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平成28年3月1日

科学技術振興機構(JST)
東京大学 大学院工学系研究科
理化学研究所

異なる原子の光格子時計を短時間で比較することに成功

~周波数比の高速かつ超精密な測定は新しい物理への窓を開く~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業において、東京大学 大学院工学系研究科の香取 秀俊 教授(理化学研究所 主任研究員)、理化学研究所のNils Nemitz(ニルス・ネミッツ)国際特別研究員らの研究グループは、異なる原子を用いた光格子時計注1)を世界最高精度注2)かつ短い計測時間で比較することに成功しました。

光格子時計は、現状で最も精度よく時間を計測することを可能にする原子時計の一種であり、次世代の時計として世界中で高精度化を目指して開発が進められています。高い精度で時間を計測できていることを確認するには、同等以上の精度の2台の原子時計で比較することが必要ですが、従来は計測に数カ月もの時間がかかっていました。

本研究グループは、イッテルビウム原子とストロンチウム原子を「魔法波長注3)」で作られた光格子の中に捕獲・計測する光格子時計の手法を使って、計測時間を大幅に短縮して周波数を比較することに成功しました。この結果、国際単位系の1秒の実現精度をはるかに上回る5x10-17の不確かさで周波数比を決定し、これまでの異なる原子時計比較の精度の最高記録を更新しました。加えて、光格子時計の安定性をさらに向上させたことにより、これまでの最速計測時間より90倍も速い150秒で2台の時計の比較を実現しました。

このような異種原子時計の超高精度な比較は、物理定数の恒常性の検証を可能にし、素粒子の標準理論注4)を超える新しい物理の解明に役立つと期待されます。

本研究は、内閣府 最先端研究開発支援プログラムおよび文部科学省 先端光量子科学アライアンスにより一部支援を受けて行われました。

本研究成果は、2016年2月29日(英国時間)発行の英国科学誌「Nature Photonics」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)

研究プロジェクト 「香取創造時空間プロジェクト」
研究総括 香取 秀俊(東京大学 大学院工学系研究科 教授、理化学研究所 香取量子計測研究室 主任研究員)
研究期間 平成22年10月~平成28年3月

極低温原子操作、量子制御技術、最先端のレーザー制御技術の高度化により、セシウム原子時計の精度を陵駕する、新しい原理の原子時計「光格子時計」の実現を目的としています。

<研究の背景と経緯>

国際単位系での1秒は、現在、セシウム原子の9.2ギガヘルツのマイクロ波遷移に基づいて定義されています。このような定義は、装置によらず、いつ、どのような場所でも正確に再現できる「再現性」が重要です。

原子の遷移周波数を基準とする原子時計は、衛星測位技術、高速通信ネットワークのようなさまざまな現代技術をもたらしています。また、国際的な時間スケールである国際原子時(TAI)や協定世界時(UTC)は、3000万年に1秒以下(10-15)の誤差で使われています。

セシウム原子時計に比べて、振り子の振動数が約10万倍大きな光の振動を使うと、その振動数の分、高精度な原子時計を作ることができます。光の振動を使う原子時計のことを、特に「光時計」と呼びます。光時計は、光周波数コム注5)と呼ばれる光周波数のカウンターが発明された(2005年ノーベル物理学賞)ことで、実現可能な時計となり、この15年間で著しい進歩を遂げました。

光時計は、セシウム原子時計の性能を100倍以上も凌駕する10-18の不確かさに近づきつつあります。この結果、「秒」の再定義に向けた議論が始まっています。しかし、1秒を光時計で再定義する前に、まずは光時計の「再現性」が担保される必要があります。

現在、光時計の実現には大きく2つの手法があります。1つは、1989年ノーベル物理学賞受賞者のハンス・デーメルトによって提案された「単一イオン時計」で、もう1つは、2001年に香取 秀俊 教授(当時、准教授)が提案した「光格子時計」です。単一イオン時計は、1つの原子を観測し、精度を確定するために長時間の計測が必要です。一方、光格子時計は、「魔法波長」のレーザー光の定在波に多数個の原子を捕獲して観測することで、より短時間で、高精度に原子の振り子の振動数を決定できるという利点があります。

時計の再現性を確認するための1つの方法は、異なる原子を用いた時計の周波数比を測定して、その値がいつ、どのような場所で測定しても同じ値であることを示すことです。周波数比の再現性が確認できれば、時計の信頼性が担保され、「秒」の再定義に向けた議論が大きく前進します。異なる原子を用いた時計の周波数比の測定は、これまで単一イオン時計が5.2x10-17という最高精度を記録していました。一方、光格子時計では、これまでに2台の同種原子を用いた光格子時計の比較で2x10-18の精度での一致が確認されていますが、異なる原子を用いた光格子時計の周波数比の測定では、単一イオン時計で実現された精度に到達していませんでした。

