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平成29年8月14日

お茶の水女子大学
科学技術振興機構(JST)
内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)

タイヤゴムの耐久性向上の鍵である「速度ジャンプ」のメカニズムを解明

~タフなゴム材料の開発に向けた指導原理を示す~

ポイント

内閣府 革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の伊藤 耕三 プログラム・マネージャーの研究開発プログラムの一環として、お茶の水女子大学の作道 直幸 特任助教と奥村 剛 教授は、「速度ジャンプ」の問題を、本質を損なわずに単純化して数学的に定式化することで、タフなゴム材料を開発するための指導原理を与えることに成功しました。

ゴムの高速破壊を引き起こす「速度ジャンプ」現象の理解は、タフなゴム製品を生み出すために重要であり、タイヤゴムの耐久性や耐摩耗性向上の鍵となります。さらにゴム以外の、ゲル、プラスチックなどの様々なポリマー材料のタフ化にもつながる可能性があります。ところが、速度ジャンプは60年前から知られている現象でありながら、何故起きるのかがわかっていませんでした。

今回、本研究グループは、ゴムシートの破壊現象の本質を抽出した「単純な数理モデル」を構築し、その数学的な解をもとにして、速度ジャンプの起こるメカニズムを解明し、タフなゴム材料の開発への指導原理を与えることに成功しました。

得られた指導原理に基づいて、従来よりもタフなゴム材料が開発されれば、ゴム材料が利用される産業全般に広い波及効果が期待され、安全、安心、エコな社会の実現に役立ちます。

本研究成果は、2017年8月14日10時(英国時間)発行の英国科学誌「Scientific Reports」(サイエンティフィックリポーツ)誌に掲載されます。

本成果は、以下のプログラム・研究開発課題によって得られました。

PM

奥村 剛 教授

PM

作道 直幸 特任助教

内閣府 革新的研究開発推進プログラム(ImPACT) https://www.jst.go.jp/impact/

プログラム・マネージャー 伊藤 耕三
研究開発プログラム 超薄膜化・強靱化「しなやかなタフポリマー」の実現
研究開発課題 印象派物理学によるタフポリマー開発の指導原理の構築
研究開発責任者 奥村 剛(お茶の水女子大学 基幹研究院 教授)
研究期間 平成26年10月~平成30年3月

<伊藤 耕三 プログラム・マネージャーのコメント>

PM

本チームでは、複雑な現象の本質をシンプルに捉える印象派物理学注3)という新しい技術を用いて、「しなやかなタフポリマー」の材料設計指針を導出する研究を行っています。今回の成果は、ゴム・エラストマー材料等で見られる亀裂進展速度の転移現象(速度ジャンプ)の発生メカニズム解明に取り組む中で、単純な数理モデルをもとに数学的厳密解を発見し、それによって、60年以上に及ぶ謎であった速度ジャンプの物理的起源を解明すると共に、ゴム・エラストマー材料のタフ化のための指導原理に繋げた画期的なものです。今後、同様のアプローチにより、他のポリマー材料においてもタフ化のための指導原理が得られることを期待しています。

<研究の背景と経緯>

「速度ジャンプ」とは、ゴムシートに生じた亀裂(破れ)の進展する速度が、秒速1mm未満の低速から秒速1m以上の高速へと急激に転移する現象です(図1(a)〜(e))。最近、この現象が注目されています。なぜなら、これまでの研究から、この速度ジャンプを起こりづらくすることが、ゴムの耐久性や耐摩耗性の向上につながることが分かってきたからです。例えば、自動車のタイヤの耐久性が向上すれば、十分な耐久性を保ったままタイヤを薄くすることが可能になり、重量の低減による低燃費性、原材料の削減による省資源性、生産時の消費エネルギーの低減、の実現につながります。ところが、速度ジャンプは60年前から知られているにも関わらず、その発生メカニズムは未解明でした。速度ジャンプの発生メカニズムが解明されれば、経験則による試行錯誤に頼らずに、既存技術の枠を超えたタフなゴム材料の開発が可能になるかもしれません。したがって、速度ジャンプの発生メカニズムを解明することは、基礎的にも応用上も重要な問題です。

内閣府ImPACT伊藤プログラムでは、複数のアカデミアが企業の課題に取り組む「マトリックス運営」を進めていますが、その中の共通的な重要課題の一つとして、株式会社ブリヂストンを中心に、産官学連携で速度ジャンプのメカニズムの解明に取り組んでいます。この課題には、名古屋大学 岡崎 進 教授、京都工芸繊維大学 浦山 健治 教授、東京大学 梅野 宣崇 准教授らのグループといった、主に化学系・工学系の研究者や企業の研究者らが、様々な物質の詳細な違いに着目して、実験や数値シミュレーションによる研究を進めています。この中で、これらのアプローチとは対照的に、物理学の観点から、様々な物質の持つ共通性(普遍性)に着目して、天然複合物質等の強靭性等を研究してきた奥村教授のグループは、実験・理論・数値シミュレーションの同時進行によって、速度ジャンプの問題に取り組んでいます。

