横浜国立大学,科学技術振興機構(JST)

令和元年6月28日

科学技術振興機構(JST)
横浜国立大学

世界初、光子からダイヤ中の炭素への量子テレポーテーション転写に成功

~量子インターネットを実現する量子中継の大容量化に道~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業において、横浜国立大学 大学院工学研究院/先端科学高等研究院の小坂 英男 教授、同 大学院理工学府 博士課程前期の鶴本 和也 大学院生らは、ダイヤモンド中の炭素同位体を量子メモリー注1)として用い、量子テレポーテーションの原理を応用して、光子の量子状態を維持したまま情報漏えいによる盗聴の可能性なく量子メモリーに転写することに世界で初めて成功しました。

研究グループは、ダイヤモンド中の窒素空孔中心(NV中心)の電子と近傍の炭素同位体の核子を量子もつれ注2)状態にし、光子の吸収による核子への伝令信号付き量子テレポーテーション転写を実現しました(図1)。これにより多数の量子メモリーに光子の量子状態を個別に転写および一時保存でき、量子中継注3)の処理能力を格段に向上できます。今回の研究では、量子中継における量子状態の遠方への転送だけでなく、量子状態の保存にも量子テレポーテーション原理が有効であることが示されました(図2)。また、同位体濃度制御で量子メモリーを大容量化できる上に、炭素核子は光による書き込み・読み出しに対して安定なため、量子中継処理の高速化、高信頼化に有効です。

本成果は、量子暗号通信注4)を量子中継でネットワーク化した量子インターネットにより、量子コンピューター、量子シミュレーター、量子センサーなどの量子接続を可能とし、超高速かつ秘匿性を保つ量子計算や高精度な量子計測などへの道を拓くと期待されます。

本研究成果は2019年6月28日(英国夏時間)、Nature Researchが発行する「Communications Physics」にオンライン掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出」

(研究総括:荒川 泰彦 東京大学 特任教授)

「ダイヤモンド量子セキュリティ」(課題番号 JPMJCR1773)
小坂 英男(横浜国立大学 大学院工学研究院/先端科学高等研究院 教授)
平成29年10月~令和5年3月

本研究課題では、ダイヤモンド中のNV中心を用い、光子から核子への伝令付き量子テレポーテーション転写、電子と核子のエラー耐性のあるホロノミック量子ゲートなどの研究開発により、量子コンピューターや量子暗号通信とこれらを接続する量子中継の実用化に道を拓きます。

<研究の背景と経緯>

現在の技術による情報通信は、盗聴や破壊などのサイバー攻撃や情報漏えいなどの危険にさらされており、社会的問題になっています。そこで近年、盗聴できない絶対安全な通信を可能とする量子暗号通信の開発が進んでいます。

現状の技術では量子暗号通信ができる距離は100km程度ですが、1000km以上に大規模ネットワーク化できれば、絶対安全な量子インターネット通信が実現するだけでなく、量子クラウドネットワーク上に置かれた情報を開示することなく利用できるようにもなります。

このネットワーク化には、量子的なインターフェース機能を備えた物理的に安全な量子中継器と呼ばれる小型の量子コンピューターが必要です。国家的あるいは世界的な規模で、量子暗号通信を量子中継でネットワーク化した量子インターネットを構築できれば、物理法則によって安全性が保証された安心で健全な情報化社会を継続的に発展させることができます。

量子中継器には、長距離伝送に適した光子から長時間保存に適した量子メモリーへの量子転写の技術が不可欠です。さらに、安全な量子中継器の実現には、保存した量子状態を破壊あるいは情報漏えいすることなく転写に成功したことを通知する伝令機能が必要です。これを可能とするのが量子テレポーテーションと呼ばれる原理です(図4)。

窒素空孔中心(NV中心)(図5)は、ダイヤモンドを構成する炭素原子が1つ欠損した空孔とこれに隣接した窒素原子が対となった色中心(カラーセンター)の一種ですが、その周囲には通常の炭素(12C)より中性子(陽子と合わせて核子と呼ばれる)を1つ多く持つ炭素の同位体(13C)が天然で約1パーセント存在します。この炭素同位体には、余分な中性子に起因するスピン注5)(核スピン)の性質が備わっており、長時間量子メモリーとして最適であることが知られていました。

