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平成29年11月27日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

量子力学が予言した化学反応理論を初めて実験で証明

ポイント

東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻の中村 栄一 特任教授、原野 幸治 特任准教授、山内 薫 教授らの研究グループは、確率論的に起こる一つ一つの分子の反応挙動を顕微鏡で見ることで、その挙動が量子力学の理論の予測に合致することを初めて明らかにした(図1)。

ダブルスリット実験は電子の量子性を表す著名な実験である。電子一つ一つは粒子としてランダムに挙動する一方で、波としての法則性も示す。分子同士の反応も同様に挙動するものと予測されてきたが実験的証明はなかった。本研究では、化学反応がランダムに起きる一方で、統計的には一定の法則に従う、という量子力学的遷移状態理論の予測を実証した。 

化学反応研究は19世紀以来、反応容器の中に入れたアボガドロ数(10の23乗)個の分子の総量の増減(バルク実験)を追跡することで行われてきた。今回、一次元に配列させた[60]フラーレン注1)分子の反応を、分子一つ一つについて、温度を変えながら原子分解能電子顕微鏡注2)で直接観察して、数十個の分子について積算した。

本成果を応用することにより、多数の分子の平均に頼る従前の研究手法では平均に埋もれてしまった微細な分子の動きに関する情報が獲得できるようになり、新しい化学反応の発見や、宇宙空間や地球内部など高エネルギー環境における反応モデルの提唱、さらには原油の接触改質などの工業スケール反応における高効率触媒の開発や合理的な化学反応プロセスの設計につながると期待される。

本研究成果は、2017年11月26日(米国東部時間)に米国科学会誌「Journal of the American Chemical Society」のオンライン速報版で公開されました。

本研究は、科学技術振興機構 CREST「新機能創出を目指した分子技術の構築」(課題番号:JPMJCR14L4、代表者:中村 栄一)の支援により得られたものである。電子顕微鏡の動画記録と画像処理の最適化については、科学技術振興機構 研究成果展開事業 先端計測技術・機器開発プログラム(代表者:原野 幸治)の支援によって実施された。

<研究の内容>

電子のダブルスリット実験は電子のもつ量子性を表す実験として著名である。隣り合う2つのスリットを通して多数の電子を送り出すと、電子一つ一つは粒子としてランダムに挙動して検出器に到達するが、到達した電子の着地点の位置の統計を取ると、不思議なことに、あたかも波としての法則性を示して、干渉縞を形成する。量子力学に基づいた化学反応速度理論は、ランダム(確率論的)に起こる分子同士の反応でも同様のことが起きるものと予測してきたが、実験的証明は報告されていなかった。

今回の発見はこの量子力学的遷移状態理論の予測を実証したものである。二つの分子が化学反応する様子を原子分解能電子顕微鏡で直接見ながら、その経過を実時間で追跡したところ、量子力学的遷移状態仮説に従って、個々の反応一つ一つはランダムに起きるが、その統計を取ってみると、分子の反応速度が一次反応注3)という法則性を示す、ということを発見した。

中村教授らの研究グループでは2007年以来、「原子分解能単分子実時間電子顕微鏡イメージング(SMART-TEM)」注4)という独自分析手法を駆使し、小さな分子一つ一つの動きをあたかも映画撮影のように動画として記録することに成功している。今回の研究では、本手法で記録した数十個の分子が化学反応する過程を記録した動画を元に、反応が「いつ」「どのくらい」起こるのかを解析し、積算することで、反応の起こりやすさの指標である活性化エネルギーを求め、反応機構を推定することを示した。

本研究では、直径1.4ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)の筒状物質であるカーボンナノチューブ注5)を反応容器として用い(図2)、チューブの中に一次元に配列させた[60]フラーレンの反応を、分子一つ一つについて、温度を変えながら原子分解能電子顕微鏡で直接観察した。図3および図4に示すように、隣り合った[60]フラーレン分子が結合してダンベル型の二量体(二分子が結合したもの)へと変化する過程が実時間の動画として記録された。