<研究の内容>

2台の完全に同一な時計の比較による周波数差の測定は、あらかじめ答えが分かっている測定であり、その差はゼロになるはずです。一方で、異なる時計の比較は、一般に周波数の比で表され、その比は非自明な物理量を与えます。周波数比は、「秒」の定義の精度に依存せず、比較する時計の精度で決定されるもので、世界中の研究室で共有や比較ができます。

本研究では、異なる原子を用いた時計の周波数比を測定しました。測定のために新たなレーザーシステムを構築し、光格子時計でイッテルビウム原子を捕捉し、原子の振り子の振動数を測れるようにしました。なお、イッテルビウム光格子時計で周波数シフトを精密に評価することで、2009年に米国の標準研究所で実現されていたイッテルビウム光格子時計よりもさらに10倍の高精度化に成功しました(図1)。

イッテルビウム原子とストロンチウム原子の周波数を比較したところ、周波数比は1.207 507 039 343 337 749±0.000 000 000 000 000 055となり、不確かさは4.6x10-17となりました。現在、最も正確なセシウム原子時計でも10-16の不確かさでしか周波数を決定できないので、国際単位系による絶対周波数測定の限界を超えた高精度な比較を実現できたことになります。これまでの最高精度であった単一イオン時計の周波数比測定の不確かさ5.2x10-17と比較しても、それを上回る世界最高精度を達成したことになります(図2図3)。

原子時計の精度を上げるためには、ノイズを平均化するための多数回の測定が必要となります。しかし、光格子時計は多数の原子を捕獲することによって、この多数回の測定を一度に並行して行うことができます。このため、短い時間で高精度な時間を計測できるようになります。

また、ノイズを生じる他の要因として、原子を励起するレーザー光の周波数揺らぎがあります。この影響を取り除くために、「同期比較」という手法を用いました。この手法は、励起レーザー光の周波数揺らぎが比較する時計で共有されているときのみ、有効に働きます。今回のイッテルビウム原子(578ナノメートル)とストロンチウム原子(698ナノメートル)のような異なる共鳴周波数を持つ時計間でレーザー光の周波数揺らぎを共有することは、大きな挑戦でした。本研究グループでは、赤外のレーザー光源と光周波数コムを用いて、イッテルビウム原子の励起レーザーをストロンチウム原子の励起レーザーに対して制御することにより、これを実現しました。

その結果、今回の異原子光格子時計比較では、同期比較によって4倍の高速化を実現することができました。また、単一の水銀イオン時計とアルミニウムイオン時計の周波数比の測定との比較では、90倍の高速化が実現され、イッテルビウム光格子時計とストロンチウム光格子時計の周波数比の測定は、わずか150秒で5x10-17の不確かさに到達しました(図2)。

<今後の展開>

イッテルビウム光格子時計とストロンチウム光格子時計の周波数シフトの評価を改善することによって、将来的には、単一イオン時計では数カ月かかる1x10-18の精度を、光格子時計では2日以内の計測時間で実現できるようになります。このような時計比較は、次世代の時計としての信頼性を担保し、新しい「秒」の定義へ移行するための推進力となることが期待されます。

超精密な時計比較は、既存の手法では観測できない物理現象の探索を可能にします。例えば、宇宙の質量の大半を占めながら観測されていないダークマター(暗黒物質)は基礎物理定数を変化させる可能性が指摘されていますが、これらは異種原子時計の周波数比の変化として検証可能です。光格子時計の比較は、その突出した精度と安定度によって、新しい物理を切り拓く高感度な探索装置としても機能します。

<参考図>

図1 イッテルビウム/ストロンチウム周波数比測定の概要

イッテルビウムとストロンチウム光格子時計の励起レーザー周波数は、光周波数コムによって安定化します。さらに、励起レーザー周波数は、コンピューターシステムによって各原子の共鳴周波数に合うように制御します。熱輻射による周波数シフトを抑制するため、原子は-175度まで冷却された恒温槽中に輸送され、励起レーザーで時計遷移が観測されます。

図2 測定時間に対する統計不確かさの改善

150秒の平均化時間でイッテルビウム時計の不確かさで決まる限界まで到達します。さらに長時間平均化させることにより安定度は改善し、5,000秒の平均化により不確かさは5x10-18まで減少します。2台の独立した時計を独立した励起レーザーで励起した場合に推定される安定度が黒い線で示されています。同期比較によって、不確かさが半分になり、4倍の高速測定が可能であることが分かります。下の赤色の線は、理論上の安定度限界を示しています。

