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平成27年11月17日

東京大学
理化学研究所
科学技術振興機構(JST)

電気的に制御したグラフェンでバレー流の生成、検出に初めて成功

~結晶中の電子のバレー自由度を利用した低消費電力エレクトロニクスの実現へ~

ポイント

電子には粒子としての性質と同時に波としての性質があります。一般に電子の波は様々な波長や方向を持ちます。一方、電子の波は一部の固体結晶中では、いくつかの特定の波長や方向が安定な状態となります。そして、電子はこの特定の波長や方向により区別されます。このように電子を区別することのできる結晶の性質をバレーと呼びます。電子は負の電荷を持つため、電子が一方向に流れると電流が発生します。従って、もし異なるバレーの電子が互いに逆向きに流れる(バレー流注1))状況を作り互いの電流を相殺し、これを検出できれば、正味の電流をゼロに保ったまま、バレー流による情報伝達が可能です。この情報伝達はエネルギー消費を伴わないものとなるため、バレー流を用いた低消費電力エレクトロニクスの実現が期待されています。

黒鉛単層のグラフェンは2つのバレーを持ち、バレー流を用いた低消費電力エレクトロニクスの材料に適しています。これまで、グラフェンの性質が接触基板に影響されることを利用して電流をバレー流に、また逆にバレー流を電流に変換できることがわかっていました。しかし、このような系での双方の変換効率は電子密度のみを通じて制御されるため、その制御性には限界がありました。そこで変換効率を広範囲に電気的に制御(※)できるグラフェンのデバイスが求められていました。

今回、東京大学 大学院工学系研究科の島崎 佑也 大学院生、山本 倫久 講師、樽茶 清悟 教授らの研究グループは、電気的に制御することのできる二層グラフェン(図1)において、バレー流の生成、検出に初めて成功しました。研究グループは電流をバレー流に変換し、電流の漏れ出し注2)を無視できる程度の距離を伝送させた後、バレー流を電流に変換して、これに伴う電圧を検出しました(図2)。

二層グラフェンを用いれば従来の単層グラフェンからなるデバイスとは異なり、電流からバレー流への変換効率の大きさを電気的により広範囲に制御(※)できることから、電流とバレー流の変換が原理的には室温でも可能となります。またバレー流を生成する際に流れる電流によるエネルギー消費についても、変換効率の向上により大幅に改善可能と考えられることから、二層グラフェンを用いることでバレー流を用いた低消費電力エレクトロニクスの実現が期待されます。

(※)変換効率はデバイスの特性を決める電子密度とエネルギーギャップ注3)の双方に影響される。今回の研究では電子密度に加えてエネルギーギャップを電気的に制御することで、変換効率をより大きい範囲にわたって変えられるようにした。エネルギーギャップを大きくすることで室温動作も期待できる。

<研究の内容>

電子は負の電荷に加えて自転方向に対応するスピン自由度を持っています。右回転の電子と左回転の電子の逆向きの流れであるスピン流は正味の電荷の流れを伴わず、理想的にはエネルギー消費のない情報媒体として注目を集めています。電流からスピン流への変換を可能とするスピンホール効果が2004年に発見され、スピンを情報媒体として利用するスピントロニクス分野に大きな進展をもたらしました。

固体結晶中の電子はスピン自由度に加えて異なる特性を持つ場合があります。電子は粒子として振る舞うと同時に、量子力学的な波としての性質も示します。一般に電子の波は様々な波長や方向を持ちますが、一部の固体結晶中では規則的に並んだ原子の影響を受けて、電子の波はいくつかの特定の波長や方向について安定な状態となります。この特定の波長や方向により結晶中の電子を区別することができ、この性質はバレーと呼ばれています。バレーは今日のエレクトロニクスを担う半導体シリコンをはじめとする様々な材料で存在しており、古くから知られている概念です。異なるバレーの電子の逆向きの流れであるバレー流は、スピン流と同様に電荷の流れを伴わず、理想的にはエネルギー消費のない情報媒体として期待されます。一方でスピン自由度と比較するとバレー自由度は制御が難しいという問題がありました。

次世代のエレクトロニクス材料として注目されている黒鉛単層の材料「グラフェン」が発見されたのも2004年のことです。グラフェン中の電子もバレー自由度を持つことが知られており、K、K’の2つのバレーがあります。同時に単層のグラフェン中の電子は相対論的量子力学に従うディラック電子注4)として知られており、幾何学的位相注5)を持っています。結晶の反転対称性注6)を破ると、エネルギーギャップと同時に幾何学的位相に伴う仮想的な磁場注7)が生じ、これを利用することで電流からバレー流への変換を可能とするバレーホール効果が実現できることが理論的に予言され、にわかに注目を集めています。