本研究の鍵は、分子の運動を一次元に制限し、数えることが可能な一次元反応系とすることで、ランダムに起こる反応の数を時間を追って目でみて数えることが可能になった点にある。そこで、この[60]フラーレンの二量化反応に着目して、反応の起こる回数を電子顕微鏡の動画をみながら積算したところ、一見ランダムに起こっているようにみえる化学反応が、総和を取ると一次反応速度式に従うことが明らかとなった。これは量子力学的反応速度論による理論的予測を実験で実証した初めての例である。

さらにさまざまに温度を変えてより詳細な分析を行った結果、室温以上の実験条件ではこの二量化反応が電子的に励起された[60]フラーレンを経由して起こる一方で、室温以下の低温では電子線により[60]フラーレンが電子を失いイオン化することで反応が進行し、温度によって異なる反応機構をそれぞれ決定することができた(図5)。

化学反応研究は19世紀以来、反応容器の中に入れたアボガドロ数(10の23乗)個の分子の総量の増減(バルク実験)を追跡することで行われてきた。今回、わずか数十個の分子の反応を観察するだけで、量子力学が教えるところの「分子一つ一つはランダムだが総和を取ると一次反応速度式に従う」ことを実証し、さらには反応機構を決定できたことは、分子科学の実験研究における画期的成果である。今回のようにカーボンナノチューブの内側に閉じこめるだけでなく、ナノチューブの外側に分子を付けて観察する技術も確立されており(2012年東京大学 理学部プレスリリース参照)、より大きな分子や、たくさんの分子が関わる反応の分析にも応用が可能である。これにより、多数の分子の平均に頼る従前の研究手法では平均に埋もれてしまった微細な分子の動きに関する情報が獲得できるようになり、新しい化学反応の発見や、合理的な化学反応プロセスの設計につながると期待される。

2017年のノーベル化学賞は生体分子観察のためのクライオ電子顕微鏡技術の開発が受賞対象となった。クライオ電子顕微鏡法は従前の分析法の概念を踏襲して、極低温下で、数千〜数十万個の動かない分子の平均的構造を計算機上で再構成する手法であり、最高で2–3オングストローム(1オングストロームは100億分の1メートル)の分解能でタンパク質をはじめとする巨大な分子構造を求めることができる。一方、SMART−TEM法は動かない多数の分子を観察して平均化するクライオ法とは異なり、ただの1分子や、構造の異なる多数の分子の混合物を、分離精製することもなく、また構造変化や化学反応など動的挙動も含めて、そのまま観察できる点で、一線を画している。解像度も1オングストローム以下と、原子一つ一つが区別できるほど高い。さらにクライオ条件(液体窒素の極低温条件)も不要であり、—170℃から800℃までの幅広い温度で直接分子を観察できることが、今回の研究成功の鍵ともなっている。「電子顕微鏡の究極目標(Holy Grail)が達成された」と目されてきた所以である。

顕微鏡を用いて化学反応という分子の「動き」を記録し解析できることを実証した本成果は、従来の顕微鏡科学の常識を凌駕するものである。今後、化学研究における超微量、超高分解能の構造決定の標準手法として応用を広げていくだけでなく、革新的分析手法として新たな研究分野、さらには産業応用を開拓することが期待される。

本研究の温度可変電子顕微鏡観察の一部は、文部科学省 先端研究基盤共用促進事業(新たな共用システム導入支援プログラム)の支援を受けて実施された。

<参考図>

図1 本研究の概要図

図2 [60]フラーレン(紫色で示した球状分子)を詰めたカーボンナノチューブの模式図

図3 カーボンナノチューブの中で[60]フラーレン同士が結合をつくる二量化反応をとらえた顕微鏡画像

図4 カーボンナノチューブ中での[60]フラーレンが反応の様子をとらえた電子顕微鏡画像

時間経過と共に、フラーレン分子同士が結合する(番号を線でつないだ分子のペア)。さらに観察を続けると二つの球が融合し1つの大きな球状分子になる(番号を線で囲った分子のペア)。図のスケールバーは2ナノメートルを示す。

