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平成29年11月7日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

量子コンピュータのデバッグを高速化

~速いがゆえのジレンマを解消~

ポイント

量子コンピュータ注1)は、量子力学の重ね合わせの原理を活用して計算を行う技術で、素因数分解や量子化学計算などの問題を、現代のあらゆるコンピュータよりも高速に解けることが期待されているため、その開発が世界で盛んに進められています。実際の量子コンピュータは、わずかにエラーをもつ素子(量子ビット注2))を組み合わせて作られるので、それを訂正しながら計算を続ける仕組みの量子誤り訂正注3) が必要になります。その設計には、素子のエラーをどの程度低減できれば誤り訂正がうまくいくのかを見積もることが重要です。ところが、量子コンピュータが高速であるがゆえに、この見積もりの計算は通常のコンピュータでは追いつかず、「量子コンピュータの設計には量子コンピュータが必要」というジレンマに陥ってしまう懸念がありました。

本研究グループは、量子コンピュータが量子的なエラーを訂正していく機構と、もともとは物性物理の分野で知られていた、フェルミ粒子注4)の運動を表す物理モデルとが同一と見なせることを示しました。計算機としては、複雑な重ね合わせの状態を経由していくように見える機構が、粒子の運動と見なすことで、通常のコンピュータで計算できる単純な時間変化に置き換えられます。この手法により、従来不可能だと考えられていた、量子的なエラーを考慮した素子に要求される性能を、通常のコンピュータで高速かつ正確に計算することができます。これは、上記のジレンマを解消するもので、実用的な量子コンピュータの開発の促進につながると期待されます。また、複雑な重ね合わせ状態の中には、見かけだけのものがあるという発見は、「量子コンピュータはなぜ速いのか?」という根本的な問題の解明により深く迫るものといえます。

 本研究は、先端光量子科学アライアンス(APSA)の支援のもとに行われました。

 本成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」のオンライン版で11月7日(米国東部時間)に掲載される予定です。

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業(さきがけ、CREST、ERATO) の支援のもとに行われました。

<研究の背景>

量子コンピュータは、最も基本的な物理法則である量子力学を活用して計算を行う技術で、素因数分解や量子化学計算といった問題を現代のあらゆるコンピュータよりも高速に解けることが期待されています。そのため、GoogleやIBM、QuTech(Intel)、Rigetti Computingなどの企業や大学で、実用的な量子コンピュータの開発が現在盛んに進められています。

現代のコンピュータは、0または1の値をとるビットを基本に作られていますが、量子コンピュータを構成する量子ビットは0と1に加え、0と1の連続的な「重ね合わせ状態」をとることができます。この重ね合わせ状態を用いると、ビットの値が0の場合の計算と1の場合の計算が同時に実行されます。量子コンピュータは、このようなある種の並列計算によって演算を高速化していると考えられています。ただ、その高速化が量子力学のどんな性質に由来しているのかは、正確にはよくわかっていません。

量子ビットに発生するエラーには、通常のビットと同様に「0だったビットが稀に1になってしまう」というようなデジタル的なビットエラーと、量子特有の「0と1の重ね合わせの『比率』が少しだけずれてしまう」という量子的なエラーがあります(図1)。量子コンピュータの開発においては、このような素子のエラーが、どのように積み重なって、ついには間違った計算結果を生んでしまうのかを正しく把握することが重要です。素子のエラーに対抗するための誤り訂正機構の設計や、正しい計算のために素子に要求される性能の評価に直結するためです。ところが、上記の量子的なエラーは、それ自身が新たな重ね合わせ状態を生み出すために、その影響を単純に追跡しようとすると、膨大な並列計算を行うのと同じような困難に直面します。量子コンピュータの規模が大きくなると、この追跡はスーパーコンピュータでも不可能となり、量子コンピュータでなければできない、という事態になります。つまり、量子コンピュータの開発のためには量子コンピュータが使える環境が必要、というジレンマに陥ることが危惧されていました。

<研究の内容>

今回、本研究グループは、一見複雑に見える重ね合わせ状態でも、視点を変えることで、単純な状態に見えるケースがあるという性質に着目し、従来は追跡が困難と考えられてきた量子的なエラーが計算機の動作に与える影響を、通常のコンピュータで正確かつ高速に評価する手法を提案しました。量子コンピュータが動作するために素子に発生するエラーをどこまで小さくしなければいけないかなど、素子に要求される性能の正確な値の計算はこれまで事実上不可能でしたが、新手法により通常のデスクトップPCを用いても容易に計算できるようになりました。

