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平成28年8月19日

東京女子医科大学
東京大学
科学技術振興機構(JST)

成熟した神経回路を維持する仕組みを解明

~自閉症の病態解明に期待~

ポイント

本研究は、東京女子医科大学 医学部 生理学(第一)講座の鳴島(行本) 円 准講師、宮田 麻理子 教授・講座主任、東京大学 大学院医学系研究科 機能生物学専攻 生理学講座 神経生理学分野 狩野 方伸 教授らの研究グループによって行われました。また、本研究成果は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の研究課題「末梢神経損傷によって誘導される上位中枢神経回路の改編と動作原理」(宮田 麻理子)の一環で得られました。

<研究の背景と経緯>

「三つ子の魂百まで」といわれるように、脳は個々の経験や生育環境に応じて発達し、成熟した神経回路が固定され、さらに維持されることで、子供のころに獲得した性質が大人になっても残ると考えられています。脳の神経細胞レベルの研究からも、子供の脳では発達初期に過剰な神経回路が形成され、その後、生育環境によって必要なものは残り、不必要なものは刈り込まれて精密な神経回路へ成熟することが知られています。一方、いったん成熟した神経回路は柔軟性に乏しく容易に変化しないものと考えられていましたが、ごく最近になって、一度成熟した神経回路がその後も正しく維持されるためには、生育環境からの持続的な経験が必要であることが少しずつ明らかになってきました。たとえば、視覚をつかさどる神経回路がいったん成熟した後、視覚情報を遮断すると、成熟した回路を維持することができなくなり、完成した神経回路が退縮し、余分な神経回路が作られて正確さが失われ、まるで子供の未熟な神経回路のように変化することが知られています(退行、図1図2)。

このような退行現象は、発達障害疾患の一種であるレット症候群注1)のモデルマウスで報告されており、レット症候群に特徴的な病態である、発達の初期に正常に獲得された脳の機能が成長してから失われていくこととよく合致しています。また、自閉症においては、神経同士の情報を受け渡す場所であるシナプスが安定的に維持されないことが報告されており、正常な回路の維持はこれらの疾患にも深く関連があることが示唆されていました。

しかし、どのような仕組みで生育環境によって神経回路が維持されているのかは謎につつまれていました。

<研究の内容>

本研究グループは視覚をつかさどる脳の領域(視覚視床、図1)で、生育環境から受ける刺激によって成熟した神経回路が維持される仕組みを解明しました。

今回の研究では、代謝型グルタミン酸受容体1型(mGluR1)というたんぱく質に着目しました。mGluR1は神経伝達物質のひとつであるグルタミン酸により活性化される分子で、細胞の外からの情報を細胞の内部に伝える役割を持ち、大人の視覚視床で特に多く発現しています。大人になったマウスが開眼し眼からの光刺激を受けてから、視覚視床のmGluR1が急激に増加することを発見しました。そこで、視覚視床の神経細胞から電気的な活動を記録するパッチクランプ法と、電子顕微鏡を用いた神経回路の微小な構造の観察によって、神経回路の性質を詳しく解析しました。

ウィルスの細胞への感染力を利用して、視覚視床で神経回路の成熟後にmGluR1を失くす操作(RNA干渉法によるmGluR1遺伝子のノックダウン)注2)を行うと、暗闇で飼育したときと同様に、完成した正常な神経回路を維持する仕組みが破たんしてしまいました。正常な神経回路は退縮し、余計な神経回路が異常に形成され、開眼前の子供のころのように退行してしまいました(図2)。

逆に、暗闇での飼育中に薬剤によりmGluR1を活性化させると、視覚情報の遮断によって起こる異常な神経回路の形成を防ぎ、正常な神経回路を維持することに成功しました。

このように、mGluR1を失くしたときに正常な神経回路を維持する仕組みが破たんするだけでなく、たとえ生育環境を変化させても、mGluR1を活性化することにより、神経回路の退行現象を防ぐことができるとわかりました(図3)。つまり、mGluR1は成熟後に生育環境によって神経回路を維持する仕組みに必要不可欠なたんぱく質であることを証明することができました。

