ミクロ構造、マクロ構造をガラス中に誘起することに成功し、誘起された構造が超高速・超多量をめざす光情報技術の発展の基礎となることを示したものである。ガラスに光で誘起構造を作り出すという新しい発想と光としてフェムト秒パルスレーザーを使用するという先駆的な方法を結びつけて、化学組成を中心とする従来の方法とは異なる革新的な光機能ガラス創製の科学技術の芽と概念を生み出すことに成功し、新しい科学技術の流れとなるまでに高めたことは極めて高く評価できる。
 発表された研究成果は、90件の研究論文、43件の総説(書籍を含む)、163件の学会発表(内53件が招待講演)に表されている。研究論文の数は、のべ26名の研究員が新しく研究を始めて最長5年間に著したことを考えると、一般の研究グループにおける業績の水準を超すもので、このことからも本プロジェクトは大きい成果をあげたと評価できる。依頼に基づく総説が43件、招待講演が53件もあることは、本プロジェクトの研究成果が新しく、かつ極めて高水準で、関連分野の研究者、技術者の注目の的であることを示している。37件の特許(海外特許7件、国内特許30件)の取得は、本プロジェクトの成果が国内外の光技術に大きなインパクトを与えることを物語っている。
 なお、本プロジェクトでは、フェムト秒パルスレーザーが実験装置として決定的な役割を果した。これを採用した総括責任者の優れた洞察力と困難と言われるフェムト秒パルスレーザーの発振を短期間でなし遂げた研究員の資質と努力を高く評価したい。本プロジェクトでは、機能発現、構造制御、機能設計の3グループを編成し、特性の解析、誘起構造の形成と制御、誘起構造の構造解析を得意とする研究者が密接な協力の下に新規な高機能を有する構造、物質の探索に当ったことも本プロジェクトを成功に導びいた大きい要因であることは確かである。
3. 研究成果の科学技術への貢献
 本プロジェクトでは、主として超短パルスのフェムト秒パルスレーザー光をガラスに集光、照射して、超短寿命の誘起電子構造を観測し、また、永続する電子レベル、原子レベル、微粒子レベル及びファイバー状の誘起構造を任意の集光部に創りだすことに世界ではじめて成功した。従ってこれらの成果の創造性が高いことについては議論の余地はなく、科学技術への貢献は極めて大きいものと評価できる。
 超短時間寿命の誘起電子構造はガラスにおける3次非線形光学の応答の問題である。応答速度が極めて大きく、150フェムト秒でスイッチがおこることを初めて見いだし、ガラスが超高速・超多量をめざす光情報処理における超高速スイッチング材料として優れていることを示した研究成果は高く評価される。この分野に構造誘起という新しい技術概念を導入し、また実際に将来の展開の可能性を確実に示した点で、光技術における波及効果は極めて大きく、成果は高く評価される。
 集光したフェムト秒パルスレーザー光によって誘起される構造は集光部分にのみ生じるので、ガラス全体を変化させることなく、任意の位置に誘起構造をつくることができ、① 3次元にわたってガラス中に光導波路をつくること、② 選択した位置の3価サマリウムイオンを室温光化学ホールバーニングを起こす2価状態に変えてメモリースポットの3次元アレイをつくること、および ③ 非線形光学係数の大きい結晶を任意の位置に析出させることに成功した。この成果は新しい方法で3次元光集積回路をつくるのに使用できるものであり、また独創的な材料設計概念を生みだした点でオリジナリティーに富み、波及効果の大きい成果である。世界レベルの画期的な成果として内外の研究機関、企業から高く評価されている。主要な成果について、その評価、応用展開の可能性、今後の研究の必要性などを以下に記す。
3.1. ビスマス含有3次非線形光学酸化物ガラスの開発と高速応答性の測定
 3次非線形係数の大きいビスマス含有酸化物ガラスを独自に開発し、フェムト秒パルスレーザーを用いる測定によって非線形応答が極めて速いことを世界で初めて実証した。これは、ガラスによって、光情報処理用光集積回路に備えられるパルス幅150フェムト秒、繰返し周波数1.6テラヘルツの超短パルス高繰返しスイッチングが可能であるスイッチング素子が得たことを示し、今後テラビット光通信を利用する全光式ネットワークシステムの中心デバイスの材料への発展など、光回路技術の画期的な進歩に寄与すると考えられる。今後は応答速度が同程度で、3次非線形係数のさらに大きいガラスを探索する研究が望まれる。
