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平成28年10月11日

科学技術振興機構(JST)
慶應義塾大学

銅を酸化させると白金を超える性能を発揮

~レアメタルを使わないスピントロニクスデバイスの開発が可能に~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業の一環として、慶應義塾大学 理工学部の安藤 和也 准教授らは、ありふれた金属の酸化というこれまでの常識を覆すアプローチにより、スピントロニクスデバイスの性能を飛躍的に向上させることに成功しました。

電子デバイスを高速化・低消費電力化する次世代電子技術「スピントロニクス」では、磁性体(磁石)の磁化(N極/S極)をいかに高速に制御するかが鍵となります。最近では、磁化を制御するために、デバイス内のスピン軌道相互作用注1)を利用した手法が注目されています。この作用で生まれるトルク(スピン軌道トルク注2))を利用すると、従来の10倍以上の高速で磁化を制御することが可能です。しかし、これまでは白金やパラジウムといったレアメタルの使用が必要不可欠と考えられており、元素戦略注3)上の大きな問題となっていました。

今回、本研究グループは、古くから広く産業で用いられてきた銅を自然酸化させるだけで、最も高性能なスピントロニクス材料の1つである白金に優るスピン軌道トルクを生み出せることを明らかにしました。

この発見により、レアメタルを使わずにスピントロニクスデバイスを実現する道が初めて開けました。これまで注目されてこなかった金属の酸化によって生まれるスピントロニクス現象の基盤研究が進み、超高速・低消費電力のデバイスの開発、およびそれを用いた情報化社会の実現への道が開けることが期待されます。

本研究成果は、2016年10月11日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「素材・デバイス・システム融合による革新的ナノエレクトロニクスの創成」
(研究総括:桜井 貴康 東京大学 教授)
研究課題 スピンホールエンジニアリングによる省エネルギーナノ電子デバイスの創出
研究者 安藤 和也(慶應義塾大学 理工学部 准教授)
研究実施場所 慶應義塾大学
研究期間 平成25年10月~平成29年3月

JSTはこの領域で、材料・電子デバイス・システム最適化の研究を連携・融合することにより、情報処理エネルギー効率の劇的な向上や新機能の実現を可能にする研究開発を進め、真に実用化しイノベーションにつなげる道筋を示していくことを目指しています。上記研究課題では、既存デバイス原理の延長線上にはない省エネルギー「スピンホールデバイス」の実現を目指しています。

<研究の背景と経緯>

現在、スマートフォンやパソコンに搭載されているメモリは、電荷により情報を記録しています。しかし時間とともに放電してしまうため、記録状態を保つために常に電力を与え続ける必要があります。次世代の超省エネルギーデバイスとして近年注目されているのが、記録保持に電力を使わない磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)です。MRAMは情報の記録に磁石の性質(N極/S極の向き)を用いるため、記録情報の保持に電力を必要としません(不揮発性)。特に、磁気トンネル接合素子注4)をベースとするSTT-MRAM(スピン注入磁化反転型磁気メモリ)は、不揮発性・高速性・高い書き換え耐性といった性能を兼ね備えており、期待されています。

最近になり、STT-MRAMの新たな情報書き込み手法として、スピン軌道相互作用に由来するトルク(スピン軌道トルク)を用いる方法が注目され、活発に研究され始めました。これを用いることで磁性体内の磁化を効率的に制御でき、既存原理と比べて10倍以上の高速化が可能になります。しかし、スピン軌道相互作用は原子核ポテンシャル注5)の大きな物質ほど強いため、このトルクを作り出すためには、白金などの原子番号の大きな物質が必要と考えられてきました。一般にこのような物質はレアメタルであり、日本ではこれらの資源は乏しく輸入に頼っているため、安定供給は困難です。そこで、スピントロニクスの産業化には、安価で供給量の安定した物質をベースとした素子設計が求められていました。近年では、スピン軌道トルクによる磁化制御のメカニズム解明と、効率的生成を可能とする物質設計に関する研究がスピントロニクスの最重要課題の1つとなっています。

<研究の内容>

今回の研究では、古くから広く産業で用いられ、世の中にありふれた金属である銅のスピン軌道トルクの生成効率が、自然酸化により2桁以上も増大することを見いだし、最も性能の高い材料の1つである白金に優る性能を示すことを明らかにしました。

本研究では、強磁性体であるパーマロイ(鉄とニッケルの合金)と銅で構成されるナノ薄膜を用いました(図1)。スピントルク強磁性共鳴という現象を用いて、この試料中の銅に流れる電流によって生成されるスピン軌道トルクを精密に測定しました。この現象は、強磁性体を含む素子においてスピン軌道トルクにより生じる磁気共鳴現象であり、今回の実験ではGHz(ギガヘルツ)の高周波電流を流しながら外部磁場の大きさを変え、試料に生じる直流電圧を測定しました。共鳴時には、磁化の運動と高周波電流の整流効果注6)により直流電圧が現れ、この直流電圧の形状を解析することで、スピン軌道トルクの大きさを見積もることができます(図2)。