<研究の内容>

研究グループは、NV中心の空孔に局在する電子を媒介として、量子テレポーテーションの原理で光子の量子状態を炭素同位体(以下炭素)の核子に転写し、保存した量子状態を破壊あるいは情報漏えいすることなく転写に成功したことだけを通知する伝令信号付きで安全な量子テレポーテーション転写の方法を考案し(図1)、実験実証に成功しました(図2)。

この成果の特徴は、ゼロ磁場かつ低温(5K)の環境下で、光子が伝送した量子状態を量子メモリーに安全に転写したことと、その量子メモリーとして炭素を採用したことにあります。

量子状態の安全な転写には、転写の際に量子状態を破壊しないことと外部へ漏えいしないことが求められます。さらに実用上は、安全性を保ったまま、転写が成功したことのみを通知する伝令信号を発する機能が重要です。研究グループは、以上3つのポイントを全てクリアするために、量子テレポーテーションの原理を応用した手法を実証しました(図3)。

通常、量子状態の測定は量子射影測定注6)と呼ばれ、任意の量子状態を、測定前後で破壊せずに測定することはできません。また、測定して得られた情報は量子情報ではなく「古典的情報」となってしまい、外部への漏えいの心配があります。これは、「1)炭素の状態を準備する、2)光子の状態を測定する、3)1と2の結果から炭素を適当に操作して光子の状態にする」のような3ステップで、光子の量子状態を測定したのちに炭素に転写するからです。このような手法では安全な転写ができません。

そこで、研究グループでは光子と炭素を媒介するような第三の量子ビットとして電子を活用する量子テレポーテーションの原理を応用しました。

具体的には以下の3ステップからなる手法です。

1)炭素と電子をもつれ状態に準備する(もつれ生成)。

2)光子と電子がもつれ状態に「あるかないか」測定する(もつれ測定)。

3)2の結果が「ある」だった場合のみ光子から炭素への転写が成功したことが分かる。

電子を媒介することで炭素や光子の量子状態を測定せずに電子と光子のもつれだけを測定しているため、光子の任意の量子状態を破壊せずに炭素へと転写できます。また、光子と電子がもつれ状態に「あるかないか」という測定結果は、外部へ漏れたとしても転写後の炭素の量子状態を特定することはできず、外部への漏えいを防げます。また、ステップ2のもつれ測定注2)はNV中心に内在する光子に対応した電子軌道と電子スピンのもつれ準位注2)を活用し、そこへ吸収されるかどうかで判断しているため、転写に成功したかどうかの伝令信号を受け取ることができます。

量子メモリーとして炭素を活用したことも大きな成果です。これまで窒素を量子メモリーとした先行研究はありましたが、窒素はNV中心に1つしかなく量子メモリーの集積性の点で問題がありました。一方、炭素は同位体制御技術によりNV中心周辺に存在する個数を制御でき、集積性の点で窒素に大きく勝ります。

これまで炭素はNV中心にとってノイズ源で、磁場を印加しないと制御できないと思われていました。本手法では、より量子メモリーとして優れた炭素を高度に扱うために、扱わなくなった窒素を偏極させ電子にとっての微小磁石とし、炭素にとってはゼロ磁場のまま電子にだけ磁場を印加しマイクロ波で操作しやすくするという工夫をしました。これにより、電子を介して炭素を操作しつつも転写後の炭素の量子状態を安定に維持することが可能となり、光子から炭素への量子テレポーテーション転写に成功しました。

<今後の展開>

本研究の成果は、炭素同位体を用い、量子テレポーテーションの原理により量子情報を転写することでスケーラブルな量子メモリーに対し安全に量子情報を格納する手法を提供します。

研究グループは今後、さらに技術の精度を上げ、量子暗号通信やその量子中継などへの応用を進めていきます。これにより、光子による量子暗号通信で遠隔地の量子コンピューターと量子情報をやり取りして計算をしてもらう「ブラインド量子コンピューティング」の実現が期待できます。さらに、量子コンピューターだけでなく、量子計測器、量子シミュレーター、量子センサーといった量子情報を扱う多数の機器を量子暗号通信で接続した、絶対安全かつ大規模な量子インターネットの実現へ道を拓くと期待されます。

<付記>

本研究は産業技術総合研究所および物質・材料研究機構との共同で行いました。また本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業(CREST)(課題番号 JPMJCR1773)、科学研究費 補助金基盤研究S(課題番号 16H06326)、新学術領域「ハイブリッド量子科学」(課題番号 16H01052)、挑戦的萌芽研究(課題番号 16K13818)、文部科学省 ポスト「京」萌芽的課題1「基礎科学のフロンティア-極限への挑戦」、光科学技術研究振興財団 研究助成の支援を受けました。