図3 イッテルビウム/ストロンチウム周波数比の測定結果

10回の測定結果は、橙色の領域で示される4.6x10-17の不確かさ内で一致しています。挿入図に示されているエラーバーのうち大きい方は、系統不確かさに相当し、小さい方は、1回の測定の統計不確かさを示しています。

左側の青線で示したデータは、従来の測定値を表しており、それぞれ、国際度量衡委員会の2013年の勧告値から求められた比(“CIPM 2013”)、米、仏の標準研究所の測定値の比(“NIST/SYRTE”)、日本の標準研究所である産業技術総合研究所が測定した比(“NMIJ ratio”)、理化学研究所で測定した以前の比(“RIKEN 2014”)を表しています。

図4 理研の光格子時計の実験室の様子

2つのレーザーでイッテルビウム原子を捕獲、冷却し、光格子時計を実現します。

図5 低温型イッテルビウム/ストロンチウム光格子時計

原子を捕獲、励起するための光は全て光ファイバーで光源から送られています。手前に見えるスターリング冷凍機で恒温槽を-175度まで冷却し、原子の共鳴を励起する際の熱輻射の影響を抑制します。

<用語解説>

注1) 光格子時計
2001年、東京大学 大学院工学系研究科 香取 秀俊 准教授(当時)が考案した次世代の原子時計。まず、「魔法波長」と呼ばれる特別な波長のレーザー光を干渉させて作った微小空間(光格子)に、レーザー冷却された原子を1つずつ捕獲し、原子同士の相互作用が起きないようにします。次に、これらの原子にレーザー光を当て、光を吸収する「原子の振り子」の振動数を精密に測定します。この光の振動を数えて、1秒の長さを決めます。光格子全体には多数の原子を捕獲できるので、それらの「原子の振り子」の振動数を一度に測定して平均をとることで、短時間で時間を決めることができます。
注2) 精度
時計の精度は、ある時間経過した後の時間のずれで評価します。例えば、月差10秒の腕時計なら、(10秒)/(ひと月はおよそ2,600,000秒)から計算される、およそ4×10-6が時計の精度です。これを指数の数字を取って、6桁の精度の時計といいます。本研究プロジェクトが目指している1×10-18精度は、1×1018秒(およそ300億年)の間測定するとやっと1秒ずれる精度です。このような時計の精度は、時計の振り子の振動数の精度で決まります。
注3) 魔法波長
原子にレーザー光を当てると、その光の強度に従って、原子のエネルギーが変化します。これを光シフトといいます。レーザー光の定在波(波長、振幅が等しい2つの対向する進行波が重なり合い、定在して振動する波動)によって、空間的にレーザー高強度が変化するとき、ある種の原子では光強度が極大となる定在波の腹の位置でエネルギーが極小となるために、その位置に捕獲されます。これは「光格子」と呼ばれます。光格子は、空間的に原子のエネルギーを変化させるので、原子時計には不向きと考えられていました。ところが、魔法波長と呼ばれる、特定の波長のレーザー光では、時計遷移の基底状態と励起状態のエネルギーを全く同じように変化させることができます。この結果、魔法波長で作った光格子の中では、光シフトが打ち消し合って、原子固有の遷移周波数を測定することができます。
注4) 標準理論
物質の最も基本的な構成要素とその運動法則を探求する物理学において、強い相互作用と弱い相互作用、電磁相互作用の3つの物理の基本的な相互作用を統一的に説明する理論のひとつですが、理論を確立するためには未解決の課題が残されています。例えば、宇宙の質量の1/4を占めながら観測されていないダークマター(暗黒物質)は、その粒子がまだ発見されていないため、ダークマターの正体を突き止めるには、標準理論の拡張が必要といわれています。
注5) 光周波数コム
広帯域のスペクトルを持つ超短パルスレーザー光源。等間隔のくし(コム)状のスペクトルを持ち、周波数軸上のものさしとして使われます。これまで周波数が高すぎて直接計測できなかった光の周波数が、光周波数コムとのうなり(ビート)を計ることによって計測できるようになり、光周波数を基準とする光時計が実用可能となりました。

<論文タイトル>

Frequency ratio of Yb and Sr clocks with 5×10−17 uncertainty at 150 seconds averaging time
(150秒の平均化時間でイッテルビウムとストロンチウム原子時計の振り子の振動数比を5x10-17の不確かさで測定)
doi :10.1038/nphoton.2016.20

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

香取 秀俊(カトリ ヒデトシ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7丁目3番1号 工学部6号館
Tel:03-5841-6845 Fax:03-5841-6859
E-mail:

<JST事業に関すること>

水田 寿雄(ミズタ ヒサオ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
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<報道担当>

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理化学研究所 広報室 報道担当
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(英文)“Accelerating comparisons of ytterbium and strontium optical lattice clocks: Swift, ultra-precise measurements of frequency ratios may open new windows for science