自然酸化を防ぐために銅の表面をキャップ層で保護した試料では、銅に流れた電流によるスピン軌道トルクの生成効率は0.1パーセント以下と非常に小さいものでした(図2a)。しかし、表面のキャップ層を薄くし、銅が少し自然酸化するように制御したところ、生成効率が増大しました(図2b)。さらに、キャップ層をなくし自然酸化層を生じさせたところ、巨大なスピン軌道トルクが観測され、その生成効率は10パーセントを超えました(図2c)。これは、白金(生成効率約10パーセント)などのレアメタルスピントロニクス材料を上回る効率です。自然酸化は表面から進行するため、自然酸化した銅は酸化した銅層と酸化していない銅層の2層で構成されていると見なせます。そこで比較のため、自然酸化ではなく銅の成膜時に酸素を導入した試料について同様の実験を行いました。この方法により銅全体を一様に酸化させることができ、酸化銅と銅の2層からなる構造を人工的に作成できます。この比較実験から、自然酸化により現れたスピン軌道トルクは、酸化した銅層と銅の界面ではなく、自然酸化した銅内部の電子輸送の変化に起因することが明らかになりました。

<今後の展開>

これまでは、スピン軌道トルクの生成には白金などの原子番号の大きな物質が必須であるというのが常識であり、広く産業で用いられている銅のような物質はほとんど注目されていませんでした。今回の発見はこのような常識を覆すものです。ありふれた材料を酸化するというシンプルかつ新たなアプローチによって、これまで脚光を浴びてこなかった物質のスピントロニクス応用への道を開き、材料の選択の幅を大きく広げました。さらに酸化の度合を増していくと、これまで使用されてきた白金を上回る効果が見られることも分かりました。

今後の研究によってさらなる原理の解明や新機能の発現が期待されます。また、近年では磁性材料、電子材料、構造材料、触媒などのさまざまなフィールドで、安定供給の難しいレアメタルに頼らない材料開発が求められています。今回の研究で用いたアプローチはこのような他のフィールドにも応用可能であり、新しい材料開発への可能性を秘めています。今後、スピン軌道トルク増大の機構解明と酸化に注目した物質探索により、レアメタルを使わないスピントロニクスデバイスの実現へとつながることが期待されます。

<参考図>

図1 スピン軌道トルクの測定試料

スピン軌道トルクを測定するための試料の模式図。試料は磁性体であるパーマロイに銅を接合したもので、この試料にGHzの高周波電流を流し、外部磁場の大きさを変えながら試料に生じる直流電圧を測定しました。高周波電流がスピン軌道トルクを生み出すと、磁化が運動を始めます。磁化の運動と高周波電流の整流効果により直流電圧が現れ、この直流電圧のスペクトル形状を解析することで、スピン軌道トルクの大きさを見積もることができます。青い丸は銅層を流れる伝導電子を表しており、スピン軌道相互作用により上向き電子と下向き電子は逆方向に散乱されます。

図2 スピン軌道トルクの測定結果

自然酸化を防ぐために表面を保護した銅(図a)、自然酸化を制御するためにキャップ層を薄くした銅(図b)、自然酸化した銅(図c)についてスピントルク強磁性共鳴を測定した結果です。1段目の図は3つの試料の模式図、2段目の図がスピントルク強磁性共鳴の測定結果です。銅が自然酸化していくとスペクトル形状が変化します。3段目の図は、スペクトル形状から求めたスピン軌道トルクの生成効率です。表面を保護し、自然酸化を防いだ銅(図a)ではスピン軌道トルクの生成効率は0.1パーセント以下と非常に小さいですが、銅表面の層を薄くし、銅が少し自然酸化すると(図b)、生成効率が5パーセント程度まで大きくなることが分かります。さらに自然酸化させた銅(図c)では、生成効率が10パーセント以上にまで増大します。

<用語解説>

注1) スピン軌道相互作用
電子が持つスピンと軌道角運動量との相互作用。この相互作用により、物質中の電子の輸送がスピン状態に依存し、さまざまな現象が現れる。
注2) スピン軌道トルク
物質に電流を流した時に作られる磁化に加わるトルクで、スピン軌道相互作用により電子の輸送がスピン状態に依存することに由来する。
注3) 元素戦略
資源の枯渇が危惧されている希少元素を、ありふれた元素により置き換える、あるいは使用量を減少させつつ、高い機能を持った物質・材料を開発することを目指す科学技術戦略。
注4) 磁気トンネル接合素子
磁性体/絶縁体/磁性体からなる素子で、この素子に電圧を加えると量子力学的トンネル効果によりトンネル電流が流れ、磁化を制御するためのトルクが生まれる。
注5) 原子核ポテンシャル
原子核の電荷が周囲に作るポテンシャル。物質中の電子はこのポテンシャルを感じながら運動している。
注6) 整流効果
交流が直流に変換される現象。電圧=抵抗×電流と表されるため、抵抗が一定の素子に交流電流が流れても直流電圧は現れませんが、抵抗が電流と同じ周波数で振動していると、直流電圧が現れます。

<論文情報>

Spin-torque generator engineered by natural oxidation of Cu
(銅の自然酸化によって設計されたスピントルク生成源)
doi :10.1038/ncomms13069

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

安藤 和也(アンドウ カズヤ)
慶應義塾大学 理工学部 准教授
〒223-8522 神奈川県横浜市港北区日吉3丁目14−1
Tel:045-566-1582
E-mail:

<JST事業に関すること>

鈴木 ソフィア沙織(スズキ ソフィアサオリ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2067
E-mail:

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail:

(英文)“Cu becomes an essential material for spintronics through oxidation