ポイント
- 長寿命で、がんになりにくい体質のハダカデバネズミからiPS細胞を作製することに初めて成功した。
- マウスやヒトのiPS細胞は、未分化な細胞が混入すると腫瘍(奇形腫)を形成する問題があるが、ハダカデバネズミのiPS細胞は未分化な状態で移植しても腫瘍を形成しなかった。
- ハダカデバネズミだけが持つ、初期化やがん化を二重に防ぐメカニズムを明らかにした。将来は、人間の健康長寿やがんの予防に役立つと期待される。
北海道大学 遺伝子病制御研究所の三浦 恭子 講師、慶應義塾大学 医学部 生理学教室の岡野 栄之 教授らの研究グループは、約30年の長寿命で、がんになりにくい体質の「ハダカデバネズミ注1)」からiPS細胞注2)を作製することに世界で初めて成功しました。
マウスやヒトなど他の動物のiPS細胞は、生体に移植する際に未分化な細胞が混入すると腫瘍(奇形腫注3))を形成する問題がありますが、ハダカデバネズミiPS細胞は未分化な状態で移植されても腫瘍を形成しませんでした。本研究グループは、ハダカデバネズミiPS細胞が、がん抑制遺伝子ARFの活性化と、がん遺伝子ERAS注4)の機能欠失によって腫瘍を形成しないことを明らかにしました。さらに、iPS細胞の作製過程に着目した解析から、ARFが不活性化された場合には、ハダカデバネズミ特有のがん化抑制メカニズムASIS(ARF suppression-induced senescence)により、細胞の増殖を止めて、iPS細胞化を防ぐことを見いだしました。また、マウスiPS細胞で、ARFを活性化させると、腫瘍形成が強く抑制されることが分かりました。この発見は今後、人間の健康長寿やがんの予防に役立つと期待されます。
本研究成果は、2016年5月10日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」オンライン版で公開される予定です。
なお、本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業※1、内閣府/日本学術振興会 最先端研究開発支援プログラム(FIRST)※2、文部科学省 科学研究費補助金、文部科学省 新学術領域研究の一環で実施されました。
※1) 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業(研究者 三浦 恭子)
※2) 内閣府/日本学術振興会 最先端研究開発支援プログラム「心を生み出す神経基盤の遺伝学的解析の戦略的展開」(中心研究者 岡野 栄之)
<研究の背景>
ハダカデバネズミ(図1)は、マウスと同等の約10センチメートルの大きさでありながら、生存期間がマウスの約10倍の約30年という長寿命のげっ歯類です。さらに、その長い生涯で極めて腫瘍ができにくいという、がん化耐性の特長を持っています。ハダカデバネズミの長寿やがん化耐性のメカニズムを解明することは、人間の健康長寿やがんの予防に役立つと期待されます。
体細胞を初期化することで作製されるiPS細胞は、未分化な状態で細胞移植治療に用いられることはなく、神経や心筋などに分化させた細胞が移植されます。iPS細胞の腫瘍化リスクには大きく2つの問題が存在します。分化させた細胞が移植された後にがん化する問題と、未分化な状態で生体に移植されると腫瘍(奇形腫)を形成する問題です。本研究では、後者の未分化な細胞が形成する腫瘍を対象としました。
正常な体細胞は、がん遺伝子の活性化やがん抑制遺伝子の不活性化の異常が起こると、腫瘍を形成するようになります。iPS細胞とがん細胞は、半永久的に増殖をする能力があるなど、様々な共通点があります。近年、体細胞からiPS細胞への初期化過程とがん化過程にも、共通したメカニズムが存在することが明らかになってきています。そこで、本研究では、ハダカデバネズミのようながん化耐性動物からiPS細胞を作製できるのか、また、作製できた場合にiPS細胞は腫瘍形成能(奇形腫形成能)注5)を持つのかを検証しました。
<研究成果>
ハダカデバネズミの皮膚から線維芽細胞注6)を作製し、マウスやヒトなど他の動物と同等の方法で、初期化に必要なOct4、Sox2、Klf4、cMycの4因子を遺伝子導入したところ、ハダカデバネズミiPS細胞の作製に成功しました(図2)。ハダカデバネズミiPS細胞は培養下での多分化能を持つにも関わらず、未分化な状態で生体に移植しても、他の動物のiPS細胞のように腫瘍を形成せず、腫瘍化耐性を持つことが判明しました(図3)。そこで、ハダカデバネズミiPS細胞の腫瘍化耐性メカニズムを解析しました。