3.2. フェムト秒パルスレーザーによるガラス内局所の屈折率増大と光導波路への応用
 フェムト秒超短パルスレーザー光をガラス内部に集光照射することにより集光部分の屈折率が多光子吸収により増大することを見いだし、連続走査によって任意の位置に低損失の光導波路をつくることに成功した。「光導波路作製技術」という題目の基本的な特許が出願され、公開されている。この技術は新しい光導波路作製技術として内外の研究機関から広く注目され、高く評価されている。今後、光導波路としての性能の研究を進めるとともに、スイッチング素子などと組み合わせて光集積回路を組み立てる研究を行うことが望ましい。
3.3. フェムト秒パルスレーザーによるファイバーグレーティング
 中心部がゲルマニウム含有シリカガラスからできている光通信用ファイバーに集光した赤外フェムト秒パルスレーザー光を側面からステップ照射することにより耐熱性、長期安定性の優れた長周期ファイバーグレーテイングを作製するのに成功した。応用展開が今後の研究課題である。
3.4. フェムト秒パルスレーザーによる希土類イオンの原子価制御
 3価サマリウムイオンを含むフッ素含有酸化物ガラスにフェムト秒パルスレーザーを集光照射すると、集光位置でサマリウムイオンが還元されて2価イオンに変化することを初めて発見した。この発見は、集光点を3次元配列し、サマリウムイオンのホールバーニングに基づく波長多重記録を利用することにより超高密度の4次元光メモリーが実現可能であることを示している。引き続いて波長多重性の増大の研究を行うとともに超高密度メモリーとしての応用展開をはかることが必要である。
3.5. 紫外線照射による希土類含有ガラスの長時間発光
 テルビウム、ディスプロシウム、サマリウムなどの希土類イオンを含むガラスに赤外フェムト秒パルスレーザーを集光照射すると集光点で多光子吸収により選択的に長時間残存する発光が起こることを明らかにした。この現象は高密度メモリーに利用できると考えられるが、この成果を発展させるためには応用についてのアイディアを出すことが望まれる。
3.6. フェムト秒パルスレーザーによるホウ酸バリウム結晶の析出
 バリウムとホウ素を含む酸化物ガラスに集光したフェムト秒超短パルスレーザー光を照射し、集光位置を移動させることにより2次非線形光学物質のホウ酸バリウムのファイバー状単結晶を生成させることに成功した。この発見は幅広い応用が期待されるため注目されている。2次非線形材料、メモリー材料への応用の可能性を検討すべきである。
3.7. フェムト秒パルスレーザー光による結晶の常温相転移
 フェムト秒パルスレーザー光を使用してチタン酸バリウム結晶中にコヒーレントフォノンを発生させることに成功し、この方法を用いることによって、通常は高温でしか起こらない強誘電体中の相転移やガラスの相転移を常温でレーザー光によって誘起することに成功した。これは、結晶相を自由に制御することが可能であることを示しており、メモリーへの広い応用が期待される。今後の課題は、この方法が適用できる結晶の種類と適用条件を明らかにすることである。
 以上まとめると、本プロジェクトは、ガラスに超短パルスのフェムト秒パルスレーザー光を照射して誘起される構造を実験的に作製し究明して、誘起構造が超多量・超高速の光情報処理を可能にすることを明らかにした。現在、ディジタルデータの利用が光情報システムの分野で急激に進んでいるが、ここで、フォトニックスネットワークと呼ばれる全光式ネットワークの使用が検討され、そのためのデバイスとして超高速光スイッチ、超多波長分割による多重、高度集積光回路などのデバイスが中心のデバイスとなると考えられている。本プロジェクトの研究成果は、これらの中心デバイスを実現するために、誘起構造に基づく光機能性ガラスが大きく活躍する可能性を具体的に示し、その大きい波及効果が期待される。
4. その他の波及効果