本研究のアイデアの最も重要なポイントは、量子コンピュータが量子的なエラーを訂正していく機構を、従来一般的に使われていた量子回路の記述ではなく、「自由フェルミ粒子系(注4)」という物理系の時間変化を記述する数理モデルで扱った点にあります。自由フェルミ粒子系という枠組みは物性分野で知られていましたが、量子コンピュータの性能評価としては初めて利用されました。

通常のコンピュータの計算はAND、OR、NOTなどの論理ゲートからなる論理回路で表現することが一般的です。同様に量子コンピュータが計算を行う仕組みも量子版の論理ゲートからなる量子回路として扱うことが一般的でした。量子回路中のある場所でビットエラーが起きた場合を計算するには、NOTゲートがその場所に挿入されたと思って計算を続けるだけです。ところが、量子的なエラーが起きた場合には、NOTゲートをその場所に挿入した場合と、挿入しなかった場合の重ね合わせ状態となるため、その後の影響を計算するには、2種類の回路の両方を計算する必要が生じます(図1)。エラーが起こるたびに、これが4種類、8種類とネズミ算式に増えていくため、量子回路の記述では効率的に扱えないと考えられてきました。

本研究ではこの問題を以下のように視点を変えることで解決しました。量子コンピュータは計算機の一種ですが、その動作は広い意味で量子的な物理現象の一つとして見ることができます。私達の身の回りのどのような物理現象も原理的には量子的な物理現象の一つとして記述できますが、通常のコンピュータでも簡単にシミュレートできる物理現象はたくさんあります。その例の一つに、レーザー光を用いた実験があります。光は電磁波と呼ばれる波の一種ですが、量子的には光子という粒子でできているという見方もできます。その場合、レーザー光は多数の光子からなる重ね合わせ状態です。その光をファイバーに通して合波したり分波したりすると、ネズミ算式に光子の重ね合わせ状態が複雑になっていきます。しかし、最終的にどのような強さの光がファイバーから出て来るのかは、同じ光を波だと考えて振幅を計算すれば、通常のコンピュータで簡単に予測できます。「自由フェルミ粒子系」とは、このレーザー光の話を、光子ではなく電子などに代表されるフェルミ粒子に当てはめた数理的なモデルに相当します。光の場合と同様に、フェルミ粒子系の時間変化も、ネズミ算式に重ね合わされる状態のパターンが増えていくにも関わらず、通常のコンピュータで容易に追跡してシミュレートし、結果を予測できることが物性物理などの分野で知られていました。

本研究では、量子コンピュータが量子的なエラーを訂正していく機構が、自由フェルミ粒子系の数理モデルに正確に当てはまることを示しました。これにより、対応するフェルミ粒子系の時間変化を通常のコンピュータでシミュレートすることで、量子コンピュータが正しく計算を行えたかどうかを正確かつ高速に知ることができます。もちろん、量子コンピュータの全ての動作がこうした効率的に扱える枠組みで置き換えられるわけではありませんが、この対応は量子コンピュータの動作のうち通常のコンピュータでも効率的に扱える一面を切り出しているといえます。また、量子コンピュータを実用的な規模に拡大する上で最も実現が有力視されている量子誤り訂正の機構を、この手法を用いて正確かつ高速に追跡できることを示しました(図2)。本成果により、今まで判明していなかった量子的なエラーのもとでの量子ビットの設計目標が、初めて現実的に計算可能で明確な値になったといえます。また、量子コンピュータの高速化には寄与しない見かけだけの重ね合わせ状態の存在を明らかにしたことにより、量子コンピュータが高速に動作する真の理由に一歩近づいたといえます。

<今後の期待>

本研究は量子コンピュータが量子的なエラーを訂正していく仕組みを通常のコンピュータで正確かつ高速に計算する手法を提案するものです。この成果により、誤り訂正を行い実用的な規模に量子コンピュータを拡張するために必要な量子ビットが要求する性能を、通常のコンピュータだけで正確かつ高速に見積もることができます。このように、量子コンピュータを開発する上で重要な目標値を量子コンピュータを使わずに正確に計算できることは、世界中で行われている量子コンピュータの開発においてただちに有用です。