2014年グラフェンと同様に蜂の巣型格子注8)である二硫化モリブデン注9)において、このバレーホール効果の実験的な報告がなされました。一方でこの実験ではバレー偏極電流注10)に伴う電圧を検出しており、バレー流そのものの存在は確認されていませんでした。その後、バレー緩和の原因となる結晶欠陥の少ないグラフェンにおいて、バレー流の伝送に関する報告がなされました。単層グラフェン/六方晶窒化ホウ素の積層構造注11)を用いることで、バレーホール効果により電流をバレー流に変換し、一定距離伝送した後に逆効果によりバレー流を電流に変換し、これに伴う電圧を検出しています。一方でこの研究ではエネルギーギャップは制御できず、電子密度のみを電気的に制御していたために変換効率の制御性には限界がありました。そこで課題として、変換効率の向上のため、電子密度に加えてエネルギーギャップについても電気的に制御できる系での実現が求められていました。

東京大学 大学院工学系研究科の島崎 佑也 大学院生、山本 倫久 講師、樽茶 清悟 教授らの研究グループは、電気的に反転対称性を破った二層グラフェンにおいて、バレー流の生成、検出に初めて成功しました。単層グラフェンのままでは垂直電場により結晶の反転対称性を破ることはできませんが、二層にすることで上下の層にエネルギー差ができるため、結晶の反転対称性を破ることができます。二層グラフェンも単層グラフェンと同様に幾何学的位相を持つため、結晶の反転対称性を破ることでバレーホール効果を誘起することができます。さらにエネルギーギャップを垂直電場により制御することで、電流からバレー流への変換効率も広範囲に渡り制御することができます。研究グループはこの二層グラフェンの電場での制御性に着目し、研究を行いました。

研究グループは上下のペアの電極を用いることで二層グラフェンの電子密度を制御すると同時に、垂直電場を制御しました。この系においてバレーホール効果によりバレー流を電気的に生成し、電流の漏れ出しの寄与を無視できる3.5マイクロメートルの長距離にわたり伝送した後に逆バレーホール効果によりバレー流を電圧に変換することで検出しました。検出した電圧と注入した電流の比を非局所抵抗として、バレー流の伝送の指標として評価しました。研究グループは垂直電場により反転対称性を破った際に巨大な非局所抵抗が出現することを発見しました。バレー流を介した輸送である場合、非局所抵抗は抵抗率の3乗に比例することが予想されます。温度70ケルビン(約-203℃)において垂直電場により抵抗率を変調注12)した際にこの3乗の関係が実際に観測され、非局所抵抗がバレー流を介した輸送に起因することを実証しました(図3)。

今回はゲート絶縁層注13)を破壊しない程度の大きさに垂直電場を制限したため、室温での動作は実証できていませんが、加える垂直電場を増大すれば変換効率はさらに向上し、原理的には室温での動作が可能です。またバレー流を生成する際に流れる電流によるエネルギー消費についても、変換効率の向上により改善できると考えられ、二層グラフェンを用いることでバレー流を用いた低消費電力エレクトロニクスの実現が期待されます。

本研究は、理化学研究所 創発物性科学研究センター、物質・材料研究機構 先端的共通技術部門 先端材料プロセスユニット 超高圧グループ 谷口 尚 グループリーダー、同機構 環境・エネルギー材料部門 光・電子材料ユニット 光・電子機能グループ 渡邊 賢司 主席研究員との共同研究で行われました。また、文部科学省 科学研究費補助金(新学術領域研究)「原子層科学」(領域代表者:東北大学 大学院理学系研究科 齋藤 理一郎 教授)、キヤノン財団(研究助成プログラム「産業基盤の創生」)「グラフェンバレートロニクスデバイスの創製」、科学技術振興機構 国際科学技術共同研究推進事業(戦略的国際共同研究プログラム) 日独共同研究「ナノエレクトロニクス」、東京大学「ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構」などの研究の一環として行われました。

<参考図>

図1 電場で制御された二層グラフェンと制御機構の模式図

  • 左図:制御機構の模式図。トップゲート(金:Au)とバックゲート(ケイ素:Si)に加える電圧を制御することで、垂直電場と電子密度を独立に制御できる。良質なデバイスを実現するため、清浄な絶縁体である六方晶窒化ホウ素(h-BN)を絶縁層として用いている。
  • 右図:電場により制御された二層グラフェンの模式図。電場を加える上層と下層のグラフェンのエネルギーに差ができ、結晶の反転対称性が破れている。

図2 バレー流の伝送の模式図

二層グラフェンの反転対称性を破るため、垂直電場を加えている。図中の左側の領域でバレーホール効果により電流からバレー流へと変換する。生成されたバレー流は試料中を伝送し、右側の領域で逆バレーホール効果により再度電流に変換され電圧として検出される。検出された電圧と注入した電流の比を非局所抵抗として評価している。

図3 非局所抵抗(RNL)と抵抗率(ρ)との関係性

電子密度については電流からバレー流への変換効率が最大となるように固定している。垂直電場を制御することで、抵抗率を変調すると非局所抵抗が抵抗率の3乗に従って増大していく様子が観測されている。これはバレー流を介した輸送が起きていることを示唆している。