これまで、いったん成熟し完成した神経回路は変化することが少ないと考えられていたため、生育環境によって正常な神経回路が維持される仕組みについて報告した研究は、まだほとんどありません。しかし、近年の研究技術の進歩と精神疾患が起こる仕組みを明らかにする研究成果から、脳で正常に完成された神経回路を積極的に維持したり、変化させたりする仕組みの存在が認知され、幅広い研究が行われるようになってきました。本研究成果はそのさきがけとなるものです。

一方、レット症候群の原因となるたんぱく質としてMeCP2注3)が知られています。しかしながらMeCP2は、それ自体が非常に幅広い機能を持つため、神経回路を維持する仕組みに絞って研究を進めることが難しい状況でした。本研究では、mGluR1が神経回路の成熟後に増加する視覚視床に着目し、成熟後の時期や脳の特定の領域に絞って、mGluR1を操作する手法を用いたことで、神経回路の維持の仕組みにmGluR1が必要不可欠であること証明することができました。

<今後の展開>

視覚をつかさどる脳の領域の神経回路が幼児期の視覚経験によって柔軟に変化する(可塑性を持つ)ことは、動物を用いた研究で明らかになり、その後ヒトでも証明され、近年ではヒトの幼児に対する眼帯の使用が避けられることにつながるなど、視覚回路の発達の研究は眼科、脳神経領域に大きな貢献をもたらしました。ごく最近では、大人になっても眼帯などで長期に視覚刺激を遮断すると、その後視力が低下する(弱視)ことも報告され、視覚の可塑性は決して幼児期だけではなく大人にも存在することもわかりつつあります。しかし、どのような仕組みでこのような可塑的変化が起きるのかはよくわかっていませんでした。本研究で明らかにした、視覚経験による神経回路の維持の仕組みはこのようなヒトの視力障害の基盤となる可能性があります。

また、レット症候群など発達障害のモデル動物の研究から、mGluR1を失くしたときと同様に、いったん成熟した正常な視覚神経回路が維持期をさかいに退行していくことが報告されていることから、レット症候群の原因たんぱく質であるMeCP2がmGluR1に何らかの影響を与えている可能性があります。今後、MeCP2とmGluR1の関係を明らかにすることで、レット症候群の特徴的な症状の原因のひとつである、神経回路の退行現象を解明したいと考えています。

さらに、mGluR1と同じ仲間であるmGluR5は大脳皮質に広く存在しており、自閉症に関与しているといわれていますが、神経回路の維持への役割はまだ十分にわかっていません。今後は、このような類似した分子が神経回路の維持に果たす普遍的な役割を明らかにし、脳の機能にとってどのような意義を持つかを解明することで、精神疾患や脳機能障害の病態理解につなげたいと考えています。

<参考図>

図1 マウスの視覚をつかさどる神経回路の模式図

眼の網膜から生じた視神経は、脳に明るさや色・物体の動きなどの視覚情報を伝える働きをしています。左右両方の眼から生じた視神経は、脳に入ると、視交差という部分で交差したのち、脳の左右の半球に一対ある視覚視床に至ります。視神経線維の終末部分は、視覚視床の神経細胞とシナプス結合を作っています。視覚視床の神経細胞は、網膜からの明るさ・色・物体の動きなどの情報を大脳皮質に伝える働きをしています。本研究では、この視神経線維と視覚視床のシナプス結合の性質を調べました。

図2 マウス視覚系の神経回路の発達過程

マウスは眼が閉じた状態で生まれ、生後14日頃に開眼します。眼が開く以前の視覚視床の神経細胞は、10本以上の視神経線維とシナプス結合しています。眼が開いてから約1週間で、余分なシナプスが刈り込まれ、必要なシナプスだけが残り、成熟した神経回路が完成します。これまでの研究から、シナプスの刈り込みが完了した生後20日以降から、マウスを暗闇で飼育して視覚情報を遮断すると、シナプスの数が再び増加し、神経回路が開眼前の未熟なときのように退行してしまうことが知られていました。つまり、視覚情報が正常なときは、神経回路を成熟した形に維持する機構が存在すると考えられていましたが、その仕組みはわかっていませんでした。