<研究の内容>

作道特任助教と奥村教授は、ゴムの亀裂進展問題を数学的に取り扱うために、新しい数理モデルを考案しました。具体的には、数値シミュレーションなどで使われる格子モデル(図2(a)参照)を、亀裂進展問題に特化させて単純化して(図2(b)〜(c)参照)、ゴムの理論として標準的な線形粘弾性理論注4)を組み入れました。すると、この数理モデルの数学的な解から、速度ジャンプが再現されました(図1(f))。さらに、60年前からの謎であった速度ジャンプが起こるメカニズムも以下のように解明されました。ゴムは、とても長いひも状の高分子を化学反応によって結びつけることで、網目構造を持たせた物質です。このために、ゴムは引っ張る速さによって3つの異なる顔を見せます。まず、ゴムはゆっくり引っ張ると、我々が日常的に知っているように柔らかいばねのような性質を示します。次に、少し速く引っ張ると発熱します。そして、さらに速く引っ張ると、ガラスのように硬くてもろい固体のようになります。この状態になることを「ガラス化」と言います。本研究では、亀裂の進展速度がある限界値に達すると、亀裂の先端で上述のようなゴムの「ガラス化」が起こり、それにより速度ジャンプが起こることを明らかにしました(図3)。これはとても自然な理屈ですが、亀裂進展の数学的な取り扱いが困難であるために、このようなシナリオが出てくる物理理論は存在しませんでした。しかし、図2(b)に示した本質を損なわない単純化によってこれが可能になりました。さらに今回の理論から、ゴムのタフ化につながる速度ジャンプの抑制方法が分かりました。ゴムを構成するひも状高分子の網目を粗くすること、および、ガラス化したときの硬さを強化することでこれが達成できることがシンプルな数式で示されたのです(図4)。これらの指導原理に基づけば、経験則によるトライアルアンドエラーが抑えられ、耐久性や耐摩耗性の向上したタフな新規ゴム材料の開発を効率的に行うことができると期待されます。

<今後の展開>

ImPACT伊藤プログラムでは、ゴム以外にも、様々なポリマー材料を使った亀裂進展の実験が進行しており、今回の研究とは異なるタイプの亀裂進展の実験も検討されつつあります。また、様々な物質の詳細な違いに着目した数値シミュレーション研究もおこなわれています。このような状況の中、今回用いた数理モデルやそれを拡張した数理モデルが、どこまで普遍的に亀裂進展の本質をとらえられるのかを明らかにすることが今後の重要な課題です。将来的には、これらの研究を通して明らかにされていく、さらなるタフ化への指針によって、ゴムをはじめとする様々なポリマー材料の開発現場からトライアルアンドエラーを最小限に抑えつつ、タフな材料が開発されることが期待されます。このようにして、例えば、ゴムの場合であれば、自動車のタイヤに使うゴムを十分な耐久性を保ったまま薄くすることができます。これより、重量の低減による低燃費性、原材料の削減による省資源性、生産時の消費エネルギーの低減、が実現されます。また、ゲルの場合であれば、コンタクトレンズなど医療分野や、再生医療のための医用材料などの応用に役立ちます。さらに、プラスチックがタフ化されて、金属の代用ができるようになれば、自動車や飛行機などの筐体をプラスチックで作ることで軽量化ができ、低燃費性や省資源性が実現されます。

<参考図>

図1

図1

  • (a-d) 速度ジャンプの実験方法。横長のゴムシートについて、シートの縦方向(短い方向)に引っ張って固定することにより「ひずみ」を与えてから、端に初期亀裂を与えると横方向に亀裂が進展する。このとき亀裂の進展する速度を測定する。
  • (e) ひずみと速度の関係を両対数グラフ注5)にした実験結果。Tsunoda et al. J. Mater. Sci. 35, 5187 (2001)のデータから作成。ひずみを増やすと速度が上昇するが、ある臨界値を超えるときに約千倍もの速度の急激な上昇が観測される。これを「速度ジャンプ」と呼ぶ。速度ジャンプの起こる臨界値を大きくすることが、材料のタフ化につながる。
  • (f) 本研究で構築した数理モデルを数学的に解いた結果の両対数グラフ。実験で観測されている速度ジャンプを再現する。
図2 本研究で構築した数理モデルの概略

図2 本研究で構築した数理モデルの概略

  • (a) ゴムシートを格子状に並んだ質点(図の黒丸)として単純化したモデル。
  • (b) さらに単純化した今回のモデルでは、亀裂が進展していく先の質点だけを考える。これにより問題が大幅に簡単化される。
  • (c) 亀裂は1〜3の手順で右に向かって進展する。
図3 本研究で明らかになった「速度ジャンプ」の起こるメカニズム