腫瘍形成能を持つマウスやヒトのiPS細胞では、2つのがん抑制遺伝子INK4aとARF注7)の発現が強く抑制されています。しかし、ハダカデバネズミiPS細胞では、INK4aの発現は抑制されている一方で、ARFの発現は活性化状態が保たれていました。
次に、マウスES細胞の腫瘍形成能における重要因子、がん遺伝子ERASの配列を解析しました。その結果として、ハダカデバネズミのERASには他の動物では認められない4塩基の挿入が存在し、ERASタンパクの機能不全をもたらすフレームシフト変異注8)が生じていました。
ハダカデバネズミiPS細胞で、活性化しているARFを人工的に抑制し、機能不全のハダカデバネズミERASの代わりにマウスのERasを導入したところ、ハダカデバネズミiPS細胞は腫瘍形成能を獲得し、生体へ移植すると奇形腫を形成しました。さらに、マウスiPS細胞でハダカデバネズミと同様にArfを活性化させると、生体に移植した際の腫瘍形成能が強く抑制されることが明らかになりました(図4)。以上の結果から、ハダカデバネズミiPS細胞は、ARFの活性化とERASの機能欠失により腫瘍化耐性を持っていると考えられます(図5)。
初期化やがん化を誘導することは、正常な細胞にとってストレスとして働きます。ARFはこれらのストレスに応答して活性化し、細胞を初期化やがん化から守ります。このARFによる防御機構を突破した細胞が、iPS細胞やがん細胞になると考えられています。実際に、iPS細胞や多くのがん細胞ではARFが抑制または欠失しています。また、これまでの実験で、マウスiPS細胞の作製中にARFを抑制すると、マウス細胞の増殖速度は上昇し、より多くの細胞がiPS細胞になることが知られています。
本研究グループは、ハダカデバネズミでも同様に実験し、ストレスに対する応答性を検証しました。ハダカデバネズミ細胞に初期化因子を導入して初期化ストレスを与えたところ、マウスやヒトと同様にARFが活性化しました。次に、初期化ストレス下で活性化したARFを人工的に抑制したところ、マウスとは対照的に、ハダカデバネズミ細胞の増殖が止まり、iPS細胞が出現しなくなりました。解析の結果、ARFが抑制されたハダカデバネズミ細胞は、がん抑制機構の1つである「細胞老化注9)」の状態になることが分かりました(図6)。本研究グループはこの現象を「ASIS:ARF suppression-induced senescence(ARF抑制時細胞老化)」と命名しました。ハダカデバネズミでは、初期化ストレス下でARFが抑制されると、細胞老化によって細胞が増殖を停止するため、対照的に増殖する細胞であるARFの活性化した腫瘍化耐性iPS細胞が選択されたと考えられます。
次に、ASISが初期化過程のみならず、がん化過程でも生じるのかを検証しました。ハダカデバネズミ細胞にがん化ストレスとして、がん遺伝子cMYCの過剰発現や、細胞培養による増殖ストレスを加え、同時にARFを人工的に抑制した結果、がん化ストレス下でも、ASISが生じることが分かりました。
マウスやヒトなどの哺乳類の細胞では、初期化やがん化のストレスを受けると、防御機構としてARFが活性化されます。一方で、ハダカデバネズミでは、ARFの活性化だけでなく、ARFが抑制されてしまう状況でもASISが機能し、二重の防御機構で初期化やがん化を抑制すると考えられます。
<本研究による波及効果>
iPS細胞は、様々な細胞へと分化する多能性を持つことから、細胞移植治療への応用が期待されていますが、腫瘍形成能が細胞移植治療の障害の1つになっています。ハダカデバネズミiPS細胞に特有の腫瘍化耐性メカニズムを応用することにより、より安全なヒトiPS細胞の作製につながる可能性があります。
<今後への期待>
ハダカデバネズミに特有のがん化耐性メカニズムの1つとして、ASISを発見することができました。今後ASISの詳細なメカニズムを研究することによって、ハダカデバネズミの体の「がん化耐性」の仕組みが解明され、将来は人間にも応用できる新たながん化抑制方法の開発につながると期待されます。
<参考図>
図1 ハダカデバネズミ
北海道大学 遺伝子病制御研究所で飼育されているハダカデバネズミ
図2 ハダカデバネズミiPS細胞の作製
- (左) ハダカデバネズミ皮膚由来の線維芽細胞