図3 本研究の成果

本研究により、成熟した神経回路を視覚情報によって正常に保つ仕組みが明らかになりました。本研究グループが注目したmGluR1というたんぱく質は、視覚視床で開眼後から神経回路が成熟するまでの間に急激に増加していました。神経回路の成熟後に視覚視床のmGluR1を失くす操作を行うと、余分なシナプスが新たに形成され、神経回路が未熟な状態に退行してしまいました。逆に、マウスを暗闇で飼育し、視覚情報を遮断しているときに、薬物によりmGluR1を活性化すると、神経回路を正常な状態に保つことができました。つまり、視覚視床のmGluR1が、視覚情報に依存して神経回路を維持する仕組みに必要不可欠なたんぱく質であることが明らかになりました。

<用語解説>

注1) レット症候群
主に女児に発症する遺伝性・進行性の発達障害病です。この病気の患者の80%はMeCP2というたんぱく質の遺伝子に障害があることで発症することがわかっています。自閉症状に加えて知能、運動能力の遅れがあり、手をもむような行動を繰り返す症状がでます。とりわけ特徴的なのは、出生時と生後6か月~1年6か月までの発達は正常で、それ以降に発症することです。発症すると、発達初期に獲得された神経・運動機能が徐々に失われていく、いわゆる『退行』現象がみられます。MeCP2単一の遺伝子により自閉症を起こすため、自閉症解明の手がかりとして多くの研究者が興味を持って研究しています。
注2) ウィルスの細胞への感染力を利用して、視覚視床で神経回路の成熟後にmGluR1を失くす操作(RNA干渉法によるmGluR1遺伝子のノックダウン)
ウィルスは細胞が遺伝子を翻訳してたんぱく質を作る仕組みを利用して、感染した細胞にウィルス自身の遺伝子を翻訳させ、ウィルスの増殖に必要なたんぱく質を作らせることができます。この仕組みを利用して、ウィルスに外来の遺伝子を組み込むことで、感染した細胞に本来は持っていないたんぱく質を強制的に作らせたり、特定のたんぱく質の生成だけを阻害する物質を作らせたりすることができます。本研究グループの研究では、mGluR1の生成を阻害する物質(マイクロRNA)を作らせる遺伝子を組み込んだウィルスを視覚視床の神経細胞に感染させ、神経回路が成熟した後の視覚視床の神経細胞でのみ、mGluR1ができなくなるような操作を行いました。
注3) MeCP2
メチル化CpG結合たんぱく質2(Methyl CpG binding protein 2)の略称です。レット症候群の患者の約80%は、このたんぱく質に異常があることが知られています。近年の研究から、MeCP2は数千種類以上の遺伝子を抑制または活性化して、様々なたんぱく質の量を調節する役割を持つことが明らかになり、正常な細胞の機能に重要であると考えられています。

<論文情報>

タイトル The Metabotropic Glutamate Receptor Subtype 1 Mediates Experience-Dependent Maintenance of Mature Synaptic Connectivity in the Visual Thalamus
掲載誌 Neuron(8月18日 アメリカ東部標準時間 オンライン版公開)
doi 10.1016/j.neuron.2016.07.035

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

宮田 麻理子(ミヤタ マリコ)
東京女子医科大学 医学部 生理学(第一)講座 教授・講座主任
〒162-8666 東京都新宿区河田町8-1
Tel&Fax:03-5269-7413
E-mail:

狩野 方伸(カノウ マサノブ)
東京大学 大学院医学系研究科 機能生物学専攻 神経生理学分野 教授
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5802-3314、03-5841-3538 Fax:03-5802-3315
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<JST事業に関すること>

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
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<報道担当>

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