図3 本研究で明らかになった「速度ジャンプ」の起こるメカニズム

ゴムは柔らかい物質であるが、少し速く引っ張ると発熱する。さらに速く引っ張ると、ガラスのように硬くてもろくなる。

  • (a)亀裂の進展速度が秒速1mm未満の低速のときには、少し早く引っ張られた亀裂先端が発熱しながら亀裂が進展していく。
  • (b)速度ジャンプは、亀裂先端がさらに速く引っ張られることにより、ガラスのように硬くなることによって引き起こされる。
図4 本研究で導かれたゴム材料のタフ化への指導原理を表すシンプルな数式

図4 本研究で導かれたゴム材料のタフ化への指導原理を表すシンプルな数式

式の左辺のΓjumpは速度ジャンプが起こりにくくなる程度を表す量(エネルギー解放率)であり、Γjumpを大きくすることが材料のタフ化へとつながる。式の右辺の lE、εc は、それぞれ、ゴムを構成するひも状高分子の網目の大きさ、ガラス化したときの硬さ(ヤング率)、ゴムが切れるときのひずみの大きさ、を表す。

<用語解説>

注1) タフなゴム材料
材料が「タフ」とは、壊れにくく丈夫であるという意味である。例えば、ガラスのコップは硬いが落とすとすぐ割れる。しかし、プラスチックのコップは柔らかいが落としても割れない。この場合は、プラスチックのコップの方が「タフ」である。衝撃に対して強いかどうか、繰り返しの変形に対して強いかどうか、など、材料のタフさについては種々の指標が知られている。ゴム材料については、「速度ジャンプ」現象を抑制すると耐久性や耐摩耗性が向上することが知られている。そこで今回の研究では、ゴム材料のタフさの指標として「速度ジャンプの起こりにくさ」を採用しており、タフという言葉はこの意味で使っている。
注2) ポリマー材料(高分子材料)
小さい分子(モノマー)が多数集まり、ひも状や網状に結合した分子を高分子(ポリマー分子)と言う。高分子からなる集合体としての物質がポリマー材料となる。モノマーの種類を変えることで、ビニールやプラスチックのような様々な特徴を持つポリマー材料を実現できる。特にポリマー材料の中でも、とても長いひも状の高分子を化学反応によって結びつけることで粗い網目構造を持たせた物質は、ばねのような性質を持つ。このとき、網目構造が液体を含まないものがゴムであり、含むものがゼリーやこんにゃくなどのゲルである。ポリマー材料は、金属に比べて軽いため、応用が広がれば低燃費性を通して省エネに直結する。しかし、ポリマー材料は、薄くすると破れやすく、硬くすると脆くなるのが問題であり、この点を克服したタフなポリマー材料の開発が重要である。
注3) 印象派物理学
1991年にノーベル物理学賞を受賞した故ドゥジェンヌ博士が提唱した研究手法で、物理の研究を印象派絵画に例え、枝葉末節を意識的に排除し、シンプルに情景(物理)を捉えることで、その美的(物理的)本質をより鮮明に浮かび上がらせようとするもの。今後この手法で様々な分野で研究が進むことで、企業の開発現場等で役に立つ指導原理が次々と明らかになって行く可能性がある。
注4) 線形粘弾性理論
ゴムやプラスチックなどのポリマー材料は、弾性(ばねのような性質)と粘性(はちみつのようなねばねばした性質)を合わせた「粘弾性」という性質を持つ。弾性とは、力を加えると同時に変形(伸びや縮み)が生じ、力を除くと元の形に戻る固体的な性質のことである。粘性とは、力を加えると流れが生じて変形が増大していき、力を除いても元の形に戻らない液体的な性質のことであり、発熱に関係する。加えた力に比例して変形が生じる場合を線形弾性、加えた力に比例して流れが生じる場合を線形粘性と言い、両者の性質を併せ持てば線形粘弾性という。線形粘弾性を記述するための理論を線形粘弾性理論という。
注5) 両対数グラフ
グラフの両方の軸が対数目盛になっているグラフを両対数グラフという。両対数グラフでは、1目盛りが10倍、2目盛りが100倍、3目盛りが1000倍に対応する。両対数グラフは、極端に範囲の広いデータを扱うときに用いられる。速度ジャンプ現象は、1000倍もの急激な速度の上昇を起こすため、両対数グラフを用いて表す必要がある。

<論文情報>

タイトル Exactly solvable model for a velocity jump observed in crack propagation in viscoelastic solids.
(粘弾性固体中の亀裂進展で観測される速度ジャンプの厳密に解けるモデル)
著者名 Naoyuki Sakumichi and Ko Okumura(作道 直幸、奥村 剛)
掲載誌 Scientific Reports (Nature PG)
doi 10.1038/s41598-017-07214-8

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

奥村 剛
お茶の水女子大学 基幹研究院 教授
〒112-8610 東京都文京区大塚2-1-1
Tel:03-5978-5321 Fax:03-5978-5321
E-mail:

<ImPACTの事業に関すること>

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<ImPACTプログラムに関すること>

科学技術振興機構 革新的研究開発推進室
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