<参考図>

<用語解説>

注1)量子メモリー
量子情報を長時間保持することができる量子ビット。量子コンピューターとして有望視されている超電導量子ビットは1000分の1秒程度のメモリー時間だが本研究で用いた炭素同位体は1分以上のメモリー時間を持ち、単純なメモリー時間としては炭素同位体の方が1万倍以上長い。
注2)量子もつれ、もつれ測定、もつれ準位

量子もつれとは、2つの量子の間に量子的な相関がある状態であり、この状態にある2つを別々に記述することはできない。量子的な相関とは、片方を測定したとき、その測定の種類に関わらず他方も同じ測定をしたときと一対一に対応する結果を得るもの。代表的なものにベルの4状態というものがある。

もつれ測定とは、2つの量子に対してベルの4状態のどれにあるかを測定すること。ベル測定とも呼ばれる。本研究ではベルの4状態のうちの1つであるかどうかのみを測定した。

もつれ準位とは、NV中心が内在している電子のスピンと軌道がもつれた準位。ベルの4状態の1つと同じ相関を持つもつれ状態。電子の軌道と光子の偏光が一対一対応をするため光子を吸収しこの準位へ遷移した場合、光子と電子スピンのもつれを測定したことになる。

注3)量子中継
光子が届かない遠方に量子情報を送るための手段。光は伝達媒体である光ファイバーを透過する際減衰作用を受けるため、光子の伝達成功率は距離に応じて下がってしまう。通常の光通信ではこの減少した光子を通信途上で補完するという中継方法が取られているが、量子通信においては送受信される情報が原理上複製できないことから同様の方法は取れない。ここでいう量子中継とは、これまでの中継とは本質的に異なった、いわゆる量子テレポーテーションを動作原理とする新たな中継方法のことを指している。
注4)量子暗号通信
量子状態が複製できないという量子力学の原理を応用し、共通の秘密鍵を離れた2者間に安全に配送する技術。この秘密鍵を用いて秘匿通信ができる。量子鍵配送のイニシャルを取りQKDとも呼ばれる。現在、光子を通信媒体として技術の開発が進んでいる。この技術の延長線上には、量子の超並列処理特性を利用した量子計算がある。
注5)スピン
こまのような自転回転に例えられる磁気的な性質を持った量子状態。上向き(↑)と下向き(↓)だけでなく、これらの量子的重ね合わせ状態である↑+↓、↑-↓など位相の自由度を持つ。NV中心の電子スピンは複数のスピンが組み合わさって1体のスピンであるかのように振る舞う特殊な状態にある。その結果、単に上向きや下向きといった磁気的な性質のみならず、光子の振動の方向を意味する偏光と似た量子的な性質を持つ。
注6)量子射影測定
量子状態を測定するときに、直交する2つの量子状態のどちらであるかを必ず測定しなければならず、測定後は測定された状態に量子状態が射影されるような測定。例えば、もともと↑+↓だった量子に対して↑か↓かを射影測定した際にはどちらも測定されうる確率をちょうど1/2ずつ持ち、↑(↓)と測定された場合は測定後の量子状態は↑(↓)へと射影される。
注7)量子ビット
量子コンピューターや量子暗号通信などの量子情報処理における基本単位。通常の計算機ではビットは0か1のどちらかを表すが、量子コンピューターの基本単位となる量子ビットは、0と1の「重ね合わせ状態」を取ることができる。また、この重ね合わせ状態は異なる量子ビット同士で量子的な相関(量子もつれ)を持つことができる。
注8)ブロッホ球
量子ビットの状態は1つの球の中心からの矢印により一対一で表現でき、その球をブロッホ球と呼ぶ。矢印の長さが状態の純粋度を表し、方向が量子状態を表す。矢印の方向が近いほど似た量子状態であり、反平行の矢印が表す2つの量子状態同士が最も遠く、それらは物理的に直交している。

<論文情報>

“Quantum teleportation-based state transfer of photon polarization into a carbon spin in diamond”
(量子テレポーテーションを原理とする光子の偏光からダイヤモンドの炭素スピンへの量子状態転写)
10.1038/s42005-019-0158-0

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