本研究の基本となるアイデアは、量子コンピュータにおいてネズミ算式に複雑化する量子的なエラーの重ね合わせパターンを、同様に複雑な重ね合わせにも関わらず通常の計算機でも扱える自由フェルミ粒子系という数理的なモデルで記述したことにあります。もともとは物性物理などの分野で知られていた自由フェルミ粒子系の計算手法を用いて量子コンピュータのエラー特性を評価できることを示した本研究は、一度物理現象に立ち返って量子コンピュータの仕組みを考察することが量子コンピュータの性能の評価や高速化の原理の理解を深める上で有用であるという、基礎的にも興味深い例だともいえます。今後もこうした学際的な知見の融合が、さらなる量子コンピュータの開発の進展と仕組みの理解を促すことが期待されます。

<参考図>

図1 ビットエラーと量子的なエラー

通常のビットにも発生するビットエラーとは、ある確率で意図せず状態が「0」から「1」へとジャンプしてしまうような変化を指します(左図)。このようなエラーは適切な確率でランダムにエラーが起きたか起きていないかを選ぶことで正しくシミュレートできます。一方、量子ビットに量子的なエラーが生じると、その状態はジャンプが起きた場合と起きなかった場合の「重ね合わせ状態」に変化します(右図)。このような場合にジャンプが起きたか起きていないかを確率的に無理やり決めてしまうと、このエラーの影響を正しく見積もることができません。

図2 量子コンピュータが誤り訂正を行う様子をフェルミ粒子の運動に置き換える

通常、量子コンピュータが誤りを訂正する仕組みは、図の背景にある回路図、すなわち量子回路の形で理解されます。物理的な粒子の連続的な運動は、一見こうした離散的な回路とは無縁に思えますが、回路から物理現象への適切な対応関係を考えることで、量子回路中のエラーが重ね合わせ状態を作ったり量子ビットが誤りを訂正したりする様子を多数のフェルミ粒子の運動として記述できるようになります。このような対応関係を考えることで、フェルミ粒子の運動を通常のコンピュータでシミュレートすることにより、量子コンピュータが正しく誤りを訂正できているかを正確に追跡できます。

<用語解説>

注1) 量子コンピュータ
物質の量子力学的な性質を活用して高速な計算を行う技術です。近年、技術の発展により実用的な量子コンピュータが実現できる兆しが見えたため、量子コンピュータの開発が世界的に加熱しています。
注2) 量子ビット
量子コンピュータを構成する基本要素です。通常の計算機ではビットは0か1のどちらかを表しますが、量子コンピュータの基本単位となる量子ビットは、0と1の「重ね合わせ状態」を取ることが出来ます。この重ね合わせ状態は量子力学特有の状態で、量子コンピュータは物質の重ね合わせ状態を活用して高速な計算を実現しています。
注3) 量子コンピュータの誤り訂正
一つ一つの量子ビットに生じるエラーはわずかであっても、計算を長く続けるとそれが積み重なって間違った計算結果を生んでしまいます。大規模な計算でこれを防ぐためには、発生したエラーを検出し、必要に応じて誤りを訂正する機構が必須です。量子誤り訂正は量子コンピュータにおいてこうした訂正を行う機構です。
注4) フェルミ粒子/自由フェルミ粒子系
量子力学に登場する粒子は、ボース粒子とフェルミ粒子の二種類に分類されます。例えば光子はボース粒子の一種、電子はフェルミ粒子の一種です。互いに相互作用の無い複数のフェルミ粒子で構成される物理系を自由フェルミ粒子系と呼びます。

<論文情報>

タイトル Efficient simulation of quantum error correction under coherent error based on nonunitary free-fermionic formalism
著者名 Yasunari Suzuki, Keisuke Fujii, Masato Koashi
掲載誌 Physical Review Letters
doi 10.1103/PhysRevLett.119.190503

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

小芦 雅斗(コアシ マサト)
東京大学 大学院工学系研究科 光量子科学研究センター/光量子科学連携研究機構 教授
Tel/Fax:03-5841-8397
E-mail:

<JST事業に関すること>

中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2064
E-mail:

古川 雅士(フルカワ マサシ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
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<報道担当>

東京大学 大学院工学系研究科 広報室
Tel:03-5841-1790 Fax:03-5841-0529
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科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
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(英文)“Efficient simulation of quantum error correction under coherent error based on nonunitary free-fermionic formalism