図5 温度と反応速度定数のプロット

393K(120℃)以上の高温域と203K(–70℃)以下の低温域では活性化エネルギー(反応が起こるために必要なエネルギー)が異なり、別々の反応機構で反応が進行していることを示している。

図6 今回の研究で使用した透過電子顕微鏡(東京大学 分子ライフイノベーション棟設置:日本電子株式会社製JEM-ARM200F)

超高速カメラによる最大1600枚/秒での動画撮影やクライオ電子顕微鏡法に必要な-170℃の低温から、800℃の高温まで幅広い温度で実験を行える環境が備わっている。(写真提供:太田 拓実 氏)

<用語解説>

注1) フラーレン
1985年にCurl、Kroto、Smalleyによって発見された炭素同素体の1つで、炭素原子がサッカーボール状につながった分子。1970年に大澤 映二 博士(当時京都大学)により初めて提唱された。炭素原子60個からなる[60]フラーレン(C60)が最も有名。世界に先駆け日本で工業生産が開始されており次世代材料の基盤物質として期待されている。
注2) 原子分解能電子顕微鏡
原子一つ一つを区別して観察可能な性能を有する透過電子顕微鏡。透過電子顕微鏡は光より波長の短い電子線を用いる顕微鏡で、物質を透過してきた電子線により像を結ぶことによって物質の形状を視覚的に知ることができる。近年の収差補正技術の進歩により、有機材料の観察に適した低加速電圧を用いた電子顕微鏡においても原子分解能での撮影が可能になった。東京大学分子ライフイノベーション棟に2015年に新設された最新鋭の透過電子顕微鏡(図6)では、0.07ナノメートルの空間分解能が実現されている。
注3) 一次反応
物質AがBへと変化する反応を考えたときに、反応の速度が物質Aの濃度に比例するような反応。この場合、物質Aの濃度は指数関数的に減少する。理想的な系における単分子反応においては、その反応速度は一次反応の速度式に従うことが古くから提唱されてきた。
注4) 原子分解能単分子実時間電子顕微鏡イメージング(SMART-TEM Imaging)
原子分解能電子顕微鏡を用いて、分子一つ一つの構造や形状の時間変化を原子分解能で追跡する分析手法。中村教授らのグループにより独自に開発された手法で、カーボンナノチューブを担体とすることで有機分子を長時間安定に観察することが可能である。これまでに、カーボンナノチューブに内包した炭化水素分子が回転、並進運動する様子や、金属原子が化学反応を触媒する様子の動画撮影、また分子がカーボンナノチューブ表面で結晶になる様子をとらえることに成功している(2007、2008、2010、2011、2012年東京大学 理学部プレスリリース参照)。
最近、日本科学未来館のHPにおいてSMART-TEM法が紹介された。
2017年ノーベル化学賞を予想する「物質最小の動きをみる」
http://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20170921NobelChem2.html
注5) カーボンナノチューブ
飯島 澄男 教授(現 名城大学)が1991年に発見した、ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。炭素単層からなるグラフェンシートが直径1ナノ(10億分の1)メートルから数ナノメートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。カーボンナノチューブはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として注目されている。

<論文情報>

タイトル Direct Microscopic Analysis of Individual C60 Dimerization Events: Kinetics and Mechanisms”
著者名 Satoshi Okada, Satori Kowashi, Luca Schweighauser, Kaoru Yamanouchi, Koji Harano, Eiichi Nakamura
掲載誌 Journal of the American Chemical Society
doi 10.1021/jacs.7b09776

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

中村 栄一(ナカムラ エイイチ)
東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻 特任教授
Tel:03-5841-4356 
E-mail:

<JST事業に関すること>

中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066
E-mail:

<報道担当>

武田 加奈子 特任専門職員、谷合 純子 学術支援職員、大越 慎一 教授・広報室長
東京大学 大学院理学系研究科・理学部
Tel:03-5841-0654
E-mail:

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail:

(英文)“First experimental proof of a chemical reaction theory predicted by quantum mechanics