金沢大学 医薬保健研究域医学系の金子 周一 教授、篁 俊成 教授および御簾 博文 准教授らは、肝臓から分泌されるホルモンである「ヘパトカイン注1)」のひとつが、骨格筋に作用することで、運動を行っても、その効果を無効にする「運動抵抗性注2)」という病態を起こしていることを発見しました。
身体活動の低下は、肥満、2型糖尿病、高血圧、脂肪肝などのさまざまな生活習慣病につながることが知られていますが、逆に、運動はこれらの疾患の予防や治療につながるため、運動療法として定期的な運動が推奨されています。しかし、運動療法の効果には、かなりの個人差があり、運動を行ってもなかなか効果が出ない人がいることが報告されていました。
研究グループは、2型糖尿病、脂肪肝の患者、高齢者で多く発現している「ヘパトカイン」であるセレノプロテインP注3)に着目して研究を行いました。マウスや細胞の実験によって、過剰なセレノプロテインPは、受容体であるLRP1注4)を介して筋肉に作用することで、運動したにもかかわらず、その効果を無効にする「運動抵抗性」という病態を起こすことを見い出しました。また、セレノプロテインPを生まれつき持たないマウスでは、同じ強さ・同じ時間の運動療法を行っても、通常のマウスと比べて運動のさまざまな効果が倍増することが分かりました。
さらに、健常者を対象にした臨床研究では、血液中のセレノプロテインPの濃度が高かった人は、低かった人に比べて、8週間の有酸素運動トレーニングをしても運動の効果が向上しにくいことが分かりました。
本研究は、運動の効果に個人差がある原因のひとつを解明しました。今後、2型糖尿病などの身体活動低下に関連した、さまざまな生活習慣病に対して、セレノプロテインPと受容体LRP1を標的にした新しい「運動効果増強薬」の開発や、セレノプロテインP濃度の測定による運動効果の出やすさの診断などにつながることが期待されます。
本研究成果は、2017年2月27日(米国東部時間)発行の米国の総合医学雑誌『Nature Medicine (ネイチャー・メディスン)』オンライン版に掲載されます。
この研究は、同志社大学、筑波大学、アルフレッサファーマ株式会社の研究グループと共同で行われました。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(さきがけ)、JST A-STEPハイリスク挑戦タイプ(平成27年度より国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)へ移管して実施)、JSPS 科学研究費助成事業(基盤研究(A)、基盤研究(B)、基盤研究(C))、持田財団研究助成金、武田財団研究助成金、文部科学省 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業の支援を受けて実施されました。
<研究の背景>
近年日本では、身体活動量の低下などの生活習慣の変化に伴って、2型糖尿病、高血圧、メタボリックシンドロームなどの生活習慣病が急増しています。運動はこれらの疾病の予防・治療につながるため、定期的な運動は「運動療法」として推奨されています。しかし、運動療法の効果には、かなりの個人差があり、運動してもあまり健康増進効果が出ない人がいることが問題となっていました。
これまでに、肝臓で産生される分泌タンパクの1つであるセレノプロテインPの血中濃度が2型糖尿病の患者で高まっていること、セレノプロテインPがインスリン抵抗性を起こして血糖値を上昇させることを報告し(Cell Metabolism 2010;12(5):483-495)、肝臓から分泌されるホルモンで、血液を介して全身でさまざまな作用を発揮するものを総称して「ヘパトカイン」と呼ぶことを提唱してきました(図1)。しかし、セレノプロテインPが運動の効果に与える影響は今まで不明でした。
<研究の成果>
研究グループは、マウス、培養筋細胞を用いた実験、および臨床研究を行うことによって、セレノプロテインPが運動の効果に与える影響を検討し、以下のことを明らかにしました。
マウスに1日30分の走行トレーニングを1か月行ったところ、同じ強さ・同じ時間のトレーニングをしたにもかかわらず、セレノプロテインP欠損マウスでは正常マウスと比べて、運動限界能力が約2倍に上昇することを見い出しました(図2)。
同様に、1か月の走行トレーニング後に、血糖低下ホルモンであるインスリンの注射を行ったところ、セレノプロテインP欠損マウスでは正常マウスと比べて、インスリンによる血糖低下作用が大きくなることが分かりました(図3)。
正常マウスにセレノプロテインPを投与すると、運動後の筋肉において、運動のさまざまな効果を担うとされるAMPK注5)リン酸化が低下することが分かりました。また、セレノプロテインPの筋肉での受容体であるLRP1を持たないマウスでは、セレノプロテインPを投与しても筋肉に取り込まれず、運動によるAMPKリン酸化は影響を受けないことが分かりました(図4)。
運動習慣がまったくない健常者女性31人に、有酸素運動トレーニングを8週間行ってもらい、有酸素運動能力のマーカーとして最大酸素摂取量を測定しました。トレーニングの前後で、全体では最大酸素摂取量は高まりましたが、トレーニングをしてもあまり最大酸素摂取量が増加しない被験者がいました。そのような被験者では、トレーニング前の血液中のセレノプロテインP濃度が高いことが分かりました(図5、図6)。
以上の結果から、セレノプロテインPは、受容体LRP1を通じて筋肉に作用することで、運動したとしてもその効果が無効になるという「運動抵抗性」を起こしていることが明らかとなりました(図7)。
<研究成果の意義・今後の展開>
セレノプロテインPの血中濃度は、2型糖尿病や脂肪肝の患者、高齢者で上昇していることが報告されています。このような方たちは、セレノプロテインPが過剰にあるため、運動を行ったにもかかわらず、その効果が起こらないという病態が身体の中で生じている可能性があります。
今後、セレノプロテインPの肝臓での産生を抑える薬や、筋肉での受容体であるLRP1に拮抗する薬を探すことで、運動の効果を高める「運動効果増強薬」の開発につながることが期待されます。