 レーザーが発明されて実際にコヒーレント光がつくられ、光損失の少ない光ファイバーが製造されたことが光情報化時代のきっかけになったように、本プロジェクトで実験的にフェムト秒パルスレーザーによってガラス中に誘起された構造が超多量・超高速の光情報処理に必要な材料の創製を可能にすることが実験的に示されたことは光情報処理技術の画期的な進歩のきっかけとなると期待される。このプロジェクトの成果が光技術の分野で注目され、認められていることは、発表会に参加する産官学の研究者、技術者が極めて多数あることからも窺い知ることができる。このような成果は、研究を進めていくうちに実験研究能力をさらに高めて短期間で優れた研究者に成長した研究員の努力によって実現したものである。また、卓越した総括責任者が能力の優れた研究者を招き、優れた研究環境を提供したことが基となったことはいうまでもない。
 超多量・超高速をめざす情報処理技術という夢と現実性の両方を備えた大きな目標の下に、創造的な、独自の研究を自由に進めるうちに研究員は、その出身大学、企業などではできない自由な発想を得て優れた研究者に育ったものと思われる。本プロジェクトに研究員を派遣した企業は優秀な研究員を派遣し、研究成果に大いに期待し、実際に得られた成果に注目している。従ってプロジェクト終了後も帰ってきた研究員の今後の研究に大いに期待しており、可能な範囲内で良好な研究環境を用意する可能性がある。これが実現するなら、この研究プロジェクトの波及効果は極めて大きいといえる。
5. その他の特記事項
 創造科学技術推進事業(ERATO)では、新しい手法に基づいて新しい概念を創出し独創的な結果を得るという目的で、従来の勤務場所を離れて独立の研究場所で研究を行うが、この方法が本プロジェクトの成功に大きく寄与したものと推察される。従来の研究、日常的な研究思想、従来の組織での義務から離れて、発想、思考、実験の進め方において新しい研究に専念できるからである。この方式では、ある点、たとえば文献の閲読では不便であるかも知れないが、むしろ不便さの故に自身の思考を活発化することもあるはずでこれが優れたアイディアに通じるとも考えられる。
 本プロジェクトが成功した理由のもう一つは研究員の選び方である。選ばれた研究員は企業あるいは大学で何年かの厳しい訓練を受け、研究的実務に携わり、研究論文を記した経験を有していてしかも若い力にあふれた働き盛りの研究員である。この活力が画期的な成果に結びついたものと思われる。このような研究員を個人研究員として採用するのは困難であると予想されるので、企業在籍の研究員を採用して補うことが必要であろう。
 研究の期間については、科学の進歩が速いこと、創造的な概念、新しい研究目標などがひらめくのは研究の立ち上がりの時期、たとえば、開始時点から1ないし2年を経過した頃であることを考慮すると、ERATOとしての期間は5年でよいと考えられ、事実、本プロジェクトはERATOの目的を十分果している。継続的な研究、形を整えるための研究、本プロジェクトの成果を基礎として展開をはかる研究は重要であるけれども、ERATO以外の研究プログラムとして実施するのがよく、それでも素晴しい成果が得られるものと確信している。
6. 結語
本プロジェクトは、フェムト秒パルスレーザー光をガラスに照射することによって、ガラスの任意の位置に超短寿命ならびに永続的な電子レベル、原子レベル、微粒子レベル、ファイバー状の誘起構造を生成させることに成功し、ガラスが超多量の光情報を超高速処理するための優れた機能材料となることを示して、光情報処理材料の科学技術を画期的に発展させる確固とした基礎を築いた。この成果は評価委員だけでなく、この分野に携わる国内外の研究者から極めて高く評価されている。本プロジェクトの大きい成功の理由をキーワードで示せば、"任意の位置の誘起構造"とこれを可能にした"フェムト秒パルスレーザー"および"ガラス"である。このキーワードの下に研究を企画して進めた総括責任者、操作の難しいフェムト秒パルスレーザーを駆使して全く新しい誘起構造を創出した研究員、総括責任者を選んで誘起構造プロジェクトを実現した科学技術振興事業団に敬意を表する。

This page updated on May 12, 2000

Copyright(C) 2000 Japan Scienceand Technology Corporation.

www-pr@jst.go.jp