山本 隆文 京都大学 工学研究科 助教、陰山 洋 教授らの研究グループは、川上 隆輝 日本大学 准教授、John E. McGrady オックスフォード大学 教授、Michael A. Hayward 同教授らとの共同研究で、負の電荷をもつ水素が極めて圧縮されやすく、金属原子間の相互作用を対称性の違いでブロックすることを明らかにしました。
水素は通常、正に帯電したイオン(プロトン:H+)として存在しています。しかし、近年になって負の電荷をもつ水素イオン(ヒドリド:H–)を含む酸化物が次々に報告され、水素の貯蔵・取り出しや利活用にブレイクスルーをもたらす材料の候補として期待を集めています。ヒドリドは個体の中でイオンを拡散させる能力が高く、電池の材料としても注目されていますが、現状ではその基本的な性質がほとんどわかっていないため、この材料に関わる研究は暗中模索の状態でした。
本研究グループはヒドリドを含む層状の酸化物に圧力を加える実験によって、ヒドリドが極めて圧縮されやすく、層間の金属原子間の相互作用をブロックするという性質を発見しました。これらの結果は、ヒドリドを利用することによって、厚いセパレーターを使わなくても二次元的な特性が出せることを示しています。この新しい設計戦略を用いて今後、ヒドリドを含んだ様々な磁気・電子材料が開発されることが期待されます。 本研究成果は10月31日(日本時間)、英国科学誌Nature Communicationsに掲載されます。
本研究成果は京都大学、オックスフォード大学、日本大学との共同研究です。また、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)「超空間制御に基づく高度な特性を有する革新的機能素材の創製」(研究総括:瀬戸山 亨 三菱ケミカル株式会社 フェロー・執行役員、平成26〜31年度)、日本学術振興会の新学術領域研究「複合アニオン化合物の創製と新機能」(領域代表者:陰山 洋 京都大学 教授、平成28〜32年度)、同若手研究Aの支援を受けました。
<研究の背景>
水素は、電子が1個からなる周期表で最初に登場する最も単純な元素です。酸化物などの無機物質の中では、水素から電子が1つ失われ、正に帯電したプロトン(H+)として存在します。一方、電子を1つ受け取った負電荷の水素イオンはヒドリド(H–)と呼ばれます。近年になって、ヒドリドを酸化物の中で安定に存在させる合成技術が開発されてきました。その結果、新物質が続々と報告されており、画期的な固体燃料電池や触媒など、将来の水素社会の基盤となる材料の候補として期待を集めています。しかしながら、現状ではヒドリドに関するに基本的な性質すらほとんどわかっていないため、それを含む材料の機能の予測には限界がありました。
<研究手法・成果>
本研究では、ヒドリドを含み、ペロブスカイト型という結晶構造を持つ酸化物SrVO2H(Sr:ストロンチウム、V:バナジウム、O:酸素、H:水素)に圧力を加え、ヒドリドに特有の新たな二つの性質を見出しました。第一の特徴は、ヒドリドが非常に柔らかく圧縮しやすいことです。大気圧下でほぼ同じ大きさの酸素イオンを硬式テニスボールだとすると、ヒドリドは軟式のボールのように約二倍も縮みやすいことが分かりました(図1)。
もう一つは、ヒドリドが金属原子間の相互作用を対称性の違いでブロックするという特徴です。物質の電気的、磁気的な性質に関係する金属原子間の相互作用は、その間に位置する陰イオンの電子軌道注1)の形によって決まります。ここでヒドリドの最外殻注2)は球状の軌道(s軌道)のみから構成されているのに対し、他のあらゆる陰イオン(O2–、F–、N3–、Cl–など)はダンベル型の軌道(p軌道)も持つこと(図2a)が決定的な違いです。図2bの金属原子同士の相互作用を考えると、ヒドリド以外の陰イオンが挟まれている場合は、金属のd軌道注3)が陰イオンのp軌道を介して相互作用をすることができます。これは、これらの軌道が同じ対称性注4)をもつためです。一方、ヒドリドが挟まれている場合(図2b)には、ヒドリドのs軌道と金属のd軌道の対称性が異なるため、金属原子間の相互作用は無視できるほど小さくなります。したがって、ヒドリドがハサミのように金属原子間の相互作用を切断し、ブロックする役割を果たすことが期待できます。