- (右) 線維芽細胞を初期化して作製したハダカデバネズミiPS細胞
図3 ハダカデバネズミiPS細胞は腫瘍を形成しない
免疫不全マウスにハダカデバネズミiPS細胞を移植し、28週を経過観察しても腫瘍が認められなかった。対照群としてマウス・ヒトiPS細胞を移植した場合は腫瘍を形成した。
図4 ARF発現マウスiPS細胞は腫瘍形成能が減弱する
ハダカデバネズミiPS細胞から得られた知見をもとに、マウスiPS細胞にARFを発現させると、腫瘍形成能が減弱した。
図5 ハダカデバネズミiPS細胞の腫瘍化耐性メカニズム
ハダカデバネズミiPS細胞はARFの活性化とERASの機能欠失により腫瘍を形成しない。マウスiPS細胞にARFを発現させると腫瘍形成能が減弱する。
図6 ハダカデバネズミ特有の腫瘍化に対する防御機構(ASIS)
ハダカデバネズミ細胞は活性化していたARFが抑制されるとハダカデバネズミ特有の細胞老化を起こし、細胞増殖を停止する。
<用語解説>
- 注1) ハダカデバネズミ(Heterocephalus glaber, Naked Mole-Rat)
- アフリカ(ケニア、ソマリア、エチオピア)に生息する小型げっ歯類。長寿命で、がん化に対して耐性があることが報告され、研究対象として世界的に注目されている。長寿やがん化耐性の他にも、低酸素環境に対する耐性や低体温など、様々な生物学的に興味深い性質を持つ。
- 注2) iPS細胞(induced pluripotent stem cells)
- 体細胞にOct4、Sox2、Klf4、cMycなどの因子を発現させて初期化することにより作製される多能性幹細胞。
- 注3) 奇形腫
- 未分化なiPS細胞は免疫不全マウスに移植すると奇形腫と呼ばれる腫瘍を形成する。この腫瘍は様々な細胞に分化した組織を含むため、iPS細胞の分化能の検定に用いられる。
- 注4) ERAS
- マウスのES細胞のみに発現するがん遺伝子で、マウスES細胞の腫瘍形成能を活性化させる。
- 注5) 腫瘍形成能(奇形腫形成能)
- 本研究での定義は、免疫不全マウスなどの生体に移植した際に固形腫瘍を形成する能力のことである。
- 注6) 線維芽細胞
- 全身の結合組織を構成する細胞。本研究では皮膚の結合組織から作製した。
- 注7) INK4aとARF
- 代表的ながん抑制遺伝子の1つ。INK4aとARFは、同一の遺伝子座に存在し、全く異なるアミノ酸配列の2つのタンパク質が作られる。INK4aはマウスでは別名p16と呼ばれ、がん抑制遺伝子のRbを制御する。ARFはマウスではp19と呼ばれ、がん抑制遺伝子p53を制御する。これらの遺伝子の破綻は、がんの初期発生に重要である。
- 注8) フレームシフト変異
- 遺伝子変異の1つで、塩基の挿入により、アミノ酸変化時の読み枠がずれる。結果として異なるタンパク質が生じたり、途中で終止コドンが生じたりする。
- 注9) 細胞老化
- 体細胞にがん遺伝子を発現させた時などに生じるがん抑制機構の1つ。細胞は不可逆的に増殖を停止する。
<論文情報>
タイトル |
“Tumour resistance in induced pluripotent stem cells derived from naked mole-rats”
(ハダカデバネズミiPS細胞の腫瘍化耐性) |
著者名 |
宮脇 慎吾1,2、河村 佳見1、大岩 祐基1、清水 厚志3、八谷 剛士3、坊農 秀雅4、古家 育子2、岡田 洋平5、木村 徳宏6、土屋 喜洋7、鈴木 禎史2、大西 伸幸2、葛巻 直子7、松崎 有未8、成田 年7、池田 栄二6、岡ノ谷 一夫9、清野 研一郎1、佐谷 秀行2、岡野 栄之2、三浦 恭子1
(1.北海道大学 2.慶應義塾大学 3.岩手医科大学 4.ライフサイエンス統合データベースセンター 5.愛知医科大学 6.山口大学 7.星薬科大学 8.島根大学 9.東京大学)
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掲載誌 |
Nature Communications |
<お問い合わせ先>
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三浦 恭子(ミウラ キョウコ)
北海道大学 遺伝子病制御研究所 動物機能医科学研究室 講師
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