また、血液中のセレノプロテインP濃度を測ることで、運動の効果の出やすい方、もしくは出にくい方を事前に予測できるようになる可能性もあります。
<参考図>
図1 肝臓由来ホルモンである“ヘパトカイン”の異常分泌が生活習慣病をつくる
肝臓から血液へと流れ出た“ヘパトカイン”が、全身を巡ってさまざまな病気の原因となる。
図2 セレノプロテインP欠損マウスではトレーニングによる運動限界能力向上効果が倍増する
図3 セレノプロテインP欠損マウスではトレーニング後にインスリンの効きが良くなる
*P < 0.05, **P < 0.01 vs.正常マウス
図4 セレノプロテインP投与は運動による筋肉でのAMPKリン酸化を抑制する
図5 運動トレーニングはヒトの有酸素運動能力(最大酸素摂取量)を増加させる
図6 トレーニング前の血漿セレノプロテインP濃度と運動トレーニングの効果の関係
トレーニング前の血漿セレノプロテインP濃度は、トレーニングによる最大酸素摂取量の増加量と負に相関していました(左図)。また、トレーニングで酸素摂取量が増加しなかった被験者では、よく増加した被験者と比べて、トレーニング前の血漿セレノプロテインP濃度は高値でした(右図)。
**P < 0.01
図7 肝臓から分泌されたヘパトカインであるセレノプロテインPは、
筋において受容体LRP1を介して作用し、運動抵抗性を誘導する
2型糖尿病や脂肪肝の患者の一部では、過剰に産生されたセレノプロテインPが受容体LRP1を通じて筋肉で作用します。筋に取り込まれたセレノプロテインPは、GPX1やSeWなどの抗酸化タンパクを誘導します。その結果、運動で生じる活性酸素の量が抑えられてしまうため、運動したとしてもその健康増進効果がでない病態“運動抵抗性”に陥ります。
<用語解説>
- 注1) ヘパトカイン
- 肝臓から分泌されるホルモンで、血液を介して全身でさまざまな作用を発揮するものを総称してヘパトカインと呼びます。
-
研究グループは2010年に、2型糖尿病において増加し、高血糖の原因となる肝臓由来の液性因子としてセレノプロテインPを同定し、このような肝臓由来ホルモンをヘパトカインと総称することを提唱しました。
- 注2) 運動抵抗性
- 運動はさまざまな健康増進効果を発揮しますが、運動の効果に個人差があることは古くから知られていました。今回の研究で、ヘパトカインのひとつであるセレノプロテインPの血中濃度が高いヒトでは運動をしてもその効果があらわれにくいことを見い出し、このような病態を「運動抵抗性」と呼ぶことを提唱しています。
- 注3) セレノプロテインP
- セレノプロテインPは、主に肝臓からつくられる分泌タンパク質です。必須微量元素であるセレン(Se)を多く含んでおり、セレンを肝臓から全身へと輸送するホルモンであると考えられていました。
-
しかし、2010年、研究グループははじめて、2型糖尿病の患者さんで血液中のセレノプロテインPが増えていることと、セレノプロテインPが血糖値を上昇させるホルモンであることを明らかにしました。最近では、脂肪肝の患者さんや高齢者でもセレノプロテインPの血中濃度が高いことが報告されています。
- 注4) LRP1
- LRP1はLow density lipoprotein receptor-related protein 1の略で、細胞膜に存在するタンパクです。コレステロール、血液凝固因子など、多くのリガンドの細胞内への取り込みやシグナル伝達を担う受容体であることが報告されてきました。
-
しかし、LRP1が運動の効果やセレノプロテインPの取り込みに関連することはこれまで知られていませんでした。
- 注5) AMPK
- AMPKはAMP-activated protein kinaseの略で、細胞内に存在する酵素のひとつです。運動したときに筋細胞内のAMPKはリン酸化を受けて活性化することが知られています。筋肉でのAMPKの活性化は、ミトコンドリアの増加や糖の取り込みの増加、インスリン感受性の増加など、さまざまな有益な効果をもたらすことが報告されています。
<論文情報>
タイトル |
“Deficiency of the hepatokine selenoprotein P increases responsiveness to exercise in mice through upregulation of ROS and AMPK in muscle.”
(ヘパトカインセレノプロテインPの欠乏は筋で活性酸素・AMPKを上方制御することによりマウスの運動反応性を増加させる) |
著者名 |
Hirofumi Misu、Hiroaki Takayama、Yoshiro Saito、 Yuichiro Mita、 Akihiro Kikuchi、Kiyo-aki Ishii、Keita Chikamoto、Takehiro Kanamori、Natsumi Tajima、 Fei Lan、 Yumie Takeshita、Masao Honda、Mutsumi Tanaka、Seiji Kato、Naoto Matsuyama、Yuya Yoshioka、Kaito Iwayama、Kumpei Tokuyama、 Nobuhiko Akazawa、Seiji Maeda、Kazuhiro Takekoshi、Seiichi Matsugo、 Noriko Noguchi、Shuichi Kaneko、and Toshinari Takamura |
掲載誌 |
Nature Medicine |
doi |
10.1038/nm.4295 |
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金沢大学 医薬保健研究域医学系 内分泌・代謝内科学 教授
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金沢大学 医薬保健研究域医学系 内分泌・代謝内科学 准教授
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