今回取り上げたSrVO2H中では、まさにヒドリドが金属の相互作用を遮断し、二次元的な電子状態が実現されています。酸素イオンを挟んだバナジウム同士では強い相互作用がありますが、ヒドリドを挟んだバナジウム同士の相互作用は切断されています。本研究ではSrVO2Hがヒドリドの高い圧縮率にもかかわらず、良好な二次元性を保つことがわかりました。つまり、金属原子間の相互作用がヒドリド一層分の厚さ(~0.1nm)で有効にブロックされ、世界一薄い「金属原子セパレーター」としての役割を担っていることが明らかになりました。
<今後の期待>
来るべき水素社会に向けて、ヒドリドを含む化合物、特にヒドリドを含む酸化物が近年続々と報告されてきています。最近ではヒドリドを含む酸化物を新しい電池材料として利用しようとする試みなど実用的な観点からも研究が進んできています。今回得られた結果は、ヒドリドを利用することによって、厚い大きなセパレーターを使わなくても、原子レベルで電子状態の次元性を制御できることを示しています。電子状態は物質の機能に直結することから、電子状態を自在に制御することは高度な機能を持つ磁気・電子材料を得る上で必要不可欠な要素です。今回得られた新しい戦略を用いて今後、ヒドリドを含んだ様々な材料が開発されることが期待されます。
<参考図>
図1
ヒドリド(H–)と酸素イオン(O2–)の模式図。高圧下ではヒドリドが二倍圧縮される。
図2
- (a)ヒドリド(H–)は最外殻に球状のs軌道のみをもつのに対し、それ以外の陰イオンは常にダンベル状のp軌道も持つ。
- (b)ヒドリドは金属のs軌道しか持たないため、p軌道を介した金属の相互作用が起きない。
図3 SrVO2Hにおける金属(V)間の相互作用
面内ではO2–を挟んでV-O-Vの強い相互作用が生じるが、面間では対称性の異なるH–の軌道によって相互作用が実効的にブロックされている。
<用語解説>
- 注1) 電子軌道
- 原子核の周りに存在する電子の軌道。軌道の形に応じて、s軌道、p軌道、d軌道などの名称が与えられている。電子を収容する場所を電子殻といい、エネルギーが低い順に数字が割り振られている。この組み合わせで1s軌道、2p軌道、3軌道などの名称が与えられる。
- 注2) 最外殻
- 一番エネルギーの高い電子殻に占有する電子軌道。
- 注3) d軌道
- 遷移金属において結合に関わる電子軌道で五種類(dxy、dyz、dzx、dx2-y2、dz2)ある。本研究のSrVO2H中のバナジウムではdxy、dzx、dyzが関わる。
- 注4) 対称性
- 量子力学的な観点から電子は波の性質を持っており、電子が占有する軌道には対称性が定義される。二つの原子の軌道間に相互作用を与えるには、二つの軌道が重なる部分に同じ対称性を持つ必要がある。
<論文情報>
タイトル |
“The role of π-blocking hydride ligands in a pressure-induced insulator to metal phase transition in SrVO2H” |
著者名 |
Takafumi Yamamoto, Dihao Zeng, Takateru Kawakami, Vaida Arcisauskaite, Kanami Yata, Midori Amano Patino, Nana Izumo, John E. McGrady, Hiroshi Kageyama, and Michael A. Hayward |
掲載誌 |
Nature Communications |
doi |
10.1038/s41467-017-01301-0 |
<お問い合わせ先>
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陰山 洋(カゲヤマ ヒロシ)京都大学 大学院工学研究科 物質エネルギー化学専攻 教授
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