<用語解説>

注1) バレー流
異なるバレーの電子の逆向きの流れのこと。電荷の流れは相殺され、正味の電流を伴わない。
注2) 電流の漏れ出し
固体中の電子は拡散によりある程度の広がりを持って伝導する。バレー流の伝送距離が短いと、拡散伝導で漏れ出す電流による信号を誤って検出してしまう。
注3) エネルギーギャップ
真空中において電子は連続的なエネルギーをとることが可能である。一方で固体中では、電子の波の干渉によって、占有が禁止されるエネルギー領域が存在する。この領域のことをエネルギーギャップと呼ぶ。二層グラフェンにおいては垂直電場によりこのエネルギーギャップを制御することができ、エネルギーギャップを介して変換効率を電気的に制御できる。
注4) ディラック電子
光速に比べて速度が十分小さい電子の運動はシュレディンガー方程式で記述される。一方で電子の速度が光速に近づいていくと相対論的効果を考慮する必要があり、電子の運動はディラック方程式と呼ばれる方程式で記述される。単層グラフェンや3次元トポロジカル絶縁体と呼ばれる物質群の表面では結晶格子からの影響を受け、光速度より十分に小さい速度でもこのディラック方程式に類似した方程式に従って運動する電子が存在する。これらの系の電子はディラック電子と呼ばれる。ディラック電子は後述する幾何学的位相を持つことが知られている。
注5) 幾何学的位相
電子がゆっくりとエネルギー的に安定な状態に従って変化する際に、電子の波の位相(波の山の位置)にずれが生じることがある。この位相のずれを幾何学的位相と呼ぶ。ベリー位相とも呼ばれる。このような条件で電子が一周すると単層グラフェンにおいては半波長分、二層グラフェンにおいては1波長分の位相のずれが生じる。
注6) 結晶の反転対称性
ある点を中心として結晶が点対称になっているような性質のこと。外部からのポテンシャルの変調により元々同じエネルギーであった結晶中の原子にエネルギー差ができて反転対称性が破れる場合もある。このエネルギー差により、エネルギーギャップと仮想的な磁場が変化する。
注7) 仮想的な磁場
ある速度で運動する電子が磁場によりその運動を変えるように、ある加速度で運動する電子は仮想的な磁場(ベリー曲率と呼ばれる)によりその運動を変える。結晶の反転対称性が破れたグラフェンにおいては、バレーに応じて仮想的な磁場の方向が反転しているため、これを用いてバレー自由度を制御できる。
注8) 蜂の巣型格子
正六角形を敷き詰めた形状の結晶格子のこと。グラフェンの場合、六角形の頂点に炭素原子が配列している。
注9) 二硫化モリブデン
グラフェンと同様に蜂の巣型格子を持つ二次元材料。隣り合う格子点にはそれぞれモリブデン1原子と硫黄2原子が入り、単層では結晶の組成から元々反転対称性がない。
注10) バレー偏極電流
異なるバレーの電子の数に差があり、これらが互いに逆向きに流れた際の流れをバレー偏極電流と呼ぶ。この場合電荷の流れは相殺せず、電流はゼロにならない。
注11) 単層グラフェン/六方晶窒化ホウ素の積層構造
ホウ素と窒素から構成される蜂の巣型格子である六方晶窒化ホウ素とグラフェンとは格子のサイズが近い。そのため結晶の方向を制御して単層グラフェンを六方晶窒化ホウ素上に転写することで、グラフェンに周期的なポテンシャルの変調を加えて反転対称性を破ることができる。このポテンシャルは電気的に制御できず、エネルギーギャップは電気的に制御できない。
注12) 垂直電場による抵抗率の変調
垂直電場により二層グラフェンのエネルギーギャップを制御し、伝導に寄与する電子の数を減らすことで抵抗率を変調している。
注13) ゲート絶縁層
グラフェンを電気的に制御するための電極(ゲートと呼ぶ)とグラフェンとの間の絶縁層のこと。

<発表雑誌>

雑誌名 Nature Physics(オンライン版:2015年11月16日)
論文タイトル Generation and detection of pure valley current by electrically induced Berry curvature in bilayer graphene
著者名 Yuya Shimazaki, Michihisa Yamamoto, Ivan V. Borzenets, Kenji Watanabe, Takashi Taniguchi, Seigo Tarucha
doi 10.1038/nphys3551

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

樽茶 清悟(タルチャ セイゴ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6835
E-mail:

山本 倫久(ヤマモト ミチヒサ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 講師
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6856
E-mail:

<JST事業に関すること>

中島 英夫(ナカジマ ヒデオ)
科学技術振興機構 国際科学技術部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03- 5214-7375 Fax:03-5214-7379
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<報道担当>

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 Fax:048-462-4715
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東京大学大学院 工学研究科 広報室
Tel:03-5841-1790 Fax:03-5841-0529
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